IVY カンボジア便り

IVY カンボジア便り

認定NPO法人 IVY、カンボジア駐在員のブログです。

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スバイリエン州農産物組合の総会は設立総会が2011年。年次総会に今年で出席するのは6回目になる。もちろん最初の方は「出席する」というより、「開催する」側だった。年次報告書の文章をなぜか私が英語で書いていた時期もあった。でも今年は完全に招待客としての参加。選挙のやり方に意義を申し立てて途中でストップさせるという、だいぶでしゃばる招待客ではあったが。新任のIVYのコーディネーターはスバイリエン州を訪れるのも初めてで、誰が組合の理事でマネジャーなのかも分かってない状態で、全くの傍観者。以前はいつのまにかうちの団体のスタッフがマイクを持って司会を始めてしまうので、私がそのたびに「組合にさせなさい!」と目くじらを立てていた時代もあったのだが、もうその状態に戻ることはないだろうが、今となると少しなつかしい。手が離れたら離れたで、何か寂しいものである。「あなたはもう必要ありません」って言われてるのと同じだから。ついつい出しゃばって意地を張ってでも選挙のやり方を変えさせたのも、もしかして無意識にそんな気持ちを自分の中で否定したかったからなのかもしれない。「ほら見なさい、まだ私の方が分かってることがあるんだから」みたいな。。

しかしどんなに自分の思い通りに物事を動かしたいという要求が大きかろうと、選挙だけは動かせない。会場にいる200名が誰に投票するかに干渉することは不可能である。組合員に選ばれたリーダーを第三者である私たちは無条件で受け入れないといけないのだ。2011年に組合員の中から選ばれた理事の任期は5年で再選は許されてはいたが、選挙で負ける可能性はゼロではなく、その場合これまで理事のキャパビルに投資してきた私たちの膨大な時間と予算はどうなるんだろう、という不安は常にあった。特定の人が抜けたら崩れるような組織だったら支援しても意味がない。線引きするのは難しいが、人にかけるより、組織、システムを作っていこうとスタッフにはしつこいほど言い続けた。

人材育成の支援とは、「全て無駄になるかもしれない」というリスクを常に意識していないといけない。無駄になるからやらないのではなく、無駄になったとき、失望してもまた立ち上がっていく前向きさ、もしくはあきらめのよさが必要なのだと思う。なので私は最悪のシナリオも覚悟はしていた。ほぼ信任投票である。もし組合の事業を組合員が評価するのであれば、現職の理事を再選するだろう。しなければ、新しい理事が選ばれ、これまでの人材育成が泡となって消えていくのである。

そして結果。なんと現職7名全員が当選した。入れ替わりが全くないというのも健全とは言いがたいが、信任投票の結果には正直うれしかった。私たちと理事との二人三脚で歩いてきたこの5年間が、組合員に評価されたのである。その時気付いた。これはたぶんどんな人からの評価よりも、そう、外部のコンサルに高く評価されるよりも、農林水産省大臣にほめられるよりも、意味があること。私たちが5年かけてやってきたことが、組合員本人達に承認される。これが唯一必要な評価だったのだ。私はカンボジアに来て9年目にして、心の底からじわじわとゆるぎない達成感がこみ上げてくるのを感じた。

そして紆余曲折あった組合の理事たちの顔を見たとき、私はそこに初めて「戦友」の顔を見た気がした。彼らは活動の受益者でもなく、育てあげる子供でもなく、組合員に認めてもらうために共にがんばってきた戦友だったのである。事業実施中に、多くのカンボジア人スタッフが来ては去っていった。組合の理事達が6年前に選挙で選ばれた瞬間を知り、今ここにいる人は私ぐらいである。「やめたい」と言われて困ったり、逆に「なんとかやめさせれないか」と悩んだり。喜んだり失望させられたりの5年間。誰も「こんな大変な仕事、また5年間もやりたくない」と言わずに残ったことにも驚いた。私も音をあげて投げ出したいことは何度もあったが、彼らもなかなかしぶとい。このしぶとい合戦を、これからもしばらく続けてみるか、と思ったイチ日だった。

 

スバイリエン州農産物組合の理事のおじさんたちといえば、だいたい40代。人にもよるけど仕事と言って集まれば、飲みが始まる。大きな声で笑う。だいたい日本の農家のおじさんたちと一緒。そしていつ働いてるんだ?とも思えるが、畑が大好きなところも。

このおじさんたちが子供のスマホを借りて?Facebookを始めた。まだ2名だけど、さっそくお友達に。いつもはクメール語での会話ができないから質問もできないけど、Facebookで彼らの生活を覗き見ることができる。彼らの生活が、私たちの事業で農協ができて出荷が始まったことで変わったんだ、と改めて今日感じた。なんと、自分のプロフィール写真を組合が包装した野菜の写真にしている!!

