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2015-01-25 16:05:00

雄三です。「俳句」について

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 簡単に創れるならと、僕も俳句を作ってみた。これまで俳句など作ったことはなく、指折り数えるのは小学校以来だ。創る前から、自負心や対抗心が出てくるのが自分で分かる。だから雄三の「夢理論」で創る事にした。昼寝しながら、俳句が浮かぶのを待った。そしたら、自分で気に入った俳句が浮かび上がった。

孤独寒 自販飲料 てのひらに

道路濡れ 仁王立ちする 2歳の子

離乳食 伺う目つきの 母の猫

花柄の 布と髪とが 岸で舞う

手枕で 応なく否なく 空泳ぐ

妻が寝て 部屋に滝落ち 竜走る



 僕の産まれた、金沢市の郊外の松任は「加賀の千代女」の生誕の地。朝顔に 釣瓶とられて もらい水」は有名だが、千代女は30代の半ばから十年間、ほぼ俳句を作っていない。

 実家は裕福な表具屋で、金沢の足軽の家に嫁ぐが、夫と死別し、実家に戻っている。その後、父親が亡くなり、続いて跡継ぎの兄とも死別している。彼女は一家の大黒柱となるしかなかった。俳壇でスターになり、その後商売人となったのだから、世間の風当たりも優しくなかったろうと想像する。

家業が傾いて、人一倍の苦労が日々あったのだろう。

 

僕の母親は「貰い湯」の話をよくしていた。夕食もそこそこに風呂の支度、客のお茶出しと、休まる間もなく、自分の風呂は最後。お湯は少なく、ドロドロだったとか。

千代女の句。

「朝がほや 宵に残りし 針しごと」


夜なべ仕事を終えても苦労を分ち合えるのは朝顔だけ。千代女の句は自然を詠んでいて、苦労事は微塵も句に現れない。

 「牛も起きて つくづくと見る すみれかな」

 表具屋は襖・障子を山のように積んで運ぶ事が多かったろう。力仕事の合間に野の花を見て美を感じたに違いない。実業に身を置いたからこそ分かる花鳥風月。

 千代女の句集には載っていないが、僕はてみれば 森には森の 暑さかな」が好きだ。どこに行っても苦労があるって事で、創作一本やりの人生ではなかったから、こんなユーモラスな句が読めたのだろう。

 

 52歳で、家督を職人夫婦に譲り、剃髪して「千代尼」と名乗るようになり、俳句のみの生活に入る。



 こんな千代女の背景があるのか、母も叔母たちも、従妹たちも句会に入り、定期的に冊子を発行している。叔母の句の「ウドの科の香の リュックを垣根に 逆さ干し」が、僕のお気に入り。その叔母の葬式には、俳句仲間が焼香時に、お棺に向かって一句ずつ読み上げていた。勘当的だったよ。


 僕は創作行為には、現実の暮らしや苦労があるからこそ、と思っています。

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2015-01-25 08:02:20

森田雄三Mws#26 20分劇場、思いつきと俳句

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20分劇場、思いつきと俳句


   吉村順子




24の投稿では、たまたまその場にお茶しにきていた幼児を連れた常連さんに、雄三さんがいきなり稽古をデモンストレーションしたいから、と頼んで、稽古椅子に座って貰った状況を取り上げました。すばらしいと見ていた私も思ったのは、


雄三「なんでもいいから思いついたこと言って」

に、ほんの少し静かに目を内側に向けたのちすぐに、


「両方の実家から海苔をたくさん送られてきて」

と一斗缶のようなものいっぱいに、孫が好きだと言った海苔を双方の実家から送り届けられたエピソード。そのことを愚痴るでなく、姑への不満でなく、ただ淡々とつやつやと、黒いうまそうなものがたんまりと台所に置かれている状況そのものへの手放しの困惑を言うだけ。


あんまりの自然な声に、あたりで遊んでいる2歳に満たない男の子も、ちらともお母さんを見ません。日常そのものに安心仕切っているのです。

俳句だな、と思いました。


ただ、黒い海苔がたくさんある台所。孫への溢れんばかりの愛情が、直球でジジババから送られてくる、滑稽。無邪気に喜んでいるだろう男児の健やかさ。湿気るし、場所とるなあ、肉でもよかったんじゃね?とか思うお母さんの現実味。ふーん、とにやにやするだけのお父さんの及び腰。


そんなものが、いきなりの稽古で話し出された普段の声の数十秒で、すべて私たちに届いてしまう。


俳句という文芸は、伝統的な文学手法だとか、一茶や蕪村の句だけが有名で、ありがたくて、と思われがちですが、本当にびっくりするぐらい、誰にでもすぐできてしまう。ただ、みんな、なんとなく自分にできるとは思わずに遠巻きにしています。いえ、ただ、調子に乗って言ってしまえばいいだけのこと。俳句も、初心者が最高点をとることがおおいにある遊びです。


俳句は、およそ3語からなる短詩です。

・それぞれの語は付かず離れずあんまりお互いに説明しあわないことが大切。

・感情や感想の語は入れずに、徹底的に具体で想像させる。

・俳句には季語という縛りがあり、その縛りが、余計なセンチメントを排除する。

・詠嘆や、強調の切れ字があるけれど、それは一句に一つだけしか使わない。


まあ、こんなルールがあります。

だれにでも今からすぐに、つくろうと思ったらできる。俳句も演劇も。20分劇場思いつき篇は、私たちの身体に染み付いている文芸を、口語に置き換えてみるということなのだと思います。


つまり、そんなに突飛なことではないのです。俳句を演劇にする。そして、俳句も演劇も日常の身体の言葉だと考える身体を作る、それがこのワークショップだと思います。

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2015-01-25 03:34:14

雄三です。僕の「夢」論。

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 僕が劇団に入った18歳の時の、最初の授業は芥川比呂志(芥川龍之介の長男)で、当時は名優であり、演出家としても群を抜いていた。20名の僕ら俳優の卵を前にして、芥川さんは「人を殺す夢を見たことがある人?」と質問して、挙手させた。僕らのほとんどは手を上げなかったと思う。無論、僕も「人殺しの夢」なんて見ていなかった。

