アジアと世界の人々から信頼される国-日本のために | いとうのL.P.

アジアと世界の人々から信頼される国-日本のために

 かつての日本の国が行った侵略戦争について、中国などの被害国へ謝罪をすることについて、「自虐的だ」と言う人がいるが、私はそうは考えない。


 「自虐」とは、辞書には「自分で自分の体や心をいじめ苦しめること」とある。

誤りは誤りとして認めて謝罪するのが、人間として当然のおこないだ。

謝ったから自分の人格に傷が付くわけではない。謝らないほうが人間性を疑われる。

非を認めること、謝ることは自分をいじめ苦しめることではない。むしろ自分を高めることである。

自分の非を認めて相手に謝ることには、一定の苦痛を伴う。

しかし、それは一時的なもので、謝ることによって、あらたな関係を築く道が開ける。

過去の過ちを徹底批判する事によって、なくした信頼を取り戻せる。

  謝らなければ相手はいつまでも非を追及し続けるので、苦痛は継続する。自分で自分を虐待することになる。非を認めないで謝らないことこそ、まさに「自虐的行為」だ。


にもかかわらず、なぜ彼らは「自虐的」と言うのだろうか。

「自虐的だ」と言う人の多くは、非を認めていない。彼らの多くは、3千万人を超えるアジアと日本の人々から、わずかな幸せまでも奪ってしまったあの戦争と、その指導者、日本のファシズムの首謀者たちを、正しかったと言う。戦前日本が戦争を起こしたのは自国の領土を守るためであったと言う。彼らは 中国や朝鮮はけしからん国だと蔑視する。 


 彼らに最も特徴的なのは、戦前の天皇中心の排他的軍国主義思想を、自分の思想として今も継承しているということである。自分と思想を同じくする人間が、自分と同じ思想に基づいて成した行為だから、非を認めにくいのだろう。謝ることは自分の思想を否定することになるのだろう。彼らが言う「自虐」の「自」は彼ら自らの思想とその思想の実践のことを指すのである。


 しかし、私は違う。天皇中心の排他的軍国主義思想の継承者ではない。天皇中心の排他的軍国主義思想によって、幸せを奪われる日本の一般庶民の一員である。だからかつての日本の国が行った侵略戦争の非を認めて、中国、朝鮮などの被害を受けたアジア諸国へ謝罪をすることは、「自虐」にはあたらない。


 ところで、あなたは、戦前の思想の継承者ですか。そうでなかったら、「自虐」ということばに気を留める必要はないのではないでしょうか。


 国民はだまされないぞ!!!