姑の探し物


随分前から、変わっている人だなぁと、思ってはいたけれど、
まさか、人格障害とは、その頃は想像もしませんでした。


友人が一人もいないというのは、この自己愛性人格障害の人達に
共通しているのではないのでしょうか?
友人が一人もいないと自己愛性人格障害ですとは、言っておりません。


ずっと不思議で理解出来なかった事があったのですが、
(彼女の行動の殆どが理解不可能ですが)
最近になって、少しずつ、どうしてなのか理解できるようになりました。


(元)主人の実家に帰省して、こちらに戻る際、何かと忘れ物をすることがあるのですが、
其の度に電話がかかってくるのです。
遠くに住んでるわけでもなく、忘れ物がすごく大事なものでもないので、
今度行った時で、充分なのですが、
この忘れ物の電話は、毎回、間を置かずにかかってきます。


もし私の友人がうちに泊まって、何かを忘れた場合、
私は、何日後かに掃除をしていて、見つける事が多いのですが、

この姑は、まるで宝探しのごとく時間を置かずに探し当てます。
引き出しの隅にわせれた物でも、です。

何故そこまでして、私の忘れ物を捜すのか、その頃は不可解でした。


いつの頃か、姑は単に変わっているだけでなく、本当は精神病なのではないのだろうかと、
思い始めた時期が今から何年か前になります。

彼女の不可解な行いが、人格障害を持っている人の特徴に、良く当てはまるからです。

そして、この様に、人格障害を持って、普通の生活をしている人たちはたくさんいるからです。


この人格障害は、人間関係において、問題を起こしますが、
それ以外、家賃を払うとか、買い物をする、そういう面では、問題がないからです。
そして、この人格障害は、増えつつあります。


さて探し物ですが、姑のそれは、執念深いものがあるのです。
何故そこまでして探したいんだろうと、いうのが私の疑問でした。
なぜなら、先にも言ったように、ひとつも大事なものではないからです。
例えば、靴下とか、そういったものです。

そして隅々探し回るのです。(時間も労力もかかると思います)


最初の頃は、姑、舅2人一緒に心配するのでした。
忘れ物をしたけど大丈夫か?って。

(まるで其の事があたかも、大事のように)

その頃は何かか間違っているとは、思っていましたが、
まさか、私が姑のいいように扱われていたとは、気が付きもしませんでした。

他の人達が言うように、この世に良心がない人がいるとは思いもしませんでしたから。
人間として、あまりにもナイーブで未熟な私でした。


それで、言われる度に、忘れ物はひどくなっていきました。
当時は自分でも、どうしてそう頻繁に
忘れ物をするようになったのか、理解できませんでした。
多分指摘されるたびに、自分で、自分を責めていたのでしょう。


しばらくたってから、子供の躾の記事を読んだ時、はっとしました。

子供は自分のミスを指摘されればされるほど、
そのミスは消えるどころが、頻度を増す。

そうなんです。
私の場合も悪循環でした。


忘れ物をしちゃいけない、いけないって、
自分に言い聞かせていたからです。
指摘される度にそんな小さな事にも神経質になっている自分がいました。


それからは、忘れ物はしてもいいんだ、と自分に言い聞かせ、
(もともと、忘れ物は靴下など、誰もが忘れるもので、大事な物ではありませんでした)

そうしているうちに、私は忘れ物をしなくなったのです。


今思えば、その他にも色々あったのですが、

(他人の不幸を喜ぶ、相手が失敗すると顔に笑みを浮かべるなど)

結局、あら捜しだったのです。私のミスを探していた。

多分、姑は、私の忘れ物を見つけるたびに、喜びを感じていたに違いありません。
なぜなら、その行動に終わりがなかったからです。

(何故それが喜びになるのか、不思議ですが)


電話を受ける際、いつも大事なものでもないので、其のままにして置くように言うのですが、

この探し物は、私の帰った後いつも起こり、何年も続きました。


もちろん、彼女が忘れた事に付いては、誰も何も言いません。
(彼女は今までに、約束したことを、色々言い訳して、
忘れたことにしていましたが。)
そのことに付いて問いただすことは、誰もしませんでした。


今、自己愛性人格障害の人に付いて読めば、読むほど納得します。

ずっとおかしいとは思っていましたが、さすがの私も

あらゆる面が似ているので、正直驚いています。


この母親とは、避けられるものなら、二度と会いたくありませんでした。
ずっと、解放されたいと何年も願っていました。

それが、年月がたつにつれ、私の鬱がよくならなかったので、
色々な本を読んでから、判ったのは、私が、鬱になる原因の人と暮らしていて、
その人に依存していたという事実でした。


自己愛性人格障害の彼女の一人息子が、母親と同じ人格障害を持っていても

不思議はないでしょう。


モラハラ、精神的虐待、色々言い方はありますが、同じことです。
この人達のことを思い出すたびに、今でも、気が重くなります。


しかし、自分の不幸せの原因が彼らだとは、言いたくありません。

なぜなら、彼と結婚したのは、自分の意志でだからです。


自分の事を本当に大切にしている人(愛している人)は、

そういう人を引き寄せません。

又、引き寄せたとしても、耐えられないでしょう。


そうです、斉藤一人さんの言うように

彼等以上に、私は自分を、虐待していたことになります。
ですから私は耐えることが出来たのです。


こういう人達は(人格障害の人)、周りの人達に精神的害を
与えますが、その事を、本人達は気が付いていません。
自分達の行動が正しくて、周りの人達が間違っているといつも、思っていますから。