芥川さんは「人を殺した夢を見ないと、戯曲は読めません」と言い切った。僕は何のことかわからなかった。

数年後、24歳の時に「人を殺す夢」を見て目を覚ました。その人の背後の上方から首筋に短剣を突き刺したのだ。返り血を浴びたような生々しさに、しばらくは布団に正座していたような記憶がある。それよりもショックだったのは、殺した相手が「師匠」に当たる人だった事だ。芥川さんが言っていたのはこの事かと、理屈では説明が付かない「衝動のようなもの」と理解した。

この頃は、アンチテアトル・アンチロマンの用語が出始めて、「劇的の反対」が演劇や小説に取り入れられていた。日常性というやつですね。


この「殺人のような劇的」と「退屈な日常」を、見事に描いた映画、ゴダール監督の「気狂いピエロ」が、その頃、爆発的な人気を博していた。

金持ちの主人公が、ベビーシッターに頼んだ女の子とアバンチュールを楽しむというのが、冒頭の場面。彼女の家でベットを共にしたらしい主人公が、朝日が当たるテーブルで彼女と朝食を取っている。幸せな風景だ。が、カメラがパーンすると大型冷蔵庫が映し出されて、その冷蔵庫にヤクザらしき死体が血を流して押し込まれている。それでも、カメラが二人を映し出すと、主人公とか女の子は変わらず、楽しげに食事を続けている。

後半で、筋らしきものが分かってくると、彼女はヤクザの情婦で、主人公は護衛のヤクザを殺したってことだ。二人の逃避行が延々と映し出される。この逃避行がスリリングであるはずなのに、二人はすぐに退屈する。

当時の若者を虜にした映画「気狂ピエロ」は、劇的な時代の終焉と退屈のやりきれなさを描いているのを僕は理解した。退屈さが人生の最大の苦難というのが描かれたのだ。

この映画が象徴するように、絵画や音楽・ダンスといった創作作品が「単調な繰り返し」を主旋律とするものになっていった。この芸術家たちの創作物がフードバックして、生活での物の見方が変わったと思っている。


例えば、戦争を兵士たちの苦役と見るよりも、戦場でのする事のない無駄さがクローズアップされたというのかな。苦難を滑稽として見る風潮がでてきたともいえる。

当時「シラケ世代」というのが流行語となった。経済的には「豊か」になり、大量生産に大量消費が始まった。「飽食の時代」の兆しがあった。「気狂いピエロ」には、広告の看板が脈絡なく映し出されている。

僕は人間の在り方が変わったと思ったんですね。人間も大量消費財の一部として考えるべきだろうということね。人間の個人の「思い」にしても、大量工業製品の一部と考えたんです。「悩み」を部品の一個に過ぎない。固有のものではなく、皆に共通する事としてとらえると、「恋の悩み」なんて、麻疹のようなものとなる。個人的な悩みと思っている分、笑える。

だから、「人殺しの夢」って、個人的な分、陳腐な体験となる。芥川さんが、役者の卵に教えてくれた「劇的なもの」には見向きもしないということだ。シェークスピア劇は絵本のようになってしまったのです。「悩み・苦しむ人」のオンパレード。

僕の見解を言うと、「劇的な夢」を見なくなったということですね。唯一残された「性に関する夢」も、エロビデオによって自慰行為が容認されて、夢精をしなくなった。セックスの夢を見て、生々しく目を覚まさなくなったってことだ。

夢は健全になったといえるのではなかろうか。

こう書くのは間違いで、「夢が健全化された」ということは、「不安」「怖い事」が、もっともっと奥にしまい込まれて、本人も周りも取り出すことは不可能になったのではあるまいか。


僕が扱う「夢」は、日常の退屈さの反映であり、ある意味「平和な時代のノスタルジー」と思っている。病的な夢や妄想を喋る参加者には、出来るだけ突っ込まないようにしている。触れまいとしている。


が、来るもの拒まずでWSをやっているから、「危ない人」も来るが、幸か不幸か、僕は、その手の人の判別がつかないから、普通に接する。不思議なもので、異常に高揚したり、感情の制御が利かなくなった参加者は、プロデユーサーの清子に訴えるようだ。

𠮷村さんが書いているように、このWSはチームワークで成り立っているのだろう。要所要所で吉村さんの助言も頂くが、それも清子を通しての事が多い。







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2015-01-24 15:32:07

森田雄三Mws#25 だれでも天才になれます!

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1月23日「だれでも天才になれる」という森田雄三語録の記事を参照したいと思います。まず、夢を思い出すという課題。雄三さんは普段は覚えていないのだそうですが、記憶しようとしたら、思い出せたみたい。毎夜毎夜、こんなに豊かなイメージを体験して、放逐していることにまず、おどろき。そして、これを稽古に使おうというのですね。以下引用

「僕の最近発見した稽古法は、夢の力を利用しようというものだ。夢を思い出してもらうのではなく、頭に浮かんだことを口にしてもらう。ただそれだけ。」

「この状態が創作の原点であり、この境地だと、小説もかければ、音楽も作れるにきまっている。芝居を20分の稽古で作れる。」



これを、フロイト、精神分析の夢分析と自由連想法だと指摘するだけではんなにも面白くない。自由連想法は、催眠下での自由想起のやりとりが、分析をする人とされる人の相互依存を強めることから、覚醒した状態で、リラックスして、しかも治療者は背後に座って、姿を視野にいれないという条件で、思いつくままになんでも口に出すように指示し、それを週に2回程度数年続けて自分の無意識を探索していこうというもの。



20世紀の最初には確立された技法を、なぜ、今までアートに使わなかったのか、ということを指摘したい。もちろん、自由連想を含む精神分析治療は、患者と分析家の間に強い転移、逆転移を起こすので、分析の枠、つま

