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先生僅かに五歳、酒匂川洪水大口の堤を破り数ヶ村流亡す。
此の時利右衛門の田圃一畝も残らず悉く石河原となる。
素より赤貧、加ふるに此の水害に罹り、艱難弥々迫り、
三子を養ふに心力を労すること幾千万、
先生終身言この事に及べば必ず涕泣して、
父母の大恩無量なることを云ふ。
(報徳記)
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わずか5歳のときの大洪水で、村がボロボロになった。
元々が貧乏だったのに加え、この水害によってよい過酷な
生活を強いられてきたにもかかわらず、3人の子供を
しっかりと育ててきた両親に対すること。
尊徳先生は、このことを話すときにはいつも涙を流し、
ご両親に対する感謝の念を語っておられた。
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最近、パチンコ屋で生まれたての赤子が死んでいるのが
みつかったというニュースを耳にしました。
子どもを授かる人もいれば、授からない人もいます。
愛情をかけたい、子どもが欲しくてたまらない、という
そんな人ほど子宝に恵まれない不条理もありますね。
一方で、子どもなんて欲しくなかったのに、世間体から
中絶出来ないから生まれてしまった、なんて人もいて。
如何ともし難い不条理がありますね、どうにも。
親として子どもを授かった以上、そのことに心から感謝
をして、幸せに生きる力をつけて、世に送り出すこと、
それが親の務めだし、人間としての当然の行為かと。
どうして、当たり前のことが出来ないんだろうかと
思うところがありますが、とにかく生きている意味が
あまりにも希薄な場合が多いのかも。
せっかく生まれたんなら楽しんで生きていこうという
考えを持つ親の子どもが、望まれずに生まれることも
あるのでしょうか。あまり想像がつきません。
要は、親が人生に真正面からぶち当たっているのか、
ということに尽きるのではないかと思ったり。
楽しそうに生きていると周囲から言われていたとして
本当に苦しみ、悲しみ、が無い人なんていませんし。
それを、どうにかこうにか、心に折り合いをつけて
常日頃から、その所与の事実を前向きに、合理的に
心に受け止め、明日また明るく生きていくって。
日々は、それの繰り返しだろうよ、と思うわけです。
事業の運営は、人間教育であるべしと考えています。
明るい未来を想像する子どもが増えるのに、親が
ふさぎこんでいて、実現する気がしません。
強い親を育てる器が出来たら嬉しいです。