勿論、ここを読まれてる方々の年代によっては、つい数年前(なわけねーか?)って人も居れば、あまり昔過ぎて、殆ど記憶に無い人も居ると思います。
僕は・・・と言いますと、東京の片隅の足立区で、更にその片隅に住んでおりました。
他の地域については、存じ上げておりませんので、敢えて僕の知ってる昭和40年代の足立区の小学校という前提で書くことにします。
冬になると、何人かのオジサンが授業中の教室に入ってきて、煙突を点検&掃除しに来るんです。
そうすると、週明けにストーブが設置されてるんだなって思ったものでした。
当時のストーブは、石炭(コークス)を燃料にしたダルマストーブで、設置場所は、必ず教室の一番前の廊下側でした。
従って、ストーブを設置する時期になると、ストーブの近くの席の争奪戦ということになります。
僕の記憶では、何故かストーブの直ぐ近くの席だったことが多かったよね。
その代わり、温かい反面、授業なんかソッチのけで、滅茶苦茶眠くなるんです・・・
ちなみに、僕は、雪合戦の後に、ストーブを囲う金網に掛けて乾かしていたジャンパー(ブルゾンなんて絶対に言わねーぞ!)を焼き焦がしてしまった経験があります。
その時のことは、今でもハッキリ覚えているんだけど、お気に入りのジャンパーを焼き焦がして駄目にたショックよりも、学校の帰りにコレを着て帰るか?それとも寒さに耐えて着ないで帰るか?の選択に戸惑いました。
どうしてだったか自分でも理解に苦しみますが、その当時は、皆が登校する前にストーブに火をくべるストーブ係という役割が男子生徒の花形的存在だったようで、立候補してまでで、毎年セッセと火をくべておりました。
今考えると、先生にハメられたような気がするな・・・
でも、そのお陰?で、火をつける行為に対しての印象が面倒くさい、カッタるい、やるんじゃなかったという風にインプットされてしまって、放火犯になることも、ニコチン中毒になることもなく真っ当?な人生を送っております。
そうそう、先の写真は、40代以上の人たちには、結構泣けるでしょ?
例えば、こんな写真も嬉しくなってしまった。
山本君は、何時も手を上げる際に、Vサインで手を上げていて、 「 そこのピースの君 」 って指名されてました。
高校に入ってから僕が真似した事は、言うまでもありません。
ちょっと強引な展開になってしまうが、運動会とか学園祭のフィナーレって、どうしてフォークダンスを踊るんだろう?
失礼、これは、フォークダンスDE成子坂でした。
こっち↓のフォークダンスね。
しかも決まって、オクラホマ・ミキサーやジェンカっていうのも納得がいかなかった。
ちなみに(こればっか?)、僕は、フォークダンス・・・というより、盆踊りでもディスコでも踊ることに異常なくらいの反感と言うか嫌悪感のようなものを持っていて、何時もレコード係とかでサボってたし、先のいずれに於いても踊った記憶が無いんですよね。
なんか、チンタラとどうでもいいことを書いてしまいました。
正直言って、書く気力が失せております。
昨日は、1時間だけ急な仕事を受けてあげて、午後からは、戦利品?の蒸しアワビとローストビーフをツマミにジントニックを4杯飲んでフラフラに。
久々にリビングで居眠りなんぞをしていました。
そんなわけで、ネタ&ヒントになるモノを物色したり、気晴らしをしながら、なんとか継続しております。