り、精神分析家と患者の間には普段の関係を断ち、時間や空間を限定するという制限をかけます。そうしないと、自分の内面にある無意識の内容を現実に目の前にある分析家との関係に取り込んでしまいやすいから。


で、一方、雄三さん。夢から思いついたと言いながら、そこは簡略に、ただ


原則は

「思いついたことを口に出す」ということだけ。稽古の場で、自分の脳は通さずに、しかもその場の関係性で話してもいいかな、と思えることだけ、話せばいい。


だから、この稽古は、無理強いをしないというのが、原則だと思います。いや、いつだって無理強いなんてしないけれど、人によっては、

「今、無理」

「今この関係性ではやめておこう」ということがそれこそ、脳を通さずに口に封をするはず。


口をついて出ないときは、どんどん次の人に替わっていけばいい。見ていると、自分の中でこの場の人と共有してみたいな、という「思いついたことがら」

が出てくるはず。


思いつかなければ、すぐに替わる、もしくは、別のアプローチにかえるという、応変なやり方さえすれば、これは面白いものができること請け合いです。画期的だし。もともと20分の稽古ならば、うまくいかなくても、時間のロスはなし。


面白くないことを言うと言われそうと承知の上で私の立場から言っておく

と、自我の弱い人はやらない方がいいです。子ども、思春期、今ちょっと職場や家庭で弱っている人。きっとこの稽古で、救われる方へいくことが多い。でも、もしかしたら、自分で支えられなくなることまで口をついて出てしまったら。その場では高揚した感じを持ちながら、症状になったり、気に病んだり、なんとなく身体に出たりということもあると思います。



ただ、雄三さんは、こういうことにものすごい勘が働く。どんなに人がうっかり言いたくなかった自分のこだわっている部分をワークショップで口にしても、結局その人が自己受容できるような結果にもっていく。それは才能として、人柄として、そしてバックにそれを支える清子の存在があることによって、大丈夫なのです。



で、同じやり方を定式化して、他の人が試すことに困難があるのも、そういう個人とユニットのもつパワーをそのまま人は真似することができないからなんですね。雄三さんが不死身でないなら、いつか、このワークショップは消えてしまうのか、ショッパーズ同士でその話題になることもあります。もしかしたら、Mワークショップは、形を変えなくては存続しないのではないかと思います。言い換えれば、その人、その人によってのMワークショップが存続していく、そういうポテンシャルだけは、注入されてると思います。


雄三ワークショップとせずに、Mワークショップとこのブログで呼んだのは、そういう意味でもあります。あなたなら、Mで始まるどんなキーワードで、この試みを続けていかれるでしょうか。それも、楽しみの一つです。

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2015-01-23 21:18:55

森田雄三 Mws#24夢みたいな稽古法、思いつきを言う

テーマ:WS

金曜の午後、楽ちん堂に打ち合わせに行くと、仕事財団の方がいらっしゃっていました。楽ちん堂の新しい60歳以上を対象としたお仕事発見業務、「せめて週一」の打ち合わせです。2月6日の2時半ころから、プレイベントもあります。事務方のお二人。丁寧に関心をもって話しを聞いてくださいます。女将も説明に熱が入る。時間がたりないほどです。


ひと通りの業務内容を理解いただいた上で、雄三さんは、お茶に来ていた常連の女性に頼みます。


たまたま金曜の午後に立っちができるようになった男の子を連れてホットジンジャーを飲みに来ていたお母さん(ワークショッパー)に、前に出てなんか演るように雄三さんが依頼。子どもはその辺りを自由に遊び回っていて、母が自然に普段の口調で何か言い出しても、とくに注意を向けることはない。以下、稽古。



Aさん 両方の実家から海苔が届いたんだけど、あの海苔どうやって消費しようかな。大輔、海苔好きだって言ったけど。一斗缶みたいな海苔が届いて、


雄三 これでいいわけね。

浮かんだことの話しから。人に説明しているわけでなく。

人が何をしてるかっていうとほとんどの時間を人に説明するためじゃなく話している。いちばん心を許したときに人に話す感じ。これが家族であり、愛情であると。説明する演技作法から離れて、素になる状況をみたいと(客は)思うんじゃないかな。

前に出て、ただ思いついたことをしゃべる。

Aさんに向かって)お母さん(Aさんのお母さん)やって。



Aさん あき子、どがんね、風邪は?

まあだ鼻声ね、大輔は?大ちゃん替わって。おばあちゃんよー、元気しとんね、あらいっちょしゃべらんね、はい、おりこうさん

おかあさん替わって、



雄三 妹演って


Aさん 姉ちゃん、元気しとう?あ~ん、話しのあっと、すぐ切ろうとせんと、電話。

いやいや、あのね、バーバリーのコート7万であったと。いやいや、電話代はお母さんに払ってもらってるよ。まあ、今送るね、着たとこお、大事なことやって。


雄三 お兄ちゃん演って


Aさん 大輔、大輔、おじちゃんだよー。おいおいおいおいー、おじちゃんにパス、こっちやろ、こっち。

こどもはね、かわいかねえ。


雄三 こういうふうにできちゃうわけ、できない人はいないわけ。

意外な一面だからって、本人にとってあたり前のこと。これだけ個人は才能があると思ってる。修練しなくてもできるってことを知らせたいのね。


雄三 見せると、そうかなあ、と思う。自分もできと(客も)思う。

子どもがいるところでできちゃうとこがおもしろい。

これを老人が、死ぬと思ったとき、すごいインパクトがある。一瞬だ。そこをひろっていくとまた違ったものができていくのじゃないかな。

年寄りの一番の問題はどうやったらえばらないところを出さずにおれるか、えばると、見る人聞く人が離れていっちゃうと。奥さんならわかるけど。この問題を解消していくと。年寄りって働くと好きだし、なんかできるんじゃないかな。