プロフィール写真って、これが自分ですっていうアイデンティティーに関わると思うんだけど、それが組合の野菜ってすごい。しかも苦労して私たちが作ったステッカーが貼られた包装した野菜の写真っていうのがまたうれしい。これらの野菜は3時間トラックで運ばれてプノンペンのイオンのスーパーマーケットで売られるんだけど、こうやって包装された野菜に誇りを持ってくれているんだな、って、会っても分からないことがFacebookで分かったりするところがおもしろい。

 

他のもう一人はカバー写真は組合の野菜の展示会出展の写真。プロフィール写真はありきたりのアンコールワット背景と思いきや、3人映っているのは全て組合のおじちゃんたち!そう、これはうちの主催したフィールド視察の際に、いつのまにかアンコールワットにも寄っていたんですね。まあ終わったことですので、担当のスタッフに詰め寄りはしませんでしたが。でも彼らにとっては一生の思い出だったんでしょう。Facebookが全面組合関連の写真尽くしで、いかに彼らの生活が他に何もない、いえいえ、組合が生活の中心になっているか分かります。そう思うと、私たちがスバイリエン州で事業を行ったインパクトっていうのはでかいんだな、と改めて思います。こういうことは、評価報告書に書けることではないですが。。

 

ついでにまだ学生ですが、IVYの試験農場を引き継いでいるヴェスナ君(密かに「野菜君」と呼んでいる)はさすが20代とあって、Facebookを使いこなし、「いいね!」と200も取り付けるツワモノです。しかし「いいね!」されてる彼の投稿写真は畑の写真ばかり。こちらもカバー写真(IVYの試験農場)、プロフィール写真ともに畑です。

プロフィール写真には「Every Day is Earth Day」との文字が。正直負けた!と思いました。農業はやっぱり農業が大好きな人たちがやるべきだと思います。直接会話ができない彼らのFacebookの投稿を見てはにんまりしてしまう日々。彼らのこの「好き」という気持ちを大事にしてあげたいな、と思います。

一時期ホームページのブログに移行し、その後投稿はFacebook中心になっておりましたが、やはりFacebookで書ききれないことがあることを出てきましたので、3年ぶりにAmebaのブログを再開します。備忘録としてつれづれなるままに日々の思いを書かせていただきます。

 

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毎年契約更新時にスタッフと一人ひとりインタビューをしている。これがけっこう気が重い。スタッフと面と向かって一対一で会うこの機会はスタッフマネージメントの最も大きな仕事と思うと、その仕事の第一責任者である私自身が評価されているような気になる。部下から上司として評価される。そうすると始まる前から気が重い。普段「怖くて厳しい上司」で通っているので、私と一対一で会うなんて向こうも嫌だろうなぁ、そんな会うのが嫌な上司なんてダメだよなぁ、ともう自己評価が下がりまくり。せめて「あの上司はスタッフインタビューもしない上司」と言う評価がつかないために、とりあえず形式だけでもする。自分が楽になるように、先に評価の数字を出しておき、それをもとに話をする。スコアが高い部分、低い部分。難しい話ではない。でも落としどころが大変だ。点数で話すのは簡単だが、それだけだと数字で評価されて終わりで、モチベーションにつながらない。「がんばってるのに低く評価された」と気を損ねて辞められるなんてことになりかねない。「弱点」というのは批判されれば人は防御的になる。防御のために、批判した相手を攻撃しかねない。Judgment-つまりいい悪いの判断を横において、とりあえず弱点についてどう考えているか聞く。ここでひたむきに聞く。「弱点」というのは批判されず受け入れられると、それは話す側と聞く側の共同のミッションへと昇華していく。そんな風に感じられる瞬間が何度かあった。あるスタッフからは、人を動かすことに対する失敗経験から、それを克服して将来マネージメント職につきたいという希望を聞いた。私は人とつながりあうことが彼の苦手分野と気付いていたので、彼はそういう仕事は避けて、専門的な技術職につきたいのだろうと勝手に思っていた。そしてそういう業務を割り当てていた。もし今日の会話がなかったら、ずっとそれを続けていただろう。20代後半、まだ本人のやる気次第でどうにでもなる。彼の気質的に向いているかと聞かれれば今は首は縦にふれないが、でも本人にその気があるのなら、そういうチャレンジを与え、鍛えてあげようという気持ちになった。私の先輩魂に火がついた。(笑)

 

人を育てたいという気持ちは化学反応のようなもので、人と人との間に起こるもの。私が上司であるのは、部下のスタッフに上司にさせてもらってるのであって、実は私も部下によって上司として育てられているのかもしれない。

 

たぶん相手も怖がって腹を割らないだろうし、15分ぐらいで終わるかと思っていたが、終わってみれば一人45分ぐらいは割いていた。今日はスタッフが事務所から去るとき、一人ひとり私の顔をきちんと見て、普段より笑顔で挨拶をして帰っていったのが印象的だった。何か私が尊敬されるようなすごいことを言ったわけではない。たぶん自分の話にきちんと耳を傾けてくれた、という印象が残っていたのだろう。聞く力ってすごい。今回もそれに助けられたと思った一日だった。(写真は去年の6月、プノンペン事務所で。)