人は、何の為に生きているのか

    何の為に生かされているのか

震災以降、無我夢中で走り続けてきたが

今になって周りを見れば何かが違う。

人は、欲望の為に生きてはいけない

人は、人の為、世の中の為に本音で生きるべき

自分の信念を貫き間違いが無いかを確認しながら

もう一度ゆっくりと考えて生きていこう。

昨年の震災以降消息が取れずに生きてるのか亡くなってしまったのか判らなかった知り合いと今日、小学校の入学式へ行ったら、たまたま再会して嬉しくて思わず握手したが、周りに居た人たちはちょっと冷ややかな目をしてたを気にもせずに少ない時間で当時以降の話を聞いたら、本人は、震災以降自分の仕事での自責の念に駆られるのと周りから責められて、ずっとずっと死んで楽になりたい衝動に駆られながらも仕事を続けて来た事を打ち明けられ
て、当時は、本人も死の淵に立ちながらも仕事を必死に全うしようとしながらも生き延びて、今現在生かされいるのだからそれは、本人に与えられた使命が有るはずだから、亡くなった人達の為にも運命なのだから常に心に手を合わせながら、生かされた本人は亡くなった人達の分まで生きて一生懸命働かなきゃいけない事を口説いて、命を無駄にしない事を伝えて今日別れたが本人の背中には、震災当時の後悔と懺悔の気持ちが重くのしかかってる事を知り、いつまでも生きてて欲しいと願うばかりだった。

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 今日も風吹く中、海へ出ての仕事でしたが朝のうちは、ちょっと風が吹いてるだけでしたので、手伝いに来てくれた森山君親子を連れてのわかめ刈りをしてて風がかなり強くなりそうな感じだったので甥っ子と森山君親子には、陸でワカメの塩蔵作業へと変更して、自分一人でまた、わかめ刈りへと海へ向かったら、案の定強風となり

養殖施設へ船を着けるのも大変でやっと着けたと思えば、強風に煽られてあわや転覆しそうになり、冷や冷やの作業しながら、震災前に乗ってた漁船でであれば、こんな風くらいなんともなく、作業をこなしてたのにとしみじみ感じながらも贅沢は、言ってられない。新鮮で美味しい物をお客様に食べて頂くためにも、自分の作った物をお美味しいと言ってくれる人が居る限りと心に言い聞かせながら恐怖感を取っ払て、作業に専念して何とか今日の分の収穫が終わるころ、周りを見たら一隻に漁船も見当たらなく、この強風で大分まえに退散したらしかった。

収穫を終えて、港に戻ったら甥っ子と森山君親子は、塩蔵作業も終わってて心配して待ってたらしかった。

海での仕事は、誰でも海へ出る限りちょっと間違えばかなり危険な想いもするのですが、少しでも安全性を担保するためにもちょっとは、大きな船で安全に作業が出来れば一番いいのでしょうが今は、我慢しながらもこれまでに支援してくれた人や今の仕事に関わってくれてる人達に恩返しをする為にも良い物を作って、美味しく食べれる喜び覚えて貰えたら、自分にとって幸せを感じる時です。明日の朝も風が吹くみたいなので気を引き締めて夜明けと同時に海へ行かなければ。

 震災で何もかもを無くして、自分のすべて【命】を賭けてでも今の仕事の青写真を作って震災直後から行動に移してから、妻と娘には、迷惑の掛けっぱなしで今でも恨まれながらも忙しく仕事をしてるが当然まだまだ収入と言うものも無しに等しいのだが我慢してくれて何とか凌いでいる家族に対して想いを寄せる時が有る。それは、仮設住宅に一人で震災直後の事を思い出すたびに何とも可哀想そうな事ばかりしてきたと涙が出てくる時が最近多くなってきた事と懺悔の気持ちで何とかしなければいけないと思うのだがなかなか出来ない。

今になって思えば、震災直後雄勝を脱出して、仙台に出てきた翌日から地元へ物資を届けるために自分達家族も食べる物も着る服も無いのに友達や親戚から譲り受けた米と衣類すべてを持って、地元へと届け始めた時から嫌な想い、辛い想いをを課してきたのかもしれない。なぜ、こんな事ができたのは、どしてかなと考えるが最初は、地元への想いととにかく何とかしなければいけないと言う気持ちだけで動いていたし自分には、失うものはすべて失ったのだからこそ何でもできるとの考えからこそだが、最近周りの漁業者を見ると震災時よりもかなり変わってきたし、なんか震災前よりも… 。これで、ちゃんと復興は、出来るのか復旧自体も出来ないのではないかと、最近考えさせられる事ばかり増えてきた様なきがする。


自分の目の前から、自分の生きてきた証し全てを飲み込んだあの大津波から今日で一年になるけど、よくぞここまで生きてたと今更ながらに思う、身分証明も何もかもを一切を無くし人生の絶壁に立ち後ろを振り向く事の出来ない、ように自分自身を追い込みながら、ゆっくり休む事もなく前へ前へと
進み妻と娘を犠牲にしてまでなぜ進むのかわからないまま満足な収入も無いのに震災で得た少額の保険金で食いつなぎここまで来たがこれで本当に良かったのかと後悔する時も有り、家族三人が仲良く笑顔で暮らせる日は、いつくるのかも答えが出せないままだが、もう少し進んでみよう。



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時間がそうさせるのか人は、人間性を疑うような事がだんだんと多く感じられるのは、元の田舎町の習慣、思考なのだろうか?震災の死の淵から生きて居られた有り難みと使命をよく考え、これからの生き方と人の心の温かみを十分なくらい与えられて、人間愛を感じて生きてたはずの震災後の生活を時間が忘れさせてしまうのかまた、前の悪い田舎者の考えが強くなってしまったようで残念でならないし、悲しい想いがする。今までにいろんな人がこの田舎町の為に尽くしてくれてるのだから期待に応えなければいけないと尚強く思うからこそ頑張ってるのに内側から嫌な想いをさせられては、悲しくて辛くなるばかりだよ。
町の寺も流されて、歴史的にも長く先祖様がいっぱいの寺だからこそなんとか再構築させようと言う声が出ても良いと思うのだがそれがなんと解散させようとする声が聞こえて来たり、コッチの寺の檀家にならないかとさえ言うのは、人間として生かされる身として、あまりにも恥ずかしい事だと感じ残念な人が多過ぎる。だからこそ、寺をなんとか再構築させられるように守って行きたい。守らなければ、と友人と話、良い方法がないかと悩み考えても、なかなか解決策見あたらずただ、時間が過ぎてゆく(>_<)



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