梅雨に入ってから3日目・・・朝から晴れ~
今朝の「コンフェデカップ イタリア戦」点を取ったり取られたり・・・疲れたぁ~
この前のブラジル戦とは大違い・・・JAPANやるじゃない
天気がよいとすぐ走りたくなる
今日は北方面に走りましょうか・・・走るとずーっと向かい風 きつい
でも行くとき向かい風なんだから、帰りは追い風・・・らくちん(なんともポジティブ)
暑いな~ でも楽しい
さて、ここまで約30㎞ そろそろ12時、お腹すいたぁ~
よし「マンニラ」食べよう 「満州にらラーメン!」
うわぁ 相変わらずのラー油ギットリ・・・辛そう~、にら凄い・・・
なんて言いながらぺろっと食べちゃいました ごちそうさま
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、皆さんは伊達藩(主に宮城県)と南部藩(主に岩手県)の境をご存じですか
いまは一関市と金成町(現栗原市)の間なのですが
むかしむかし、伊達藩と南部藩の境がハッキリしていませんでした。
そこで伊達の殿様が南部の殿様に手紙を書きました。
『○月○日 午の刻にお互いのお城を午に乗って出発し、出会った所を藩境としよう』
当日、伊達の殿様は午の刻(うまの刻=現在の12時・・・だから正午と言う)に馬に乗って
出発 ・・・ところが行けども行けども南部の殿様に会いません
地元奥州市を過ぎ、北上市に入った頃
なんと南部の殿様が牛(うし)に乗ってゆっくり来たではありませんか
そうです・・・南部の殿様は午(うま)を牛(うし)と読み違えたのです・・・あぁぁ~
その場所がここ・・・お互いに会って、そこを藩境に決め、また去ったので『相去(あいさり)』
小さい頃、藩境塚(はんきょうづか)って聞いてはいましたが、なんのことかわかりませんでした
いままさに、わたしは伊達藩と南部藩の境界線に立っているんですよ
ロマンですねぇ~
それにしても観光客を見たことありませんし、説明板も汚れて良く読めません
やはり「相去」は『愛が去る』に読めるから・・・縁起でもない