チラ裏だぜ!
暇な人が読めばいいと思うぜ!
耳が痛い。どうやら外耳炎らしい。
あまりに痛くて、四限をふけて帰っている。
この自由さが大学の特権か。
しかし、今課題の締め切りに追われているにも関わらず、好きなことをしていていいのかと恐怖する。
自分に甘いことは承知しているが、甘やかし過ぎて生活が破剰することに恐怖する。
好きだから大学にいってるのじゃないかと、自分を責めて攻めて首を絞める。
そして甘やかす。
自分に優しくする仕方がわからない。わたしがしているのは甘やかすことだ。
そんなこんなで最近本ばかり読んでいる。
「おとなは分かってくれない」というヲタク文化論(エヴァ、幽☆遊☆白書、やおい)についての本を読了した。
読書よりすべき課題は山積みだったが自制できなかった。
文が書きたい。
そう思った。
無論、毎日英文を書かねばならんし、日本語の論文ももちろん書いている。が、自分の書きたいことがかけない。
私の文は独りよがりである。
思いつくだけのことを自分ルールで推敲し、余すことなくくっつけ、自分では矛盾のない銘文が書けた!と思い込む。
そして、「本論とズレている」と指摘されてショックを受ける。
だいたい文章なんぞ生きてる人間が時間かけて書く生き物なんだから、当初の目論見と多少ずれててもいいじゃんかー
なんてことを思いもせず、奇妙なものを悶々抱えたまま、先生の指示する「本論」へと結論を書き直す。
徒然なるままに、が学生には許されないのだよ。
提出するからには評価がつけられる訳で、評価するには理路整然とした根拠が必要で。
根拠に合わせたプロトタイプ、お手本があって、それに合わないと赤で訂正される。
今言いたい結論と違う、当初の結論になる。
徒然なるままに書きたい。
そういった意味でこの本の作者が羨ましい。
卒業論文やっぱり「やおい論」にしようかなぁ
元々「輪郭、境界」という概念についてにしたいと思ってたけどどうしよう。
さっき自分が単細胞生物である錯覚をした。
自分の体が一つの細胞でできている。
そしてその膜の一部がどこかに行って穴が開いてる感覚がした。
膜とは言うが、細胞膜は一枚の膜ではなく、アミノ酸の連続した流動性のある二重の仕切りの置き石みたいなものだ。
便宜上、親水部を(○)、疎水部を(+、↑)とすると、
♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂
こんな感じになっている。
この仕組みは動物細胞でよく観察される。
例えば細胞が移動するとき、他の細胞を押しのけて移動するわけではない。
隣の細胞膜と一体化して、
♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞A
♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂ くっつく
♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞B
♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂
↓
♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞A
♀♀♀♀♀♀♀♀ 一枚に
♂♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞B
♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂
↓
♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞A
♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂ また複製して移動
♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂
細胞質 ←細胞B
♀♀♀♀♀♀♀♀
♂♂♂♂♂♂♂♂
こんな感じで移動する。
膜なんて確かなものはない。
そんな膜に穴が開いた。今自分で内側から引っ張って膜を綴じている。
皺は寄るし不器用だから隙間が開くし。
浸水する。
あたしが破ける。
外の液と混ざって消える。
だから穴を塞ぐモノを探す。
密着して塞いでくれるヒトを求める。
ひょっとしたらあたしは寂しいのかもしれない。
あたしの膜のアミノ酸はどこに行ったのだろうか
誰にくっついて旅してるのだろうか。
いらない、って道に投げてあるのだろうか。
耳が痛む。