スバイリエン州農産物組合の総会は設立総会が2011年。年次総会に今年で出席するのは6回目になる。もちろん最初の方は「出席する」というより、「開催する」側だった。年次報告書の文章をなぜか私が英語で書いていた時期もあった。でも今年は完全に招待客としての参加。選挙のやり方に意義を申し立てて途中でストップさせるという、だいぶでしゃばる招待客ではあったが。新任のIVYのコーディネーターはスバイリエン州を訪れるのも初めてで、誰が組合の理事でマネジャーなのかも分かってない状態で、全くの傍観者。以前はいつのまにかうちの団体のスタッフがマイクを持って司会を始めてしまうので、私がそのたびに「組合にさせなさい!」と目くじらを立てていた時代もあったのだが、もうその状態に戻ることはないだろうが、今となると少しなつかしい。手が離れたら離れたで、何か寂しいものである。「あなたはもう必要ありません」って言われてるのと同じだから。ついつい出しゃばって意地を張ってでも選挙のやり方を変えさせたのも、もしかして無意識にそんな気持ちを自分の中で否定したかったからなのかもしれない。「ほら見なさい、まだ私の方が分かってることがあるんだから」みたいな。。
しかしどんなに自分の思い通りに物事を動かしたいという要求が大きかろうと、選挙だけは動かせない。会場にいる200名が誰に投票するかに干渉することは不可能である。組合員に選ばれたリーダーを第三者である私たちは無条件で受け入れないといけないのだ。2011年に組合員の中から選ばれた理事の任期は5年で再選は許されてはいたが、選挙で負ける可能性はゼロではなく、その場合これまで理事のキャパビルに投資してきた私たちの膨大な時間と予算はどうなるんだろう、という不安は常にあった。特定の人が抜けたら崩れるような組織だったら支援しても意味がない。線引きするのは難しいが、人にかけるより、組織、システムを作っていこうとスタッフにはしつこいほど言い続けた。
人材育成の支援とは、「全て無駄になるかもしれない」というリスクを常に意識していないといけない。無駄になるからやらないのではなく、無駄になったとき、失望してもまた立ち上がっていく前向きさ、もしくはあきらめのよさが必要なのだと思う。なので私は最悪のシナリオも覚悟はしていた。ほぼ信任投票である。もし組合の事業を組合員が評価するのであれば、現職の理事を再選するだろう。しなければ、新しい理事が選ばれ、これまでの人材育成が泡となって消えていくのである。
そして結果。なんと現職7名全員が当選した。入れ替わりが全くないというのも健全とは言いがたいが、信任投票の結果には正直うれしかった。私たちと理事との二人三脚で歩いてきたこの5年間が、組合員に評価されたのである。その時気付いた。これはたぶんどんな人からの評価よりも、そう、外部のコンサルに高く評価されるよりも、農林水産省大臣にほめられるよりも、意味があること。私たちが5年かけてやってきたことが、組合員本人達に承認される。これが唯一必要な評価だったのだ。私はカンボジアに来て9年目にして、心の底からじわじわとゆるぎない達成感がこみ上げてくるのを感じた。
そして紆余曲折あった組合の理事たちの顔を見たとき、私はそこに初めて「戦友」の顔を見た気がした。彼らは活動の受益者でもなく、育てあげる子供でもなく、組合員に認めてもらうために共にがんばってきた戦友だったのである。事業実施中に、多くのカンボジア人スタッフが来ては去っていった。組合の理事達が6年前に選挙で選ばれた瞬間を知り、今ここにいる人は私ぐらいである。「やめたい」と言われて困ったり、逆に「なんとかやめさせれないか」と悩んだり。喜んだり失望させられたりの5年間。誰も「こんな大変な仕事、また5年間もやりたくない」と言わずに残ったことにも驚いた。私も音をあげて投げ出したいことは何度もあったが、彼らもなかなかしぶとい。このしぶとい合戦を、これからもしばらく続けてみるか、と思ったイチ日だった。