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2015-03-04 12:30:19

センセーズ2007 世田谷パブリックシアター

テーマ:ワークショップ

ステキな先生たちin三茶 「毎日がライブ」

世田谷パブリックシアター 69

 

 

ピンクのジャケットにライオンヘアのイッセー校長が鳴らすチャイム。さっきまでの二人芝居の余韻を味わっている客が,そのくすぐりに心地よくなる世田谷夕方6時。口の端をのばして意味のないことをおかしそうに話すオイケ校長。実物は珍しく照れて上手側手前椅子でうつむいている。

 

そう,あの先生たちであります。兵庫県のほんものの小中学校教師たち。かつて,神戸新開地,3月31日という教育業界の限界の日に,堂々のアドリブ芝居2時間半で客を酔わせたあの先生たちが,三茶に集合しました。 そのときの様子は教育出版からDVD本になって出版されています。近頃珍しく抱腹絶倒の教育関係の本です。

芝居前,控え室で所在なく車座になっている先生たちを訪問。わたし自身がびっくりしたのは,会ったとたんなんとも言われぬうれしい気持ちがしたこと。あの舞台を見た人はみな,どうしようもなく先生たちに親しい関係性をもってしまうのです。1年ちょいの間,新人くんだったケダモト先生は貫禄を漂わせておとなの先生になっていますし,いかり肩コハマ先生なぜか,表情が溶けている感じ。ナカニシ先生は一層元気に。まったく変化がないのはもちろん,オイケ校長。

 

朝礼挨拶

舞台の上でイッセーオイケ校長自己紹介中です。

外国に視察に行きましてね。インドとパキスタンの間にある国。ほんとにあるんですかね,と一人つっこみ。仏教が根本にあるので,2×2もひとまずお釈迦様にうかがいをたてなければいけない,とあり得ない話し。すると,照れていた実物オイケ先生,なんと,小道具の紙にメモとってます。メモ取ったりすると,落ち着く習性なんでしょうね。もちろん舞台上のイッセーオイケ校長に注意されてます。

 

出席とり

暗転して,下手側だけが照明で浮かび上がります。タマダ先生です。 出席取りが始まります。あなん,あらた,西本,返事ちっちゃいなあ。

数人に一人,必ず先生からなんらかのコメントをもらいます。学校では優等生より,ちょい注意されるくらいの生徒の方が居心地がいいんだよな。と思わせる光景が続きます。しばらく続くと上手側に光が当たり,コハマ先生の肩いからせた姿が浮かびます。「テスト返しますよう」。最初はもったいぶってゆっくりなのに,どんどんスピードが速くなり,答案が指でめくられて生徒に次々と渡されていきます。よせばいいのに,一番後ろの答案,さっきから点が見えています。と指摘する子もあり,先生困惑。ああ,先生が千手観音に見えてきます。あっちにもこっちにも生徒がいて,あれもこれも眉に情けないしわを寄せながら誠実に対応しています。

 

新人ケダモト先生が出席を取ります。生徒に対して丁寧語で話しかけるところが新人先生。少しバランス崩れたら,すぐに生徒になめられそうです。窓際後ろの方に,多動の子がいるらしく,ケダモト先生,何度も,タナカくん,座っていてくださいね。と丁寧な言葉を同じトーンで繰り返します。そのあきらめとけなげさが混じった繰り返しにほろっとさせられます。

タマダ先生はいつのまにか,黒板の前に立っています。新人先生の指導役です。教室は実力のあるタマダ先生に向けて集中していきます。タマダ先生が教室内を立ち歩くタナカくんにいきり立つのをなだめつつ,ケダモト先生は,タナカくんにも誠実です。「タナカくん,鉛筆持ってるのは偉いですね」

実力派タマダ先生はいきり立ちますが,平成19年度から開始した特別支援教育の手引きには,多動で注意集中困難な子どもは,できるだけ誉めるところを探して自己効力感を増すように指導しようと,書いてあるはず。新米教員とベテラン教員が二人舞台にいるだけで,教育場面の裏表がくっきり浮かぶおもしろい構成です。