気負いもなく、指示されたことを頭でなく、口から出て行くことをただ、するすると出していくだけの稽古。こういう親子のやりとりをそのまんま、舞台という枠にあげて見せよう、観ようというのが、20分劇場。その詳細は、昨日の雄三語録を参照してください。また、そのことについて、付け加えようと思います。

20世紀にフロイトが蘇った、って。



















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2015-01-22 19:03:22

雄三です。文章化されることがない田舎のルール。

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 僕は北陸の農村の育ちだから、廃れた習慣を知っている。

 例えば、祖父母の葬式の時は、近所の人たちが集まって、板戸や襖、障子を外して、あっという間に我が家を広間にした。台所には集落の婦人が占領して、その家の食事や宴会の料理を作る。祭壇を設え、遺体を焼くのも近所の男たち。村外れの共同の焼き場で若い衆が一晩かけて遺体を骨にする。

 この時に、葬儀料の支払いがあったかもしれないが、子供の僕は知らない。多分、共同相互援助のシステムがあり、大した金が掛らなかったんじゃないかな。

地方の農村には、僕の子供の頃まで、「貨幣経済以前のシステム」が残っていたということだ。学校では「物々交換」と習う。だから僕は「物々交換」の世に生まれ、育ったといえる。

 結婚式もそうだが、宴席には村の男たちが並び、料理と給仕は村の女性の仕事だった。子供の僕らの楽しみは、宴席から父親が持ち帰るご馳走。男たちは、宴席に並べられた料理に箸をつける事はなく、家族に持ち帰るのが仕来りだったのです。これが分からないと、単なる男尊女卑となってしまう。

 

 貨幣経済による人間関係は、定価があるから、物のやり取りはその場で決着が付きシンプル。それ以前の「物々交換」の人間関係だと、大根でも野菜でも、何でもいいが、「それを分けて欲しい」というのは出来るだけ避ける。その代り「食べてください」と分け与えられるよう仕向けるのが重要。物のやり取りにはノウハウがあったと思ってください。

 「分けて欲しい」「手伝って欲しい」と頼まれると、拒絶は出来ないルールがあるからです。拒絶は関係を壊す危険があるからだ。

 ですから、分け与える側(金持ち)は、貰った側(貧乏)に負担を掛けないのが美徳となる。「余ったから」「美味しくもないですけど」というへりくだりが重要。「歯のはざかりですけど」というフレーズが、僕の記憶にある。「歯に挟まるゴミにしかなりませんけど」という意味なのです。謙譲語は各地で様々なフレーズとして発展したのだろう。

 「物々交換」も経済だから、「貰いっぱなし」というわけにはいかない。経済システムだから、貰ったものと「同等のお返し」をしなければならない。そのお礼も、向こうの好意に対するお礼という形をとる。だから、お返しする側も「行為に対する返礼」を外すわけにはいかない。

 この物々交換の時代の、「貨幣」に当たるのが「恩義」。だれしも「恩義」の貸借対照表を持たねばならない。まぁー「恩義のルール」と言ってもいいが、「恩に厚い」は「よく物をくれる人」で「恩知らず」は「返礼をしない人」で、「恩返し」「恩を売る」「恩にきる」「恩着せがましい」などなど、様々なフレーズが今でも残っている。



「恩」と「お金」のルールの違いは、「恩」は自主的でなければならないのです。これが鉄則。お金と違って「恩を返してくれ」はありえない。恩を受けた側の「自主的返済」の道を閉ざす事になり、恩を受けた側は「人間としての道を閉ざされた」という事になり、「怨み」を抱いてもいいという事になる。「物々交換」の社会では、借金を取り立てると「怨まれる」ということです。

 良い悪は別にして、僕はその社会を知っていて、地方のWSでは「物々交換」の記憶を、参加者に思い出してもらった。

 魚津では「贈答品の遣り取り」を取り上げた。「詰まらないものですが」に対して「受け取れません」を繰り返す、物々交換の時代にはよくあった光景。

 贈答品を差し出す年配女性は「うちの婆ぁーちゃんが、医者に行くときにお宅の車に便乗させてもらって助かっています」。に対して、「ついでに乗ってもらっているだけや」と固辞する。

 で、受け取る切っ掛けが「あら、ダイワのデパート(北陸では一流デパート)の包み紙や」「そや、富山まで行って買うてきたんや」「あらまぁー、気の毒に」と返礼の為に品物を準備したというのが大事なのだ。それも、聞かれてから答えねばならない。聞かれもしないのに「一流デパート」をひけらかすと「恩を着せがましい」になりかねない。

 素人の主婦が、即興で台詞を喋っているのだが、それは贈答のノウハウを心得ているから成立するし、観客も笑うのです。

 魚津の主婦がイキイキと演じられるということは、日本の各地に「物々交換」のノウハウが生きているという事だろう。というか、「恩義」の精神は、現代人には不可解なまま、残っているという事だ。外国

人には「お中元」や「お歳暮」の意味が全く分からないとか。お金持ちの家に「石鹸」や「てんぷら油」を何故プレゼントするのと言っていた。






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2015-01-22 08:46:46

森田雄三 Mws#23 2006年魚津ワークショップより

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昨夜の「雄三です」投稿にあるとおり、雄三さんは石川県の鶴来地方から開ける平野農村の生まれ育ち。そこでのプライバシーのない日常を忌避しながらもしみついています。それがワークショップに生かされたのが、2006年富山県魚津のワークショップ。以下当時のレポートから引用します。





