川向う山菜の観察の風景 | 里山の手入れと観察の記録

里山の手入れと観察の記録

自然との折り合いについて考え続けていきます。

$里山と生きるために~山の手入れと畑を楽しむ

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今、毎週末の里山の中の散歩は、里山の一角の道を整備(笹を刈った道)したところを、一周です。

最後が、小屋の川向うに出ます。

この地点は、今、山菜一色です。

ここの場所は、うど、たら、ふき・・・。

いつも、僕は、草刈り、熊笹刈りがしたくてたまらなく、

この時期は、その想いも一層強くなります。


現実では、なかなか、話もかみ合わないのですが、

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こんな景色も、笹を刈るだけで、

刈るだけといっても、笹は強いので、同じ場所を3年ですが、

山菜一色に変わりうるという事実に魅せられています。

川向こうは、手入れ、8年目。

今年は、訪れた方々に、ちょっとびっくりされてます。

自然にあるように思うようです。

それは、実感として、有り得ないのですが。

笹を刈り、場を整えると、半世紀前までの豊かな姿に戻るというのが実感です。

時間も、コストも、かなり、必要なので、

資本主義の経済には、のりませんが、

なので、里山は、荒れたり、開発されたりの半世紀なのでしょうが、

それにしても、これは、どういうことなのだろう?

これからの時代、どうなのだろう?

今の常識、どうなのだろう?

そこも、大きな原動力です。

以上は、理屈ですが、


旬の山菜は、おいしくて、晩酌が最高です。


これは、わかりやすい、原動力です。