本は読んでも読まれるな | 流離のロマンチストかく語りき

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何か書けと言われても、何と書いたらいいのか、、、、

とりあえず、暇な方は、ちょっとだけでもお立ち寄りくださいね。


今読んでる本や購入した本を得意げに紹介してるブログを見かける

僕もよく、CDやDVDの紹介をするけど本はしない。

ただし、雑誌や自分と何らかの関わりを持つ書籍は例外だけど。

他人のすることにケチおつけるのは好きじゃないので、まず、何故、まがいなりにも物書きの端くれである僕が本の紹介をしないかというと、答えは簡単。

買わないから。

では、なんで買わないかというと読まないから。

ついでに、なんで読まないかというと、時間の無駄だから。

すっご~く以前、1度だけ書いたことが有ったと思うが、或る偉人の名言の通り、読書ほど無駄な時間は無いと思っているから。

ただし、本以外に見聞や知識を得る手段がなかった時代なら話は別ね。

けど、僕が物心がついた頃には、既にラジオもテレビも有ったし、おおまかなことは教科書に書かれてることで十分に事足りた。

今はどうなのか知らないが、僕らの時代に書いてた履歴書の趣味の欄に、読書や音楽鑑賞なんて書くのが模範のようにされていて、恥ずかしい話、僕も類を違わず書いた記憶がある。

けど、自慢じゃないが、当時も今も読書なんて行為?をしたことがない。(確かに自慢じゃないな)

それどころか、僕の脳内でDZD(ダメ!絶対!読書)波が懇々と湧き出てしまう。汗ショック!汗

ということで、冒頭で書いた読んでる本や購入した本を得意げに紹介してる人への評価は、私は読書好きな真面目ちゃんで~す!とまでは思わなくなったものの、まだまだ本に読まれてる感が否めない。

よく言うでしょ。

本は読んでも読まれるなって。(異論&反論ノーサンキュー)

読書好きのイメージもずいぶんと変わった。

僕らの学生時代なら、純文学やリルケやハイネの詩集を読む少女は、ピュアで恋に恋する乙女のイメージで、汗臭い体育会系男子には、ピアノやバイオリンを弾ける少女と同格に扱われ憧れられたものだった。(異論&反論は受け付けん!)

けど、昨今、そんな少女は皆無。

そもそも今の時代、教室や木陰でこれみよがしに本を読んでる少女が居たら怖い。叫び

そういう奴に限って、愛と誠高原由紀のように、実は影の大番長だったりして。

仮に居たとしたって、読んでる内容は、ツルゲーネフ初恋でなく稲垣足穂等の少年愛物とか。

そういえば、ツルゲーネフという人は、面白い名言を幾つも残している。

生命をかけて愛した女が殺された(死んだ)時、何事も手につかないほど放心してしまうような人間は、男ではなく、ただのオスである。

人は、不幸か貧乏か勇気がないと、すぐに思いあがってしまう。

金は天下のまわりものだ。いつもこちらをよけてまわるのが気にくわないが。


特に最後の名言は、ごもっともで。

と、脇道に逸れたので軌道修正。

17世紀の哲学者ジョン・ロックの言葉を借りれば、読書は単に知識の材料を提供するだけで、それを自分のものにするには思索の力が不可欠。

要するに読み蓄えるだけじゃ駄目と言うことね。

勿論、読む本の選択を間違わなければ、読まないより読んだほうがいいことは確か。

空っぽの知識じゃ使いようがないけど、多くが詰まっていれば、使い方によっては役に立つこともあるからね。

作者の言葉や思想に感化されてしまう奴、それこそ本に読まれてしまった奴なのである。

本は読んでも読まれるなの意味が解ってもらえたかな?

で、何を書いてたんだっけ?

そうそう、今時、不特定多数の人間に向けて、本を読んでることを得意げに書かないほうがいいって言いたかったんだ。

まあ、タレントどもの場合は、宣伝に一役買ってる奴や人脈作りでやってる奴が多いから気にもしないけど、一般人の場合は、読むものによっては偏見や敵視の目を向けられかねないことをお忘れなく。

本で火がつくと怖いよ。

燃えちゃうもん。メラメラ

って、かぐや姫ライブの伊勢正三のシャレをチョコっと頂戴しました。