魚津に行ってくると言うと、5人のうち3人までは、静岡の?と聞き返します。

「それは、沼津」

魚津、は富山の少し新潟より、富山湾に面した漁港です。ここはホタルイカの水揚げ港として有名です。金沢に住んでいた10年ほど前。友達の飲み屋のおやじさんが運転するベンツに乗ってホタルイカ漁ツアーにでかけたのでした。ときは初夏。家族が寝入ったころに集合し、到着した真夜中の魚津はコンビニの灯りしかなく。そのコンビニの半分が、なぜか、夜のコーナーというかありとあらゆる精力剤とアダルト本のコーナーで占められていたのを思い出します。コンビニの中にいる私たち一行以外はだれも家の外に出ていないような町でした。やっと港についたら、波が強くて漁に出られないとのこと。眠い目で、ガラスの大水槽に浮かぶホタルイカを大人4人で眺めたのは、10年前のことです。

今年2月の魚津は、道路の脇などによけて塊となった雪が少し残っています。大雪と聞いていましたが、たいしたことはありませんでした。


さて、そんな魚津の夜も明けて翌日、9時からの稽古を見学しました。朝一番、舞台に向かって右手前よりに、農家のみなさんがひとかたまりになっています。いえいえ、ワークショップの参加者でした。今回は農村の光景がテーマなんでしょう。サロンエプロンやもんぺ風ズボン。煮染めた色のセーターに、毛糸の肩掛けといった衣装姿の一群です。どうしても扮装に見えないのは、その人たちがその姿のままとてもリラックスしていて、和やかだったことと、なぜか、広い劇場のいすのうち、右よりにこじんまりとまとまって座を占めていたことによるようです。

まるで、村の秋祭りに劇をやることになり、仕事の合間を縫って抜け出してきたという感じです。おばさんに見えた女性たちが着替えると、若くて化粧っけのない美形ぞろいだったことが後にわかりました。

雄三さんは、後に写真担当のテイヨが感想として述べたように、とても「はしゃいで」いました。日頃この集落ではちょっともてあまし者だった都会帰りもんが、以前の経験を活かして劇の稽古の指導者に選ばれ意外な力量に地域での評判があがってきた、とでもいうような感じでした。森田さんのはしゃぎ方と、参加者の集団のもっているはしゃぎ方の質がとても似ていたため、しっくりとなじんだ一団に見えました。これは期待できそうです。

聞き慣れた抑揚のある北陸の言葉がするすると舞台上に紡がれます。吉田さかなさん扮する肩掛けばあさんは舞台中央にいます。吉田さんはつくば、神奈川、宮崎、と年齢の上下はあるもののおばあさん系の役柄で登場しましたが、地元北陸でのおばあさんぶりはこれまでの中で一番しっくりなじみました。たぶん、彼女の中にある祖母や母の姿が動き出したのでしょう。

彼女は演劇ワークショップの前身である、「身体文学ワークショップ」で活躍した人です。アンチロマンをテーマにしたワークショップでは、女が帰宅すると、裸足で髪をふり乱し前はだけの女性が玄関に立っているという情景を書きました。やがて、はだけ着物の女性が女の母親であることを明かしますが、その得体の知れないものが立ち続ける家というものの恐ろしさがあとを引く出だしでした。まさにその老婆が、穏やかに身体を二つ折りにして、今座っているのです。

上手、縁側という設定で、2人のばあさんが座っている。大きな家にさかなばあさんは一人暮らしか、留守居の日か、縁側の2人はばあさんだけの3人の時間の心地良さに長居しています。聞き取れないようなどうでもいいような内容なのだけれど、北陸特有の上がり下がりのある言葉がやりとりされ、見ているだけでおもしろくて笑ってしまうシーンです。そして、こういう情景は長かった金沢での生活で、何度も遭遇したものでした。日常にありきたりの場面。でも、切り取られると、やたらおかしみがわきます。おばあさんたちの身体を包む満艦飾の衣装というものも、舞台で見るとすこぶるポップに見えてきます。

帰る理由を今思い出したというように、大声あげながら一人が腰をあげると、もう一人は「まだいいがいね」と止めに入り、浮かした腰が二人して上がり下がりする動作に、ぽんぽんと弾むような北陸言葉が合わさって、大笑いしてしまいました。

たぶん、縁側に座ったときには、正面からさしていた日差しは傾き、今は右膝だけに当たっているのではないか、と想像がわきます。

森田さんは、「キーワードは元気の良さ。今を生きてるばーちゃんは、元気よい話し方をするの。そういう風に言葉を出すことで自分を奮い立たせてるの」

確かに、北陸のばあちゃんは大声でした。道も広いし、敷地も広いので、遠くから知り合いを見つけたら、大声で呼ばわるのです。あたり近所触れ回るような声での挨拶を、自分にしかけられたものか、とつい会釈したこともありました。

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2015-01-21 21:00:24

雄三です。僕の育った環境

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 僕は白山連峰と日本海に囲まれた扇状地の田んぼ地帯で育った。浄土真宗の本場で、どの家にも床の間と同じ大きさの仏壇があった。仏壇を拝むのは西方浄土に手を合わせるようになっていたから、座敷の西側に仏壇が据えられていた。だから玄関は東で、南側に庭があり、北側は裏庭になっていた。

 集落のどの家も、同じ造り。窓ガラスのある家は少なく、障子や板戸、雨戸が室内と室外を分けていた。外部の人は、玄関土間や庭先、勝手口、裏庭から入ってきた。まぁーいうならば、プライベートがなかったってことであり、秘密という概念もなかったのです。

 この山と海に囲まれた小宇宙で、生涯を終える人がほとんどで、都会に働きに行くのは「出稼ぎ」のようなものだった。父親はそんな地の貧農の長男で、隣村の没落した造り酒屋の3番目の娘が母親だった。

 耕す土地もなかったような家だったから、両親は田舎の教師として働き、その後、一族のほとんどが教師になっている。僕の兄と姉も教師だ。

 プライベートがない土地で、教師の子供たちは「皆の手本」となるように育てられる。「勉強が出来る」のは当たり前として、喧嘩の仲裁役になるよう躾けられる。教師の子供は「ミニ大人」になるのが良しとされるんですね。



