会津旅行【2日目・大内宿】 | 新しいブログ名考え中

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最近(2022年)はちいかわについて書いています



前回の続きです。




トロッコ電車に乗って芦ノ牧温泉駅から約25分。
降りたのは湯野上温泉駅、という駅です!

今から目指すのは“大内宿”という所。




【大内宿】
というのは、江戸時代の宿場町の町並みがそのまま取り残された場所です。

江戸時代は、会津地方と日光方面を結ぶ重要な街道の途中にある宿場町として栄えたこのあたり。参勤交代 (徳川幕府が、地方の藩が知らないうちにいつの間にか力を蓄えないように、藩主を一年おきに江戸まで来ることを命じた制度) で、白河や会津などの藩はここで旅の疲れを癒やしたと言うわけです。

戊辰戦争を経て明治時代になってもなおこの町は残り続けるのですが、明治時代に近くに国道が開通すると、突然この宿場町からは人がいなくなってしまい、大内宿の存在は忘れられてしまいます。

忘れ去られたまま、大内宿は近代化の波を受けることもなく開発を免れ、今に至るまで江戸時代の町並みを残している、と言うわけです。



平成に入りここが再発見されてから、この地域は国指定の重要歴史的建造物群に指定され、町ごと保護されているというわけです。今では観光地化して、家々の住人が観光客相手にお土産屋名物を売っている、という訳です。







自家用車で訪れる観光客が多いようですが、徒歩の人は会津鉄道のこの湯野上温泉駅で降りるのが一番です。
この駅から大内宿まで直行で行ってくれる“猿游号”というバスがあります。


この猿游号、広田タクシーという会社が管理しているのですが、この車両が随分立派!!ロンドンのレトロタクシーを意識したものだそうで、中にはほんとにロンドンの会社で生産された物もあります。
どの車両にも、宮沢賢治の小説に出てくる登場人物の名前が愛称で付けられているそうです。





あ、バスに乗る前に湯野上温泉の駅前のお土産屋で、お土産見ました。
帰りにえりんちゃんにこれ買って帰ろう!!って目星もつけましたよ!




沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

↑猿游号。

宮沢賢治、ときいてへぇ!!と思ったのですが、よく考えてみるとここ会津と宮沢賢治はあんまりゆかりがないのでは?宮沢賢治は岩手の人ですよね?
…………………………まあ、細かいことは気にしません。笑




猿游号に乗っている人はみんな大内宿目当ての人なので、ちゃんとガイドの人が乗っています。
ガイドの人が、駅から大内宿に着くまでにパンフレットとか地図を配って、どういう風な味方がオススメか、解説してくれます。



15分くらい乗ったら大内宿の入り口までつきました!
あ、ちなみに荷物はバスで預かってくれますよ。帰りも同じバスが、1時間半くらいしたら迎えに来てくれるのです。1時間半以上いたい、という人は次のバスに乗ることも出来るので、そういう人は荷物は持っていった方がいいかも。







バスの停留所からちょっと歩いて、着きました~~



沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

↑こんな感じで、真ん中に太い道があって、側溝に水が流れていて、さらにその外側に測道があって、昔の家々があります。

この水は、江戸時代の出来た当初は真ん中の太い道の中心を流れていたらしいんですが、一度改修があって、その時に今の感じになったそうです。


水はほんとに冷たくて、きもちいい!!
多くのお店が、自分の家の前の側溝の清流で、いろんなものを冷やして売っていました。きゅうりとかトマトとか。ここではラムネですね~~





この写真じゃ分かりづらいけど、雰囲気としては夏祭りの屋台が並んでいるあの感じです。人が沢山いて盛り上がっていましたよ~~
子供連れとかカップルとか、結構年齢層が低くて驚きました。



沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。



一番奥の店から裏の小高い山に登って、大内宿の町並みを上から眺めることも出来ます。







沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。


ヤブカンゾウの花と一緒に、芸術的ワンショット。

もうちょっと花が上に来たら良いんですけどね、その写真はぶれてたのでこっちを載せました。

もうちょっと明るくできたら良いんだけどなぁ~~、パソコン上だとなぜか暗くなってしまいます。





家の中を見学させてくれる家もあります。
江戸時代からあるとは言え、何度か改修したりして今も現役として実際に使われている家ばかりですので、なかなか中を見学出来る家はないのですがね。

さっきの小高い山に比較的近い家だったと思いますが、名前は忘れちゃいました。
おとな200円で見学出来ます。



名主さんの家だったらしく、結構広い家です。
江戸時代は馬借 (長旅で疲れた馬を預かり、代わりに元気な馬を貸す) をやっていたそうで、明治に入ってからは郵便局の代わりをやったりもしたそうです。

結構いろんなものが展示されて、写真も撮ったのですがあんまり写りがよくない汗

マシだったのだけ紹介しますね。

沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

↑これは戊辰戦争で使われた実際の大砲の弾です。
すごく重くて、これは中に爆薬とか入って無くても相当な威力でしょ、という感じ。

説明文で、官軍(薩長連合の軍隊。普通歴史の勉強をすると、新政府軍とか習いますね。)の事を“西軍”と書いていたのが印象的でした。
ここは最後まで幕府の味方をして官軍に立ち向かった会津藩のお膝元で、この地域の人たちは、やっぱり今でも薩摩や長州は我が敵だ、という思いが強いのでしょうね。

僕もどちらかというと、戊辰戦争の話を聞くと幕府軍の味方をしてしまいます。






沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

↑名物しんごろう。

大内宿では、どこの店でも“名物”とかいって色々なものを売っています。笑

特にネギそば、というのは本当の名物で、多くの店が出しています。ネギそばというのは、箸の代わりにネギを使ってそばをつまんで食べるざるそばのことであります。
ネギそばは、今でこそ色んな店で出していますが、元祖で一番最初に出したのは三澤屋、という店で、そこは元祖と言うことですごく行列していて、まるでラーメン二郎のようです。



僕らは、ネギそばを食べていると時間があっという間に過ぎてしまうのでネギそばはやめました。

代わりに食べたのがこのしんごろう、というやつです。
おじさんが座って炭で焼いていました。
コメを半搗きにして、アメリカンドッグのように竹串を差し、表面に“じゅうべえ味噌”という、エゴマ入りの味噌を塗って焼いたものです。



いやー、これすごく美味しかった!!!






その後もしばらく町を練り歩いていたんですが、こんなものを見つけました。


沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。


美人専用の席。笑


だれも座ってません。笑笑笑


沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。


こんなけしからん席を作っていたのは、このお店です!


沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。


それからこのうちでは、ハチを飼っています。
軒下に丸い物が何個かつり下がっているでしょ?
あれは、茅を束にしたものなのです。
茅って、ストローみたいになってて、その中にハチが巣を作っているのです。このハチは何とかという蜜蜂の仲間で、だけど蜜蜂の何倍も仕事率が良いハチなんだそうです。




沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

↑ナミアゲハとお店。

父親が5コで100円のトマトを買ったんですけど、重いからと言って全部自分で食べてしまい、母親と弟と喧嘩してましたww






沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。




楽しかった~~~

もっとじっくり見たかったです。





あとは湯野上温泉の駅までさっきの猿游号に乗って帰りました。
駅では、さっき来る時に見ておいた“起きあがり小法師”を買いました。


沈め!団亀供の鬱寥はむぅんらいとの湿原に。

いろいろ御利益があるんですが、そんなことより僕はこのアンニュイな顔が好きですね~
ぶさかわってやつですか、可愛い!

あ、これはお土産にしたやつじゃありませんよ!えりんちゃんにはちゃんと未開封の物を差し上げました。笑




帰りはまた電車に3時間半くらい乗って帰りましたとさ!!
うんうん、今回は内容が詰まった楽しい旅行でした!