そういえば新興住宅地の小さな小学校でのこと。卒業式に呼ばれたら,壇上に日章旗。でもって,その後ろに舞台全体にわたるほど大きな子どもの貼り絵が掲げられています。

国旗を尊ぶのはいいことだけれど,お辞儀を強制されるのには違和感をもっていたので,どうなるのかなあと思っていました。地域や他校からの来賓のお母さんたち,また,以前勤務した女性の先生たち,みな壇上にあがるときに深々とお辞儀をするのです。が,その向きが日章旗を微妙に避けしかししっかり子どもの絵の方には向いているのです。なんか,そのとき教育という人間的な営為の深さと本質的なユーモアを感じました。先生たちみんな現場では裏表どっちも心底大事にしているのでしょう。

 

次は伝説の英語教師。

イッセーです。黒板に英文を書きながら,顔も身体も生徒の方にしっかり向いています。イッセーさんの顔,英語教師のときの顔をまねしてみました。眉と目を思い切り上に向かって引き上げ,下あごは同じくうんと下の方に一直線にひきむすばれます。この顔で,教師は教室内におこることをくまなく把握しようとするのですが,どうも,どうでもいいことの方が気になるようです。眠気のある生徒に,おもしろい話しをしようとして結局,ささやかな自分の自慢話になってしまいます。生徒は一瞬耳をそばだてて,また眠りについてしまうようなそんな話し。だって,先生がビデオ主任に選ばれた,とかオリエンテーリング地域なんとか事務所長になってしまった,って名刺を生徒に回覧してしまうんです。でも,こんな先生が生徒に小さく生きるコツを教えてくれてるんですよね。

 

次は「実は先生・・・」編です。

 

走れメロス

中学2年だったでしょうか。だれもが知っているあの人間を信頼するかどうかの物語。タマダ先生は目メロスが恐ろしく大きなもののために走っている,その大きなものとはなにやったか,宿題やったやろ,と質問します。板書された「恐ろしく大きなもの」とは,に,山,富士山,くじら,と答えるのは,考えていないのか先生をからかっているのか。ここだけ見て考えるな。お話があるやろう,と声を張り上げながらも,急に潜めた声は「先生ねえ、神戸大学の付属病院で働いてた。医者?違うよ。看護婦?看護婦やないよ。嫌がる仕事があんねん。いい線いってるね。死体関係。わかる。死体沈め。実験に死体がいるの。残りの遺体をホルマリンの水槽にいれておくの、ところが夜中になるとふーーんと浮いてくる。空気にふれるといたむから、長い棒でしずめるの。まだ、ふううんと浮いてくるねん。」と,上背のある先生自身がふううんとゆらゆら伸び上がると,教室ほとんどお化け屋敷です。

 

 

静かさや岩にしみいるせみの声

そう、有名な松雄芭蕉の俳句。先生と同じ速さで写しましょう。板書のときの決まり文句のようです。季語がある。せみ。そうですね。季節は夏ですね。せみという言葉から思い浮かぶことをたくさん書いてください。押し寄せる子どもたち。

いいですねえ。教師の言葉にちゃんと反応。

えーとね,泣くという言葉を使わないで言うとどうなりますか。

あ,間違えました。静かという言葉を使わないで説明するとどうなりますか。

どうやら,舞台上でほんとに間違えてしまったコハマ先生。やるせない表情はみせるものの,このくらいのことは人間教師にはあるものです。そういえば,さっき,二人芝居でも小松さんがみみずと黒ヒョウを間違えてましたっけ。

ところでせみは何せみ?つくつくぼうし。くまぜみ。にいにいぜみ 進験ゼミ、のどちらか。もう,苦笑するしかありませんね。でも,これは舞台用ではなく,教室ジョークです。

ところで,松尾芭蕉の出身地があるとこ知っとう?伊賀上野。わかる。「忍者」

先生,思い出すことがあるんだよね。あんまりほかでは言うなよ。この教室だけ。履歴書に描いたんですけどね。先生,空白の2年間がある。その間、内閣調査室。わが国に存在するスパイ機関。小泉潤一郎とは友達だったんよ。先生携帯を二つもってます。どこにも売ってません。小泉さんの訪朝のシナリオ書いたんは私なんですね。

