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先生十二より此訳(川堤修復)に出でて以て勤む。


然れども年幼にして力足らず。


ここに於て夜半に至るまで草鞋を作り、翌未明その場に至り、


余若年にして一人の役に足らず、寸志なりといへども


草鞋を作り持ち来れり。


衆人その志の常ならざるを賞し、その草鞋をうけてその力を助く。


(報徳記)

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12歳から川の修理役を担った二宮尊徳氏の力では、あまりにも


幼く小さく、修理もままならなかった。



そこで夜中まで草鞋を作り、


「わたし一人では力不足でございまして、協力頂ける人々に、

 

 大したものではないけれど、草鞋を作ってきました。


 どうかご協力をいただけないでしょうか。」



みんなは、その心意気に心を打たれ、草鞋を受け取って


川の修理に力を注いだということだ。




もう、英雄としか言いようがないこの天才。


一人の力は小さいけれど、みんなの力はとても大きい。


でもその力を生み出す源は、やはり一人の想いに拠る。




成し遂げなければならないことがあったとして、


それを自分以外の誰もが目を背けてしまっていたとしても、


やはり一人で行うことが出来ないなら、協力を求めるべきで


うまくいったとしても、それを自分の手柄だと思うことなく、


協力頂けたことに、ただひたすら感謝をすることだけを、


心から大切にしていくだけで、多くの人が手を差し伸べる、




手柄など、吹聴しなくても、自分がもっともっと頑張ったら


結果は自ずと出てくるし、出てくるまでやってこそ努力だ。




結果も出ていないのに、ほかの事を頑張っているから、


評価して欲しいなどとナメたことを言ってはいけない。




世の中は、結果が全てであり、それで判断されるのだから。




それをブーブー言うのは、間違っているのだ。




野球選手が審判に文句を言うなら、機械でやればいいのだ。


それをしないのは、そこに審判がいてドラマがあるからだ。




野球選手は、審判に文句があるなら、野球をやめるべき。




結果で判断されることが嫌なら、ビジネスマンなど、


やるべきではないのだ。




ビジネスマンは給与を貰って価値を生み出しているからこそ


給与という対価を貰って生活を営むことができるのだ。



お客様が、自分の行動を評価すること、そして結果が出る


という極めて平等なルールが嫌なら、社会に出てはいけない。




親はそういった平等なルールの下、競争を勝ち抜くために

子供が智恵、礼儀、仁義、道義を学べるようにしないと

親の務めを果たせたと言えないのではないかと。