昨日も一昨日同様、若大将シリーズの中から日本一の若大将を見ながら晩酌ならぬ、昼酌なんぞを、、、と、観た映画が違うだけど、やってることは、殆ど同じ。
この映画は、昨日紹介したアルプスの若大将より4年も前に制作されたもので、若大将シリーズの3作目。
僕が一番好きなシリーズ2作目の銀座の若大将と同じ1962年に制作されたもので、マラソン部に所属してるんだけど、昨今、マラソンは、陸上部の中の1競技になってるけど、この当時は、マラソンは、別扱いだったんだろうか?
当時を知らない僕には、残念ながら判りかねます。
上の銀座の若大将のポスターに、スキーをやってる写真が有るんだけど、確かこの作品の中で、スキーをやってるシーンなんか無かったはずなんだけどな、、、
まあ、細かいことはどうだっていいか?
で、映画の他にもうひとつ違ってたものは、買い置きしてあった横浜の赤い焼豚が最後の1個だったので、昨日は、スモークレバー、スモークチーズ、鴨の燻製、燻製卵、、、と、燻製ずくし。
また、梅子桜子が1本空いてしまいました。
梅子桜子
そうそう、もうひとつ違ってたのは、一昨日は、ダイエットスプライトで割ったんだけど、昨日は、ただの炭酸水で割って飲んだんだけど、別にどうってことなかったみたい。
冷凍庫には、買いだめして有る冷凍食品がいっぱい有るんだけど、前に話したとおり、電子レンジが壊れちゃって、急遽、安いものを買ったんだけどさ、、、
既に生活の中で、有って当たり前に思ってるものって、壊れたり使えなくなったりした時に、初めて不便さに気がついて有り難さが判るものなんだな、、、って、改めて思ったりして。
僕らが子供の頃は、電子レンジどころか、テレビだって白黒だったし、携帯電話どころか、電話だって近所で有ったのは、僕の家を含めた数軒だけだった。
こんな話をすると、すごい田舎だったんじゃないかって思われるかもしれないけど、列記とした東京の足立区での話だ。
昨今の東京しか知らない奴等は、それは足立区だからで、新宿や渋谷ならもっと栄えてたんじゃないか?って、言う人も居るかも知れないけれど、当時の新宿や渋谷なんて、山手線の駅の周辺地域を除けば、まだまだ幽霊が出そうな、、、ってほどじゃないけれど、田んぼや畑が一杯有ったし、蹴飛ばせ屋根が落ちるような木造のボロ屋ばかりだった。
考えてみれば、パソコンだって、これだけ普及したのは、僅か12、3年のことだしね。
1980年代にパソコンなんかやってる奴は、仕事や関連する企業に勤めてるものか、一部のマニアで、尚且つ金持ちだけだった。
僕だってゲーム会社で、開発部の人間と関わりを持たなければ、始めようなんて思わなかったと思う。
けどさ、あの頃ってさ、見るもの聞くものの全てが新しいことばかりで、最初は、チンプンカンプンだったけど、知る毎にワクワクしてたものだった。
僕のデビュー機は、MSXが搭載されてたヤマハのミュージックコンポーザーのCX5で、会社に何機があったものをカッパらって自宅に持ち帰って使ってました。
ゲームよりも音楽機材として興味を持って、結局は、それを機に復活しようなんて考えちゃったんだよね。
それまでアナログ機しか所持してなかったのに、FM音源とかデジタル&Midiとか、それまで見たことも聞いたこともなかった音源やシンセネサイザーがバンバン市販されるようになって、気がついてみたら、高価な機材を所持することが、その道で名を馳せる第一条件のようになってたって感じ。
正直言って、それまでは、使用してても見えないところに隠してた機材をTMネットワークのように、使ってもいない機材まで晒すパフォーマンスは、商業的には成功したんだろうけど、古いタイプの僕らにとっては、なんか素人相手にハッタリをかましてるようにしか見えなくて、あまり気分の良いものじゃなかったし、業界が嫌な方向に流れてることを予感したよね。
けどまあ、そこそこの連中と知り合って、1台、また1台、、、と、シンセサイザーや録音機材の数が増えていって、その成れの果てが、僕のスタジオ。
インターネットが当たり前の世代の人たちには、その存在さえ知らないと思うけど、インターネットが世に普及する前のパソコン通信の時代は、実に楽しかった。
凄~く金も掛かったけどね。
まあ、あまり昔話をしてると、読んでる人たちから戦中派か疎開派に思われちゃいそうだから、突っ込んだ話は、また違う機会に、、、って言っておくけど、その機会が来るのを期待しないように!
