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この1、2週間でフィレンツェは一気に秋が訪れ、数日前の猛暑の記憶があるアタマで半袖を選び外に出て「あれ、おかしいな寒いんだけど・・・」と思う。完全に身体感覚が脳と噛み合ってない状態です。
暑くなる時も涼しくなる時も、なんでこーも急なんだヨ。と思うのですが、それも昨今のありようなのでしょう。
ところで。
私は電子書籍を愛用しております。と言うと、「私は紙の本しか読みません。やっぱり本は紙じゃないと」と言う方がおられます。
確かに、本を読むと言う体験だけで言うなら紙の本がいいですよ、そりゃあそうだ。100%賛成です。
でも、海外で暮らしていても最新版の気になる書籍がすぐに読めるというこの素晴らしいテクノロジーの恩恵を受けないわけにはいかないですよ。それに、なんだかんだとしょっちゅうクーポン券で安く買えたりポイントがついたりと、経済活動的にもお得感があるし(まあ遊び程度だけど)、何より嵩張らないのが素晴らしい。数冊を並行して読む癖がある私としては、常に数冊を物理的に手元に置いておくのはかなり負荷が高いですが、電子書籍ならリーダー一つ、なんならスマホからでも読めますから、隙間時間にちょこっと読みたい本が読めると言うのもいいところです。
基本的に新聞やyoutubeと言う媒体で流れてきたお勧め本みたいなやつを楽天工房で買うのが私のスタイルなんですが、先日もその流れで買ったこちらの本。
「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本 今井 むつみ (著)
めちゃめちゃ面白かったです。というか、25年近くイタリアで日本語教師をしていて思っていたことが言語化されていて「そうだよね〜、分かるわかる」の連続でした。文章も平易で読みやすく、読了後にスッキリ!と言う感じなのでお勧めです。
筆者が言いたいのは、「一人一人に何かを理解するための土壌があり、それはもちろん100人いれば100人が違うものなので、Aと言うメッセージがA+1とかBとかになって伝わると言うことは避けられず、それがむしろ当たり前という前提でコミュニケーションをするのがよし」ってことなんですよね。
日本語を教えていると、その相手というのは理解の土壌がまるっきり違う人たちなので、Aと言うメッセージが「なんでそうなる?」と言うレベルまで変換されていることもありえます。そこがまた面白くてやめられない理由でもあるんですが、そういう現象に遭遇するたびに目の前の相手の思考回路が見えてきます。それが”あまりにも日本語・日本人の発想と違うなあ”と思う時、文化背景の違いによるものもあれば、個人的なくせや、今までの人生の中で培ってきた何かへの取り組み方の違いからくるものなど、さまざまです。
本当に簡単な例をいうと、日本でいうところの⭕️→正解 ❌→不正解 は世界共通では全然ありません。むしろ、❌は”それを選ぶ”という意味に使われることも多いので、もはや正解の類になります。⭕️の印そのものはこちらではあまり意味をなさないことが多いです。
(ちなみに、学校のテストなどで正解というときは☑️印)
それから句読点。イタリア語での句読点は正式な文法として機能していますが日本語では自由なこと。
こんなことはおそらく語学学校などでいちいち教わらないことでしょう。なぜならみんながみんな、疑ってもみないような、学習以前のことだからです。
でも、言語を学ぶ上ではこんな目に見えない違いというものがそこかしこに散りばめられていて、どこまで行っても際限なく新しい発見があり、見出すごとに感心してしまうんです。
私は”文化的違い”の極端な例として外国人学習者を相手にしていますが、日本人同士だって、家族だって、その振れ幅は小さくなるものの決して違いがないわけではないんです。
それをいつも心に置いておけば、”なんで分かってくれないんだ”というストレスからは解放されるのではないかな、と思ったのでした。