 

 

文法ソング

ツジ先生,声はりあげて,何を言うか。「あれほど言うたのに、バレーボールを蹴っとったやつがいる。蹴っていいのはサッカーボール」

先生は国語の時間にも教えたはずやろ。「バレーボールが泣いている」こんな表現を先生は教えました。♪擬人法。ボールが泣いてる擬人法♪ 好き好き好き好き 反復法♪。

先生はシンガーソングライターになるか迷ったんよ。武道館をわかせるより教室の40人をわかせようと思てんや。

用言。形容詞と形容動詞やったな。そやけど,こんなややこしいこと言ったら寝てしまうから、♪形容詞さわやかだ♪

 

 

 

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2015-03-04 08:28:43

雄三語録から 森田さんちには、少年が何人もごろごろしていた話し。

テーマ:雄三です
http://yuzo-goroku.jugem.jp/?eid=3938
3月4日の雄三語録投稿です。

川崎の中学生殺人事件に関しての雄三さんの記事です。シエアします。
雄三語録では、森田家に、息子の友達がいつも入り浸りだったそうです。ご飯はいっつもどこかの少年と一緒。夜も泊まる子が何人かいる、という状況だったという話し。
ちょうど、清子さんに電話でその頃の話しをインタビューしたところです。シンクロしています。
夫婦でシンクロ?
時代とシンクロしているのかもしれない。
森田オフィスと呼んでいたころから、この家の食卓は家族だけということはなかったと思います。居候はいるし、シングルマザーの子どもを預かっているし、という状況。
一方、センセーズの中にも実際の体験を元にした生徒指導室での名シーンのやりとりがあります。本日投稿します。
兵庫県の先生たちは、夜遅くまで生徒指導室で少年と、お前がやったやろ、知るかい!というやりとりを通して、誰かが真剣に関わってくれるという状況を確保していたのだと思います。
このBlogはしばらく、学校、教師、子どもとの関わりについての投稿が続きます。コメントもお願いします。ぜひ。
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2015-03-03 21:40:50

雄三です。「先生芝居」について

テーマ:ブログ

 兵庫の先生たちと芝居を続けて10年になる。この活動の発端は「尾池校長」の尽力によるのは間違いない。センセーズの皆も感謝しているのは間違いないと思うが、尾池校長は熱いというか、思い込みが激しいから反発心も起こる。時間が立てば、尾池校長の善意は分かる。というか、善意が分かる分、面倒臭くなるというのかな。

 

 まぁー、その「善意と思い込み」でセンセーズがスタートした。そもそもの発端は、イッセーさんの「芝居の作り方」が中学の国語の教科書に掲載されたことだ。その教科書会社に兵庫県の国語研究会から講演に来てほしいとの依頼があったとか。担当者からそれを聞いた我々は「イッセーさんは講演をしないし、芝居を頼まれて公演することもない」とお断りした。すべての講演(お喋り)や公演(ライブ活動)をそのようにしていたのだ。

 が、ある日、事務所に分厚い封書が届いた。毛筆で書かれた内容は「講演を引き受けて下さってありがとうございます」というものだった。どこでどう行き違いがあったか知らないが、尾池校長は断られたとは思っていない。というより、自分の熱意で何とかする、何とかできるというタイプの熱血漢というのが伝わってきた。

 

 今度は丁寧にお断りするすると、教科書会社の担当から連絡があり、尾池校長が上京しているから「今晩、会えないか」というもの。会えば断るわけにはいかないのが世のルール。だからといって会わないのも子供じみている。で、お会いして、「教師たちで芝居を創るなら」という条件を出した。雄三が稽古に通い、イッセーさんも教師たちと一緒に舞台に立つというもの。その方が国語研究会の出し物としては面白いという自信が僕にはあった。が、芝居なんてと尻込みする教師が多いだろうとも踏んでいたから、一種の断りだったのです。

