今回、宮古市立津軽石小学校、及び宮古市立赤前小学校、2校の避難所(体育館)へ行き、近隣同士にありながらある意味対照的な側面を見た様な気がする。
物資が豊富で衛生的にもいいところ、物資が無く ある意味取り残されたところ。
拠点避難所と、それにぶら下がっている形の避難所の差。
そう考えると、ある意味仕方の無いことなのであろうか。
自分自身3月11日(金)の東日本大震災以降、岩手県沿岸部広域、宮城県沿岸北部の避難所などに数多く足を運んでいる。
高田1中の山積みになった物資に驚いたこともあるし、赤前小学校の様に物資が無くとも共存共栄の精神で助けあいながら避難しているところほか多数。
当方が勝手に「取り残されている」と思った避難所でも、当の避難者はそんな意識など全くなく、それが「当たり前」と思い最低限の生活を送っている。
色々な意味で恵まれている避難所のことを妬んだり、やっかみすら無い。
津軽石小学校は赤前小学校のことを、心配していたことも事実。
だが双方の交流が深いとは、あまり思えなかったのも事実。
岩手県内にもまだまだ小さな避難所や、在宅避難者も数多くいることは現実。
今までは自分一人で奔走しているだけであったが、今回は10名のチームで動いた。
チームで活動しフォローできる範囲と、一人で奔走する限界の違いも自分自身でも理解できた。
赤前小学校は滞在時間が長かったので、自分やStudioRocco 組は色々な人たちと色々な話をすることも出来た。
若手の神奈川・東京組は終始子供たちと触れ合い、じゃれ合いながら、いわば遊んでいる光景が多かった。
避難所生活も1ヶ月を軽く超えている。
外部の人と接する機会も当然少ない。
そんなところへ自分たちが図々しく乗り込んでいったが、両校とも快く迎え入れてくれた。
避難所へ避難している人たちも、外部の人に色々話を聞いて欲しいという欲求にも似た感情すらおぼえた。
閉鎖された空間(避難所)で、常に同じ顔を見ながら暮らし、当然プライバシーすらない生活を送っている。
仮設住宅などの建設が早急に進まなければ、早急に「心のケア」の必然性も感じた。
ただでさえ津波の光景を目の当たりにし、自分の家などを津波でさらわれていったところを直視した人も少なくは無い。
PTSD(posttraumatic stress disorders) の心配があることは容易に想像出来る。
必要とされている物の物資支援。これも非常に重要なことではあるが、それ以前に「心のケア」が全くなされていない現状。
これは、何処の避難所へ行っても同じことが言えるだろう。
これがなおざりにされていてもいい事なのであろうか。
一つの避難所に医師と看護師が、最低でも一人ずつはいるが、「カウンセラー」も必要なのでは無かろうか。
仮設住宅の建設も進んではいるが、全ての避難者用の仮設住宅を建築し終わるまでには、まだまだ期間を要するであろう。
早急に行政が、心のケアに動き、実践してくれることを望む。
避難所の治安が悪化していると言った声を、よくネット上で見かけるが、自分の見た限りそんなことは一切無かった。
定期的に、一日数度も各都道府県から派遣された警察官(パトカー)が避難所を巡回し、避難所の中にまで入り込み、都度状況確認を行っている光景も見た。
下記のニュースを見て、自分自身強い憤りにも似た感情をおぼえる。
ボランティア数 阪神・淡路は150万人で東日本大震災は4.4万人
「ボランティア元年」と呼ばれている年がある。阪神・淡路大震災の起きた1995年。それまで日本人はボラ..........≪続きを読む≫
自分自身が現地(被災地)へ行っても、民間ボランティアの人たちを見る機会がほとんど無かった。
見るのは自衛隊か警察官だけ。
都市型の震災と、そうでは無い震災で、何故こんなにもボランティアへ参加している人数が異なるのであろうか。
また、被災者(死者・行方不明者)が多い地域にだけ報道は目を向け、全国に発信している。
結果、そういった地域にだけ「数少ない」ボランティアや救援物資が届くのであろう。
自分自身その様な光景を幾度となく目の当たりにしているので、岩手県大船渡市以北は『ボランティア過疎地』にしか見えなく、それをTwitterなどネットを介し叫び続けてきたつもりである。
だが上記のようにボランティア数が阪神・淡路は150万人、東日本大震災は4.4万人と言う『数字』を単純に比較しただけでも、「何故?」と素朴に思う。
震災復興は、被災者自身で行わなければいけないのであろうか。
困ったときはお互い様なのでは無かろうか。
東日本大震災の被災地は、今『困っている』のである。
募金だってそうだ。
幾多の著名人が大金を募金してくれたり、日本全国で多くの人たちの募金が集まっていることは報道などで数多くの人が知っているであろう。
だが今現在も被災者たちには、みんなが募金してくれた『現金』が一切届いていないことも事実。
いくら募金しようども、その募金は行政単位で振り分けられる。
こんな時、行政が迅速に動かなくてどうするのであろうか。
中には自治体独自で「見舞金」を先行し、支給している地域もあるくらいだ。
被災地の県単位が、迅速に動かなければ市町村には配分されるわけが無い。
ボランティアも同じ事が言えるであろう。
岩手県でも一般ボランティアの受け入れ開始を行ったのが、4月8日(金)である。
なんと、震災発生から1ヶ月近く経過してからのことである。
だが市町村レベルにまで掘り下げていくと、震災発生後まもなくボランティアの募集を行っている市町村がほとんどでは無かろうか。
県外からボランティアの問い合わせをする際は、岩手県庁、もしくは岩手県社会福祉協議会へ問い合わせる人が多いだろう。
返ってくる答えは「(個人単位では)募集していません」と言う回答が間違いなく多かったはずである(4月8日以前)。
だが多くの市町村ではボランティアの募集を行っていた事実を知っている人は少ないであろう。
ボランティアを志望して、岩手県庁関係に電話をかけた人たちへ「門前払い」をしていたのは、ほかでも無く岩手県庁関係だったのである。
門前払いをされた人たちへは、本当に申し訳ないと思っている。
本当に困っているのは『現場(沿岸被災地)』なのである。
こんな状況下で、早期に震災復興など成し遂げられるのであろうか。
被災者は疲弊の限界を通り過ぎても我慢し続けています。
なぜなら、行政の対応が遅いからに他ならないと思う。
こんなところで行政批判をしていても、全く前進することは無い。
そんな自分は明日、StudioRocco 組と一緒に、再度津軽石小学校、及び赤前小学校へ行ってきます。
『その後』のフォロー活動を行うために。
両校へは明日、StudioRocco からのサプライズがある。
日本全国に『支援の輪』が出来るように、ただ祈るしか無い。