詰まらない人間になるという事であり、思春期にはこの土地を抜け出す事ばかり考えていた。で、18歳の時に、東京でプロの俳優になる為に、リュックサック一つで上野行きの夜行列車に乗った。

西洋演劇専門の新劇の劇団に入ったということは、僕は自分の過去を抹殺しようと思ったのだろう。根っからの都会人のように生まれ変わろうとした。方言を捨て、標準語を習得し、バレエに声楽と、西洋人の真似を付け焼刃のように習得しようとした。

そんなものが続くわけもなく、上京して数年目で孤立無援の状態となった。

忘れもしない、木造アパートの畳の上にノートを広げて、演劇をする為の計画をしていたが、もはやどん詰まりを悟った。まず金がない。劇場費、稽古代、舞台装置、証明費、役者のギャラ、などなど、どう節約しても、途方もない金が掛る。それに、タダ同然で出演する役者がいるだろうか? 出演者に合わせて台本を捜さねばならない。



畳の上のノートは消されては書きで、もはや判別不可能になっているし、何をどう考えても「僕には芝居が出来ない」の結論しか出てこない。

半日ばかり、畳に座っていただろうか、その時にコペルニクス的な転回が起こった。「既成の芝居に自分を合わせるからダメなので、自分に芝居を合わせればいい」。これが「一人芝居」のスタートだった。劇場もいらない、稽古場も、照明も装置もいらない。必要なのは役者一人に、演出家一人。これで芝居が成立するのが分かった。

自己否定が自己肯定に向かう為には、発明というか、「新しく生み出す」以外にないということね。

この発想の転換を生み出したのが、故郷を離れたというか、故郷を捨てたことが関係しているのです。僕には「故郷への裏切り者」の意識があったから、故郷の人たちの「変わらぬ親密さ」を、僕はありがたく思ったのだろう。変わらぬ海や山にも、あふれ出るような感謝が湧いてくるのです。






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2015-01-21 09:50:42

森田雄三Mws#22 2006年雄三ふるさとに帰る

テーマ:WS

雄三ふるさとに帰る 


吉村順子


これまで書いたレポートを整理していたら、2006年に石川県の川北町から呼ばれて、雄三さんと吉村がジョイント講演というのをやった記録がでてきました。これはこれでおもしろいので、一部掲載します。

なんで私がというと、当時私は金沢で職を得ていて、教育委員会関連の講演に呼ばれることが多かったんですね。もともと真宗王国。ごぼさん(お坊さん)の話しを聴くことが生活に織り込まれている土地柄で、かといって、教育に宗教持ち込めないので、心理学者がかわりに。ということだったでしょう。

内容はまた、どこかで紹介するにして、とにかく、雄三さんの親戚縁者がたくさんおしかけてきて、すごかったんです。終わったあと、もう挨拶の人が列をなして。教員一家だから、雄三父、雄三母の教え子や、雄三姉、雄三兄の関係者もみな教員。信心深くて、学問も大切にする土地柄です。以下、引用



2006年6月24日 川北町 教育講演会

「じぶんらしさと自己表現」

森田雄三と吉村順子 ジョイント講演


と言いながら、その前に森田さんの生まれ故郷におじゃましました。川北町のとなり町の出身です。



白山の麓、手取り川の流域の川北町という所は、金沢時代にお世話になったところです。そこから教育講演会を頼まれ、雄三さんと二人で行くことになったのでした。雄三さんは、川北町の隣村の出身です。おばさんとこ行きたいから、って早くに金沢を出たのに、雄三さん、やっぱりおばさんとこ行くのめんどくさいな、とか言い出しました。留守だったり、取り込んでいたりして、ばつが悪いことになるのがいやなんでしょうね。困ったもんだ。結局、じゃ、行くかってことになると、あ、手みやげどうしようか。ま、いっか。というのにまた一逡巡。

結構普通のことで悩んでますね。ということでアポなしおばちゃん訪問。川北町の隣町、山島というのが雄三さんの生まれて育ったところ。そこの集落に今でもお母さんの実家と、お母さんの末妹のおばちゃんのおうちがあります。車がやっと通るかという細い集落の道を行って、おばちゃんのうちはとても立派。あがりがまちなんて、豪華な料亭のそれみたいです。幸い、みなさんいらっしゃいました。上品なおばちゃん、ブラウスに真珠ネックレス。そうなのです。今日お孫さんの結婚式当日だったのです。おめでとう!

ということで、そこの当主だけでなく、弟さん夫妻も居て、急に現れた雄三さんに大喜びです。まったく祝いに駆けつけたみたいになりました。講演の直前まで親類一同話しが盛り上がりました。とても苦労されたおばちゃんなのだそうですが、本当に花が開くような笑顔で語るのです。そして、従兄、だまされるようなことがあり没落して、そのことが地域のニュースにもなったとか。なんだか、おとぎ話を聞くように、親戚の間では折りあるごとに繰り返されたであろう話しを私もひょんなことからお相伴してうかがいました。伝説の源を見たような気がしました。


講演会場に飛び込んだところに、今度は女性が訊ねてきていて、その方は雄三さんのお父さんと勤め先がいっしょで、結婚のとき、雄三さんのご両親が仲人されたそうです。ひとしきり話しが咲いて。そのあとの講演は、まあ、どんどんのりのりになったのでした。



会場前を見ていたら、どこどこ小学校とか中学校とか札が出ていて、そこごとに受付するようです。私も経験がありますが、学区ごとに何人出るかという割り当てがあって、役員とかしていると、かり出されるのです。でも、都会で想像するような不機嫌なやりすごす雰囲気はなくて、集まった人は結構真剣に話しを聞いてくれます。そういう土地柄なのです。