 

 しばらくしたら尾池校長から例の毛筆の封書が届いた。「兵庫の教師は芝居好きばかり」というもの。「すでに20数名が名乗り出た」とのこと。

 慌てるのは雄三だよね。教師たちで芝居を創るのは初めてで、何をどうしていいか分からない。早く稽古をと思ったんですね。

 で、イッセーさんの神戸公演の時に「稽古をする」という事にしてもらった。僕としては、稽古場を借りてちゃんと稽古するものだと思っていた。まだ「雄三WS」が牧歌的じゃなかった頃だから、僕は内心ピリピリしていたし、稽古の組み立てをノートにしていたくらいだ。

 が、終演後に行った先の稽古場は居酒屋の座敷。劇場の片づけをして、僕が遅れて着くと座敷は宴会状態。玉田先生のレーポートを読めば、その様子が書いてあります。

 

 後から分かった事だが、参加してくれた教師たちは「動員」といって、各学校からの一名の強制参加で、イベントの裏方スタッフという扱いだったらしい。業務の一環としてということだったのかもしれない。

 で、イッセー尾形という人に芝居に出るらしいと、神戸公演に召集され、その流れの中での居酒屋だったのだ。

 僕としては「自分から芝居をやりたい」と言ったくせに、だらだら酒を飲んでという印象になったのだ。

 

 名コーデネィーターといのは、昔の仲人のようなもので、両方の意向を聞き、口当たりの良いように変形して双方に伝えるものらしい。桃井かおりさんとの二人芝居の復活も、名コーディーネーターの方が間に入ってくれたのだ。互いに相手の悪口を言ったのに、「悔いている」と相手に伝えたのだ。顔を合わせればわだかまりも解けるというものだ。

 

 玉田先生の文章の背景には、互いのはなはだしい誤解があったのです。この誤解の被害者が小濱先生で、僕が「皆さんは出演しない場合もあります」と言ったもんだから、学校を代表してきている背景がある小濱先生は「一言の台詞でもいい出してください」と、僕に訴え続けていた。

 ボタンの掛け違いから来る、雰囲気のまとまらない宴会で、尾池校長は早々に酔っぱらっていた。

 

 僕の両親は地方の教師であり、兄姉も従妹の多くも教師をしている。教育の一族なんですね。だから、教師の建前と本音を身近にしてきた。愛着がひっくり返って近親憎悪のようなものが僕の中にきっとあるのだろう。稽古に来ている兵庫の教師たちに厳しく当たった気がする。

が、逆に生徒たちが納得する為に、教師それぞれが独自の工夫を編み出しているのも分かった。現場ってそうだよなぁーって納得というか、称賛の気持ちが湧いた。

 きっと僕の親も、僕や兄姉の躾けや小言はパーターンだったし、自慢話や苦労話も教師の類型だったが、教室での過ごし方は独自の工夫があったのだろう。そんな気持があったから、僕には10年間の兵庫通いが続けられたのかもしれない。自分のパターンと独自の工夫がより鮮明になった気がする。

参加の教師たちは学校仕事や部活に多忙なのに、よくも稽古場に通ってきてくれたものだ。その辺を、吉村さんのこのレポートを機会に言葉化してもらえると嬉しい。

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2015-03-03 08:22:39

Mws#50 センセーズ 登場

テーマ:ワークショップ
卒業式シーズンにちなみ、森田雄三ワークショップの花、というか鼻先を突き出している集団を紹介します。兵庫県の西部地域中学校教員による「センセーズ」は去年で10周年を迎えました。舞台に立つ人はいれ代わり立ち代わりながら、中心メンバーは揺るがずにいます。このワークショップではめずらしく、再演シーンがいくつもあるのもこのチームの特徴です。チームの芝居のレポートは明日にでも投稿しますが、今日はともかく、センセーズのアタマ・ダを自認する、玉田先生からの寄稿を紹介します。意味のわからないままに始まった雄三ワークショップへの参加の道のり。今は代えがたいお友達ショッパーズである養父先生や小濱先生への最初の印象形成、読みごたえがあります。これを読んだ、センセーズのみなさま、どうぞ、吉村まで書いたものを送ってくださいね。

