パ・パ・パ・パ・パン粉・パン粉 、ス・ス・ス・ス・スーパースター | 風曜日

パ・パ・パ・パ・パン粉・パン粉 、ス・ス・ス・ス・スーパースター

「一発屋」と呼ばれるアーティストが居ます。
その経歴において1曲だけ突出してバカ売れしてしまったがゆえに、
他の曲が陽の目をみずに消えて行ってしまった不幸なパターン。
実はその後も地道に活動していたりもするのですが。。。

先日、レンタル・ショップに行った際に映画を物色していたら
こんな作品を見つけてしまい、借りてしまいました。

$風曜日

『Falco - Verdammt wir leben noch!
(邦題 : ROCK ME AMADEUS - ファルコ 運命に翻弄されたスーパースター』

FALCO
本名ヨハン・ヘルツェル。
1985年に「ROCK ME AMADEUS」が世界的に大ヒットして一躍有名になった
オーストリアのアーティストです。周りのアーティストが外国語である英語で
歌っている事に疑問を持ち、そのキャリアを通じて殆どの曲を母国語のドイツ語
で歌う事にこだわった人でもありました。

そのキャリアは以外にも70年代後半に、ハードロック・バンドやパンク・バンド
を掛け持ちしてベースを弾いていた事からスタートしています。
当時は長髪で普通のロック青年でしたが、段々と自分の音楽を作り始めると
売れる為には曲だけでは無く、キャラクターも大事な要素だと考え始めます。

髪をバッサリと切り、スーツを着こみ、FALCOと名乗りデモテープを制作。
レコード会社やラジオ局に売り込みますが、バンド仲間に蔓延していたコカイン
汚染を歌った過激な曲はどこにも受け入れてもらえず、自国での活動に見切りを
付けて、ドイツへと活動の場を求めます。
その音楽は、まだ黒人のものだったラップを白人としてイチ早く取り入れ、
その真新しさと過激な歌詞でたちまち話題になりました。
「拝啓、警部殿 ウィーン中に降る"雪(コカイン)"の事はガキでも知ってるぜ」
と歌うこの曲はまたたく間にドイツでチャートのトップに登りつめました。

「Der Kommissar」(1982)


こうしてドイツを始め自国オーストリア、ヨーロッパ圏で有名になった彼は
この曲を含む1stアルバム『Einzelhaft』('82)をリリースし、本格的に
ソロ・アーテストとして活動を始めますが、続いてリリースされた2ndアルバム
『Junge Roemer』('84)は、彼自身がアルコール、ドラッグ漬けになった事で
内省的な内容で、オーストリアでは1位を獲得するものの、他国ではサッパリ
売れませんでした。

この失敗が元でますます自堕落な生活に陥った彼を救ったのがマネージャー。
外部のプロデューサーと仕事をして刺激を与えようと、オランダのボーランド兄弟
と引き合わせます。これが運命のヒット曲を生みだし、この曲は念願のアメリカでも
1位を獲得、この曲が収録された3rdアルバム『FALCO 3』('85)も大ヒットします。

「ROCK ME AMADEUS」(1985)


普通のPVもあったのですが、PVの音源よりも私が親しんでいるのがこの
"サリエリ・ヴァージョン"と呼ばれるロング・ヴァージョンでして。
当時のアナログLP、CDでは初期の A&M (アメリカ)盤と、日本ではポリドールの
赤帯CDにしか収録されておらず、音源がヨーロッパ盤に統一された現在では入手
困難になったヴァージョンです。当時リアル・タイムで聴いていたのがこの
ヴァージョンなので、私にとってこの曲というと、コレという印象ですね。
※「FALCO 3」は他の曲も当時のアナログ、初期のCDと現在のモノとは
 ジャケット、収録ヴァージョンが違います。昨年リリースされた25周年
 記念盤も、ボーナス・トラックで何曲かミックス違いは収録されているものの
 当時のアメリカや日本での収録ヴァージョンとは違うヨーロッパ盤ベース。

こうして坂本 九 以来という、アメリカのビルボードで英語以外の曲で1位を
獲得した彼でしたが、「頂点に登りつめてしまった」と、スランプに陥ります。
また、同アルバムからシングル・カットされた「Jeanny」という曲が、誘拐、
レイプ、殺人を思い起こさせる歌詞とPVでヨーロッパでは大ヒットしたものの
そんな内容の歌詞が物議を醸し出し、想定外の社会現象となってしまいます。

マスコミの格好のターゲットになってしまった彼は、『ジェニーは生きている』
というステッカーを作って配布、自らも公の場にそのステッカーを付けて現れたり
翌年1986年リリースの4thアルバム『Emotional』に収録の「Coming Home」とい
う曲でジェニーのその後を歌ってひとまずの論争に幕を引きました。
その4thアルバムから、タイトル・トラックを。

「Emotional」(1986)


PVは50年代のオールディーズ、とりわけエルビスの「Memories: The '68 Comeback
Special」へのオマージュとなっていますが、芸名を考える際に最初に ELVIS が候補
にあったという嘘の様な話から、ロック・スターとしてのエルビスへの憧憬は深かった
様です。エルビスは双子で生まれましたが誕生時に兄は死産しており、FALCOも
実は三つ子でしたが、他の二人が死産だったことから、エルビスとの関連を自ら運命
づけていた様です。

その後は世界的なヒットは生まれなかったものの、1996年にはドミニカへ移住し
コンスタントにアルバムをリリースし、母国では知らない人は居ない程の知名度を
誇りました。しかし1998年、交通事故によりあっけなくこの世を去ってしまいました。
冒頭で紹介した映画では、薬と酒に溺れたり、僅か1年足らずで破たんした結婚生活
といった破天荒な面を描きつつ、娘との複雑な関係に悩みながらも溺愛するという
人間臭さも描かれています。1986年の日本でのコンサート・シーンもありましたが
80年代のハリウッド映画並みの勘違い描写で笑わせてくれます w。

世界的には一発屋の彼でしたが、白人初のラップ・アーティスト(Vanilla Iceよりも
先)、史上2人めの英語以外の言語の曲でのビルボードNo.1アーティストという、音楽
史上でもかなりアイコン的存在だったと言えると思います。