りっぱな県教育委員会の課長さんの代読の挨拶や地元教育長の挨拶があります。ここで形を作っていただけると、とてもやりやすい。




最初に私がなぜ、今日のテーマをあげたかについていくつかの例をあげて説明したのち、去年の新潟のWSを地元放送局が10分くらいの番組にしたてたものを見ていただきました。ほおーっと空気が変わります。イッセー尾形という、有名な役者さんの一人芝居というしゃれた感じではなく、新潟のWSの参加者は、今日の聞き手とどこも違いはありません。普通のおばさん、おじさんたちです。それが、せりふもない芝居に挑戦し、4日間の稽古で思いも寄らなかった形で舞台に立っていくという。お客さん、けっこう身を乗り出しました。そうすると、講演もとてもやりやすくなってきます。そう、WSといっしょです。


森田 新潟のワークショップの様子をDVDで見ていただきました。あんな風に4日間の稽古で本当にまったくの素人、お互いに面識もない集団で、せりふも本人がその場で作って本番を2回ほどやってるわけで。ちょっと驚いたでしょう?しかも、自己紹介とかなし、いきなり、なんか言えって言われて、みんなとにかく口に出す。それで、困って、って課題をやってもらう。土地土地で違うけど、大体、気になる人、ちょっと苦手かな、という人を思い出してもらって、その人のしゃべり方をまねしてもらう。たいていワンフレーズしかできないけど、もっと言って、と指示する。必死でその人のしゃべり方で何かしゃべり出すのね。そうすると、現代の人って、いかにテレビでお手本みたいな人との関わり方が、いいことだと思っているかがわかる。

「あのちょっと仕事やめたいのですが」

「おまえそれ仕事いやになっちゃっただけじゃないかよう、いい加減にしろやあ」て通常はシンプルに解決してるものが、

「あ、そう、じゃがんばんなさいね」とか言ってしまう。

で、俺に「ちがうでしょ」って言われて、いい人ほどびっくりするのね。

俺なんか、見栄もへったくれもなくて、地域が家族同然みたいなところで育ったから、テレビ的なやりとりじゃなくて、人間の装いしないやりとりってよくわかってる。そういう人間が、上京してヨーロッパのシェークスピアやる劇団に入っちゃった。すると、こういう顔つきで(ほおの筋肉を伸ばして見下ろすような表情をして)この、この珈琲はおいしいね、とかやっぱりエスプレッソだね、とか言う会話しなくちゃいけない。気取ったことを言わなくてはいけない。でもそんなことに現実があるわけがないじゃない(うなづく人)。


なんでWSやるかっていうと、現在世の中相当変わってきている。で、ワークショップの大勢の人とやることが現実がどうなっているのか、ってことがわかる。現実はどうなってるんだろう。人は何で悲しみ、何で怒るか、どういうことで笑うのか、そのリアルな感じを俺たちも知りたいということ。


吉村 私はWSを見ている立場なんですが。みんな自己表現というと、「いえ、経験がない」とか「下手なんですが、」というか、決まり切ったこと云うのが自分らしさだと思っている。それを雄三さんに否定されてしまう。いやな人、気になる人の口ぶりで言ってごらんと指示される。世間では、それは人まねであって、固有の表現ではないと思われている。ところが、気になってるというフィルターをとってみると、自分の中の何かを出した表現になっている。とても固有な何かが出てくる。その固有性をもう一度演劇として再構成したときに、見ておもしろいものになる。決められたウエルメイドの表現ではない新しい表現のものになっていき、その表現を経過した人は、あとで、表情がとても自然になってきたり、ゆがんでた顔が左右対称になったり、自分の地域がいやという人が地域の人と最後はなかよくなってきたりする。自分の中にあって認めることができなかったものを自己受容してちょっと変化して、日常に戻っていく。ということがあって、雄三さんがWSをやろうとして、演劇としての原点に立ち戻るためにいろんな人に会おうということでしたね。


吉村 次に聞きたいことですが。ワークショップには非常勤雇用であるが、なんらかの志があったり理想の高い若者がたくさん来ています。それについて雄三さんの意見をきかせてもらえますか。


森田 4日間で芝居つくりましょうと、舞台に立てますよ、と。こんなことに集まってくる人がいるのね(笑い)常識的には信じられないよね(笑い)。年配の人は時間があるからいいわ、だめなら帰るわってスタンス。でも若い人が結構熱心なのね、これはなんかの不満がないとそんなとこに来ないよね。なんらかの不満てなんなんだろう。


中途半端ってやつ。自分は中途半端。十分きれいな人ももっときれいな人が世の中にはいるし、もうひとつ本当にすごいなとは思われない。男らしさでも賢さでも。中途半端にいるなってことなんだけど。だったら努力すればいいじゃないか、って昔の人なら言うところ。でも、自分の努力くらいでは無理だなあとわかってるわけ。自分が変わるためには遠洋漁業に出るくらいでないとだめだと言った若い人いたな。海の上に行ったら、どうしても仕事をしなければいけない。外の大きな力に期待してるの。自分じゃもう直せない。親があれしなさいっていっても、あれは親だからだめなんだって。外の力があれば、自分はもっとちゃんとするという幻想。そういう幻想をもってる。これが基本的にまちがい。だれもちゃんとしてないし、だれも中途半端だと思ってる。親見なさい。と大したものじゃないから(笑い)。自分が大したものになるわけない。


これをついたのがオーム。修行しなさいと、それに集まってきちゃう時代なのね。完璧に間違い。強い力があれば変われるんだ、ってのは幻想なんだ。そうじゃなくて、中途半端であるってことが健康なんだ。それを普通なんだと気がついた方がいい。そこから何かを探しましょうってことをWSでやってるのかな。


吉村 毎日生きている日常はけっこう劇的で、それを切り出して舞台に出してもおもしろいのに。何か自己表現しようとすると、急にやさしい作り声出したりしてしまう。正義感のある若者らしく振る舞ってみたり。そういう理想像があるために若い人はいつまでも自分は中途半端だと思いこみ、不全感が強い。ところが中途半端であることがとてもすてきでその人の固有の何かがあるということだと思います。