始まりは大湊
         玉田浩章

 

2004年の秋だった。

 岡田監督1年目の阪神は4位に沈み、檜山が1イニングに2三振を喫した年。世界の中心で愛が叫ばれ、ハウルの城が動いていた。鹿島中学校の尾池校長先生から急に電話がかかってきた。「あータマダ君、ちょっと話があるから来てくれへんかな。」

 こういうのは、あんまりないことやし、まあほとんどいいことではない。来年高砂市で兵庫県中学校国語科研究会があるのは知っていたので、そのことかなあ。でも、もう授業者も決まってるやろしなあ。そんなことを考えながら鹿島中学校校長室まで行った僕に尾池先生は言った。

「あのなあ、イッセー尾形さんとお芝居をやる人を探してるねんけど、タマダ君やってくれへんかなあ。」 

 別にいいですよ。出されたものは食べるのが僕のモットー。

「いいですけど、お芝居なんかやったことないですよ。」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」

 

混み始めた国道をのろのろと帰りながら、僕の頭の中には狭い壁の間に挟まったサラリーマンの映像が浮かんでいた。あるいは黒いエプロンをつけたオールバックのバーテンダー。そんな人と自分がどう絡めるというのだろう。ちょっとランニングとかしとかなあかんのやろか。だいたいそもそも何をするねんな。前の車のテールランプを見つめながら、心がチジに乱れるタマダであった。

 

年が明けて招集がかかる。イッセーさんの公演が神戸のアートビレッジセンターであるので、その公演を見て、みんなで顔合わせをしましょう。ということだった。

観客がいっぱいで、手を伸ばせば天井に届くようなところから見せてもらった。ギョーカイの人たちが「おはよーございます」とあいさつしている。ウンコみたいな頭の人がいる。あー目が回る。

 

芝居がはねた後、僕たちは「大湊」という居酒屋に向かった。20人以上はいる。誰も知った人はいない。妙に細長い座敷のある店に奥から詰め込まれる。イッセー尾形さんにはモリタさんというすごく変わった演出家がいてはるらしいよ。サマンサがどこからか仕入れてきた情報だった。もしかしてこの目の前に座っている片足のオッサンがモリタさんか? 変わっているって足のことかよ。

 

乾杯もそこそこにモリタさんが言った。「じゃケイコしようか。」

ケイコ? こんなギュウギュウ詰めの居酒屋で? 何の冗談なんだ?

 

森田「何かしゃべって。じゃああなたから。」

玉田「何かって何ですか?」

森田「聞き返さないで。」

玉田「えー、モモちゃんのパパです。」

森田「自己紹介しないで。」

玉田「はあ、僕が今回参加したのは。」

森田「自分とは関係のないことを言って。何か言葉を言って。」

玉田「うー、ヤキソバ。」

森田「目の前にあるものを言わないで。」

 

真っ白です。何を言ったか記憶にない。たぶん「洗濯機」みたいなこと。で「まあいいや、次。」

隣のロマンスグレー(後の養父さん)も苦吟している。ふうやれやれ、何やねんこれは。

連想ゲームとか言いながら「つまらない!」とか怒られてるし。

 

これは簡単に表層で反射するのではなくて、自分の心の中に下りていって過去の引き出しにしまわれた思い出の中で連想しておいでと言うゲームなわけで、「エンピツ」「筆箱」じゃ「つまらない!」と言われるけど「おじいちゃんの青い手ぬぐい」だといいわけ。

僕はその時、3つくらい反射させてニュアンスのある言葉を捜すという法則を勝手に発見した。「サラダ油」「お歳暮」「玄関」「金魚鉢」これでだいじょうぶ。これにもう一手間かけて「フチが緑色のガラスの金魚鉢」でカンペキ。

 

