いよいよ年の瀬も迫って | 流離のロマンチストかく語りき

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何か書けと言われても、何と書いたらいいのか、、、、

とりあえず、暇な方は、ちょっとだけでもお立ち寄りくださいね。


ぼちぼと大掃除の季節になりました。


僕は、あまり信じちゃいませんが、風水では、汚れた部屋散らかった部屋には、良い運気が来ないとされてます。


風水の本によると、特にトイレ掃除をする男性には、金運が訪れ易く、お金持ちになる人が多いそうですが、もしそうだったら掃除のオジさんは、みんな大金持ちになってるって。


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な~んて書くと、来る運気も来なくなっちゃうので、ほどほどに信じることにしよう。


僕は、学生時代のクラブの新入部員時代だって、トイレ掃除どころか、部室の掃除や道場やランドすら掃除も整備もしたことがないし、何と言っても、僕の書斎は、返品でごった返してる何処かの倉庫と同じ状態だし。


そうか、そう考えれば、僕が金持ちになれない理由は、そういうことが原因だったのか・・・と、勝手に納得したりして。にひひ


よそれなら来年からは、トイレ掃除こそしないものの部屋の整理整頓くらいは、心掛けよう・・・と、強く心に刻んだのでありました。


少し気が早いですが、年越しソバの話なんぞをチョットだけ・・・


年越しソバを食べるの習慣は、昔、金(キン)細工をする職人が、散らばった金(キン)を集めるのに、ソバ粉を練った団子を使ってたことから、金(キン)を集める・・・から、お金(カネ)を集める・・・となり、お金を集める縁起のいい食べ物とされたことが、かなり大きな理由のひとつだといわれてます。


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世間一般に、よく言われてるソバのように、細く長く生きるからという定説は、誰かが適当に言ったデマが広がって定着したものなんだそうですよ。


まあ、縁起なんてものは、元を辿れば、大なり小なり似たようなものが多いですけどね。


皆さんの家では、大掃除年越しソバを食べる習慣ってありますか?


僕の家では、大掃除なんてやった記憶がないし、年越しソバに至っては、もう何十年も食べたこと無いな・・・


当家では、おせち料理雑煮なんかを年が明ける前から食べちゃうことが珍しいことじゃなかったので、多めに買ったり作ったりしておいて、重箱に詰めたものは、別に用意してました。


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大晦日用          正月



皆様方の家のおせち料理って、どんな感じでした?


1番上の重に、焼肉と白身魚のフライ・・・で、2番目の重に、白いご飯?



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1の重?           2の重?


それって、普通の弁当じゃねーか!!




しょうーもない話は、さておいて、相変わらず日本中でノロウィルスが猛威を振るっております。


皆様、くれぐれもお気をつけください。


また、既に感染しちゃってる方は、1日も早く完治することを願っております。



ということで、またまた話が変わって、今日は、テレホンカードの日なんだそうです。


1982年のこの日に、日本電信電話公社(現NTT)が東京の数寄屋橋公園に、カード式公衆電話の第1号機を設置したことを記念して、翌年より電電公社(現・NTT)が毎年12月23日をテレホンカードの日と制定したとされてます。


そういえば、最初に発行されたテレフォンカードは、たしか遊ぶ字シリーズだったと記憶してるけど、実際に観たことないんだよね。


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デザインは、岡本太郎氏によるものです。



後に、テレホンカードは、収集癖のある人たちには、切手のようなコレクターズアイテムになり、全盛期では、斉藤由貴西村知美等の企業物や販促物のテレカが何万、何十万というプレミアがつくいていましたが、昨今では、どうなんでしょうか?


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ちなみに、上の2枚をはじめ、企業の販促物やイベント物は、使わず持ってます。


特に麻薬・覚せい剤禍撲滅運動のマスコットキャラクターを勤めていた西村知美のカードは、毎年何枚かずつ貰って使わずに、実家の何処か?にあるはずです。


10年位前に麻薬・覚せい剤禍撲滅運動のキャンペーンに伴う式典が新宿厚生年金会館で行われて、西村知美は、勿論のこと、人気絶頂だったウインクのコンサートやMeldyとか制服向上委員会とかの馬鹿ねーちゃん達も一杯出ていて、麻薬覚せい剤について司会者が質問するコーナーが有ったんです。


司会者が麻薬や覚せい剤で思いつくものを何かひとつあげて下さいというと、ハーイ!と手を挙げたMeldyの誰か(名前を知らないので)が、元気良くトリカブトって答えたのも笑ったが、麻薬や覚せい剤に染まらない為にはどうしたら良いと思います?の質問に、制服向上委員会の誰か(名前を知らないので)が、必要以上にやらない!と答えて会場が大爆笑になったんだけど、司会者が真面目な顔で、必要な人なんていません!と言ったのも間抜けだったが、それに対して、え~!どうして~?って返した何名かが間抜けを通り越して、いとおしくさえ感じてしまった。


そういえば、今から10年くらい前に、カミさんが出入りしてた、さくら銀行(現・三井住友銀行)で、店内に貼ってあったタテ2mくらいある巨大な広末涼子のポスター数枚をはじめ、幾つもの販促グッズを貰ってきたことが有ったが、当時は、マニアの間では、10万とも20万とも言う値段で欲しがられたものだったけど、売り時を忘れてしまって、今現在も実家の押入れの中で眠ったままになって、今じゃ1000円でも売れないでしょうね。


NTTが上場する際、1株を120万で買った人が、天井時に手放さず、今でも持ってる人と同じですね。


まあ、僕の場合は、元手がタダだから悔しくもないけど・・・しょぼん


そういえば、東京タワーの完成式も1958年の今日でした。


東京生まれで東京育ちの僕にして、東京タワーの下にあるビルには、数え切れないほど遊びに行ったり、買い物に行ったりしてますが、実際に東京タワーの上の展望台に上ったことは、おそらく10回有るか無いかという程度ですね。


来たついでに上がろうと思っても、何時もエレベーター前に、観光バスで来てる人たちでが行列を作ってるので辞めちゃったことも何度かあったけどね。


そういえば何時からだったか、蝋人形館というのも常設されるようになってますが、こちらもせいぜい4、5回くらいしか入ったことが無いな・・・


小学校の2、3年生の時に、図工の時間に東京の絵を描かされた際、東京タワーの絵を描いて、出来のいい何枚かだけ校内に貼られたんだけど、絵の横に東京タワーと書いたつもりが、東京ターワと書き間違えてて、1日も早く取り外してくれないかな・・・って思いつつ、その側を通ってました。


その時の恥ずかしい思い出がトラウマになってて、曲でも小説でも作品を残す仕事をする際、どんなに金になったとしても、絶対に出来の悪い作品を後世に残したくないと思うようになりました。


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と言うわけで、構想10年以上・・・で、途中まで書いて、何年も放置したままの作品の数は、なんと20作品以上にもなります。


さて、死ぬまでに何作品、書き終えることが出来るでしょうか?