さて、今日は、レントゲンの日と刃物の日ということになってます。
何故か、僕の周囲には、レントゲン技師が多いんですよね。
母親が看護婦をしてたことも有るんだけど、バイト先にも中学の先輩が技師やってたし、長く世話になった、、、というか、世話をした?高校時代の先輩も兄弟そろって技師だったし、ここ数年では、ソッチ?の世界で有名になっちゃったT君とか、、、
それはいいとして、僕は、前にも書いたけど、レントゲンであまり良い思い出が無いんだよね。
野生の証明のアメリカロケに向かう際に、急遽、健康診断書の提出が義務ずけられて、レントゲン撮影はしなくていいといわれてたのに、突然、やってないと許可できないって言われて行けなくなっちゃったり、筋肉バカをやってた頃は、毎年、胸部に白い影のようなものが、、、って言われて、再検査だったし、、、
刃物は、ナイフ限定で結構コレクションしてました。
ささやかなコレクションケース
日本刀も1本だけ持ってるけど、いわゆるコレクターって言うほどじゃないんだけど、時計同様に実用レベルでの収集って感じ。
それも晩年は、ビクトリノックスくらいにしか興味がなくなっちゃったしね。
コイツは、ひとつ持ってると便利ですよ。
ビクトリノックスは、十数年前に、カミさんがプレゼントしてくれのが切っ掛けで、今現在は、大小各種、20個くらい所持してます。
<今日の誕生花>
うめもどき(梅疑)
( 花言葉 = 明朗 )
美味そうですが、食用でなく観賞用だそうです。
パフィオペディルム Lady slipper
( 花言葉 = 気紛れ )
うめもどき(梅疑)
( 花言葉 = 明朗 )
梅に似た葉をもつので、梅擬と名づけられました。
落霜紅とも呼ばれますが、これは、霜が降りるころに実が色づくからなんだそうです。
落霜紅とも呼ばれますが、これは、霜が降りるころに実が色づくからなんだそうです。
美味そうですが、食用でなく観賞用だそうです。
そうそう、梅もどきと聞いて、亥の一番い思い出すのは、岡本正と、、、と思ったんだけど、梅もどきじゃなく梅まつりだった。
梅もどきと梅まつりじゃ全然違うので以下省略。
パフィオペディルム Lady slipper
( 花言葉 = 気紛れ )
見てのとおり、奇麗な洋蘭で、ワシントン条約で規制されてます。
一見、食虫植物にも見えますが、虫は、食わないようですね。
原生のものは、交配目的等で高価な値段で取引されてるようです。
まあ、そもそも蘭という花そのものが貧乏人には、縁のない花ですけどね。
日本では、江戸時代に既に入ってて、徳川家の水戸藩主が観賞用に育ててたそうで、その子孫?が水戸市植物園で見られます。
少年時代から植物に囲まれていたせいか、僕は、植物園って好き、、、っていうか、前にも1度書いたと思うけど、小学2年生の遠足の途中で、お昼を食べた千葉県松戸市に有る千葉大学の園芸学部に入って、造園技師になることを夢に思ってたことも有ったしね。
その夢の為に、、、ってわけでもないし、勿論、バカボンのパパに憧れてたわけでもないんだけど、とりあえず、造園技能士と園芸装飾技能士の資格だけは、持ってるけど、自分の趣味でするのはいいけど、仕事として他人に頼まれてやるのは、まっぴらゴメンかな、、、って、だったら資格なんかいらないってか?
知らない人も多いと思うけど、バカボンのパパは、植木職人なんですよ。
僕は、既にマンション住まいになっちゃってるし、これから庭付きの家に住むこともないだろうけど、その後、何かの縁があったとき、資格で許される範囲内(等級によって出来ないものも有る)でならやってあげられるじゃない?
ということで、季節によって様々な景観が楽しめる植物園が好きだし、尚且つ、人気がない冬の植物園も結構好きだったりして、、、