ところが、僕の前に座っていたハゲメガネ(後のコハマっち)はそれが気にいらんらしくて、「なんで、サラダ油が金魚鉢になるんですか!」と怒っている。

「おかしいじゃないですか!」

おかしくないよ。それがここのルールなんだから、状況に合わせろよ。まあ、こいつは敵にはならんな。向こうのほうに座っている名古屋から来たというアベックが「錆びたトタンの家」とかニュアンスのある言葉で褒められている。こいつらうまいな。経験者か?俺のライバルになるのはこのへんか? (と思ったけれど二度と現れなかった。)

え?イッセーさんも座ってるやん!いつのまに。とか思ってたら、ロマンスグレーも「ガラスの小瓶」とかで褒められてる。要チェックやな。

 

さっきから前のハゲメガネはしきりにモリタさんに頼んでいる。

「どんな役でもいいからだしてくださいね。めっちゃみんなに言ったんで出なかったら困るんですよ。お願いしますよ。」 あさましい。

 

森田さんが聞いてる。

「古典とかで枕草子とか暗記させられたりするよね。あれって今でもあるの? あるの?あー今でもあるんだ。じゃあさ、それは何のためにやるわけ? 生徒から聞かれたらどう答えるの?」

 「そら、おまえらこれ覚えてたら、将来宴会のかくし芸で使えるぞ。って言うんですよ。」ハゲメガネが答えている。んーひねりがない。

 

大湊の夜はふける。しかしこのあたりで、酔ってしまって、以降の記憶がない。

この衝撃のファーストレッスンの様子は録音されて(そうそうポチ君がずっとマイクで拾ってた。だからよけい緊張したんだ。)「テアトルイッセー」というラジオ番組で流れた。それをCDにしたものが森田オフィスから送られてきた。

「あんな酔っ払いのたわごとがラジオ!」これはえらい世界に入りこんだなドキドキというのが、僕の正直な感想だった。

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2015-03-02 19:47:36

清子インタビュー 地方公演を始めたその翌年に、もう海外公演も始めたの

テーマ:清子インタビュー

テーマ 清子インタビュー 地方公演から海外公演へ

 

地方公演を始めたその翌年に、もう海外公演も始めたの。それはね、突然、飛び込みの電話から。ある朝、たどたどしい日本語でジョナ サルズってアメリカ人で京都の大学で教えてるて人が事務所に電話してきたの。かいつまんで言うとね、こういうこと。

 

自分は東京の大学に就職しようとして面接試験を受けに来た。でも、落とされた。その理由はあなたは大学のことしか知らない人。でもうちの大学は、社会経験から何かを学生に伝える人を選びたいと思っている。と言われた。自分が日本で外国人だということを寂しいと思ったその夜。ホテルでテレビをつけたら、一人芝居をやっていた。このイッセー尾形って人は、日本人でいながら異邦人のような人だ。この人のセリフを戯曲として翻訳させてもらえませんか?って電話だったの。

 

でも、その人の日本語がどれだけのものか、だから聞いたの「あなた日本に来て何年ですか」って。そしたら13年だって言うの。「じゃあ、奥さんは日本人?で、英語が得意な人なのね」って、で、そうなんだって言うのよ。

 

ニューヨークで戯曲として出版するとして、それならいっそニューヨークで公演をやって、それから出版するというのはどうかしら、って言ったの。その手もありますね。みたいな進みになったの。そう、いきなりの電話で。

 

そしたら、雄三も尾形さんも反対したの。日本人に特有のことをやっているのに、外国で受けないだろうって。地方公演をやろうっていう時も、2人は反対したのよね。都会の暮らしを芝居にしていて、東京で受けてる。それを地方に持って行ってもだめだろうって。地方で都会みたいなストレスを感じてない人に、伝わらないって。

 

で、その1年前に戻るけど。大阪に呼んでもらって、その翌年かな、自主公演としては最初は名古屋だったと言ったでしょ。手伝ってくれた人も興行なんてやったことない人。で、自分の弟と2人でやってくれたの。一から素人でやってできるんだから、ニューヨークでもできるんじゃないか、って思ったの。私。

 