若い人についてもう少し聞きたい。変化について。最初来たときは自意識のかたまりで、雄三さんに怒られたりしたら、すごくこだわったり。ところが、最後になると、自分がどう「見られているか」が気にならなくなってる。一人でいても平気になってる。その変化について気付いていることを聞かせてください。


森田 必死になるわね。四の五の言ってられないから。必ず本番に出しますと。出たくないなら来なくていいよと。自分がいいか悪いかってことじゃなくて。それから身内をよびなさいと。そしたらね、人間は身内にはかっこつけたい。だから、すごいがんばる。最初は怒ってる人と俺を思ってた人が、助けてくれる人なんだに変わってくる。まわりの人が自分を助けてくれるってことが理屈でなく身体でわかってくる。こっちはこっちで本番は成功させなくてはいけなくて、むしろ困るのはこっちなわけで、困ってると。すると雄三さんかわいそうにって思って参加者が助けてくれる。助け合いがおこってくる。これが人間をここまで助ける。自分にばかり意識が集中していた人が、そこから離れて人を助ける。言葉じゃなくて、どうしたのとか、じゃなくて。すると、なんて楽しいことだろうと。当たり前だよね。人を助けていやな人なんていないじゃない。人助けの機会がいかにないか、ということだと思う。そんなことがない時代に入ってる。偽善とかいい子ぶってるとか、すぐ言われてしまうって思いこんでるの。親切にできないのね。他人の子に怒ったり、おばあさんに親切にしたりもなかなかできない。WSで助けるってことを体験してるんじゃないか。今、適当に思って言ったけど(笑い)。


吉村 昨日の晩うちあわせたことと違うこと言ってるけど(笑い)。本当にそうですね。



雄三 あ、ごめん、思いだした。言っていい?困ってる人を見ないのか、と。とにかく見なさいと。失恋した人とかふられた人、借金してる人。その人をなぜ見ないの、と。初日の稽古でなぜ見ないのか、と言う。すると参加者はすごく困るのね。だって、事情を聞いてあげると話しが長くなりそう、とか、さかうらみしそうでこわいとか、どうせ自分は無力で最後まで救えないから、とか言う。



そんな理由で、その人を見ない。避ける。困った人をすぐ避けるってことに直結してしまう。見るってとこから助けるってことまでの、その間にやさしい気持ちになるところがあるじゃないかと。WSでうまくいかない人を見ていたら、なんかすればいいのに、と思ったでしょうと。雨に濡れた子犬に心痛まない人はいない。でも連れて帰れない。すると、無視をする。でかいやしきの人、金持ちは助けることができるが、アパートの人は助けられないから親切でない、ってことはないでしょう。親切な行動はしないけど、自分の親切の気持ちに気づきなさい。やさしい気持ちになるから、助けられない自分に気付くってこと。でもやさしい気持ちを無視しなさんな。ここを強調するところ。


中略

質問男性1  山島のどこですか。

雄三 内方新保です。

男性1 私は草深です。。

雄三 ジンシロウの塚ある?

男性1 はい、

雄三 ジンシロウの伝説聞いて育ったからなあ。

吉村 答えやすい質問でありがとうございました(笑い)。


質問男性2  ワークショップは非現実の世界、自分の気付かないもの。自分子ちゃんの例でもそうだが、現実の世界に戻るわけですよね。そうすると、現実の世界ではそこで得たものが力になって続けばすばらいしな、ということですが、

雄三  そういう貧乏くさいこと考えないのよお。なんでも役に立てようとするわけ。いかにものだけは無駄なもの買ってるか。なんかのためになるとか現実のつらいことが解決するとか、抗生物質みたいなことは考えない方がいい。漢方みたいに時間たって変わっていく。即効性のあることが有効なことと思いすぎちゃう。ここは踏みとどまって、無駄なことをしようというのをやってるんです。


おばちゃんのところで話してたんだけど、集落対抗の運動会が昔からあるのね。ニュータウンができたでしょ。住民は考えも習慣も違うよね。で、ニュータウンの人をいれるかってことで結局いっしょにやってる。団地の人は、縄綯い(なわない)競争は不得意だからやめたとか言っていたな(笑い)。目の敵きみたいなことは言うけど、折り合ってやってる。地道にこうやってることが、意味があるのか、どうなのか、って言ってしまうと、無駄なことになってしまう。全部。

おばちゃんはここのうちで葬式だせないよね、と言うと、時代はすすんでいくから、広い座敷や仏壇は無駄てことになる。なくなるけど、大事なことだよね。心の中で育ってくこと。現実に役に立たないことを見直すことが大切だと思うのね。


吉村 今のご質問がありがたかった。雄三さんは、今ご質問の意図を否定するかのようにみえながら的確に答えていた。私は参加者のインタビューをしている。高揚感でテンションあがってふわふうわと現実に降りにくいということはある。現実を等身大のものとして引き受けていく。自分であるということに安定していく。無駄なことだということもできる。気がつかなかった現実のよさとかを引き受けていくという気がします。


WSは、中年越えたジャズメンとか腰パン少年とか、派遣社員できて照明任されちゃったりとか、若い女性がすべてのチケット手配をしていたりと、おもしろい運営のやりかたです。ご自分の生活にちょっとヒントがあるかもしれません。また、みなさんの郷土にこれだけおもしろい人材が生まれ育って、東京に出て、時代の先端を行く芸術活動しているってことを知っていただく事にも意味があったんじゃないか。今日はどうもありがとうございました。


そのあと、控え室は雄三さんのお父さんの手書き文字を印刷した本を持参する人やら、お母さんと同僚じゃったとか、雄三さんのお兄さんには世話になって、とか。じいさんが、とか。もう縁者だらけになっていきました。色紙も書くように言われて、私が書いても仕方がないのですが、まあ、二人で10枚がとこ色紙書くってのもやりました。なんか文句書かなきゃということで、書いたのは

だれだってみな 中途半端 


























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2015-01-21 07:03:40

閑話キュウダイ

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