ニューヨークでは、国連ビルの隣のビルにあるジャパン ソサエティのプロデューサーがノッてくれた。ポーラさんって人。サルズの説明がよかったのね。そのビルのシアターでやることになったの。ジャパン ソサエティって、日本のアメリカに進出している大企業が共同でお金出して運営していた。ここを通じてやれば、日本からアメリカに海外赴任しにきている日本人が、見に来てくれると思ったの。

 

で、ポーラは日本にわざわざ、この世田谷の稽古場まで尾形に会いにきてくれた。私が彼は飛行機に乗るのが怖いって言ってると伝えたら、彼女は尾形に「この私の顔をしっかり覚えてください。空港で必ず私が出迎えます。知っている顔が待っていると思えば、大丈夫です。飛行機では知り合いが隣に座ってくれれば大丈夫」と言ってくれて、その通りにしてくれたの。自信もって言うものだから、尾形も「へーそうなんだ」って。で、ニューヨークに行ったの。それから確かに、隣に親しい人がいれば、閉じた車中もなんとかなるようになったし、外国にも行けるようになった。

 

で、外国公演も地方公演と同じやりかた。来てくれた人のアンケートに書いてくれた住所に、エアメールでダイレクトメールだして、で、どこか自分の国でこのお芝居を見たいといってくれる方はいませんか?って。そしたら、名乗りをあげてくれる人が出てきたのよ。

 

ジャパン ソサエティの第一回公演のあと、黒人の青年が待っていて、少し話したいって言ったの。で、今日のこの公演であなた方はなにか気づかなかったか?

 

何を言われているのかわからなかった。そしたら彼が「今日劇場は400人の人がいて黒人はぼくだけでした。そのことをどう思いますか?」

 

「私たちはときに敏感じゃないことがある。気が付かなかった。これから、この興行を必ず続けます。いろんな人にみてもらうために努力する」と言った。

で、「僕の大学にどのくらい黒人がいるか見に来ませんか?」て言われて、一緒にぞろぞろついて行ったりしたわ。プロモーターに呼ばれて、その土地で興行を打つっていうのと全く違う出会いや関係性があって続いたってことね。

 

それから、ヨーロッパでもイギリスでもこういうやり方で公演しようと決めた。話しが飛ぶようだけれど、その年に雄三が尊敬していた安部公房が亡くなった。まだ若かったわ。桐朋の先生だったから私も教えてもらった。安部公房の死は私達に影響したと思う。雄三は、イッセー尾形の戯曲の部分を主として担っていると思っていた。でも、もっと広く、どんな人にも届くように、言葉の説得力とかにも気配りをしようとしたの。反対に、言葉の力が無効だっていう芝居を作ってみようともした。ニューヨークの第1回公演で、日本の政治家が演説するんだけど、うーとかあーとか何言ってるか全然わからない意味不明瞭な政治家ってネタを作ったりした。意味はわからないのに、なぜか政治家らしい人物ができたのね。

 

同じように国内の興行でも何かを拾ってきて、次の作品に仕上げていった。そういう旅だったんじゃないかな。

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2015-03-01 18:39:07

清子インタビュー 地方公演のこと。その場で一緒にいる人とのやりとりや空気がすごく助けてくれた

テーマ:清子インタビュー

清子インタビュー 地方公演のこと、もう少し話そうか

 

第一回の地方公演はね、名古屋だったの。なんで名古屋か。その頃イッセーさんは、新幹線みたいに、長い間同じ空間にじっとしているのが苦手だった。ホテルに泊まるのもいやだったみたい。それに、ジァンジァンや紀伊國屋ホールでやってるお芝居は、地方では受けないんじゃないかって。反対してたのは、雄三も尾形さんも同じ口調だったけれど、尾形さんは地方に行ったり泊まったりすることも億劫だったと思う。結局その後長い間、一年中旅の空の生活になったわけだし、ホテルで書いた小説や作品もたくさんあったから、不思議よね。

 

で、名古屋なら早くに一回公演して、その日のうちに東京へ帰ることができる。名古屋ではKさんって青年がいろいろ支度してくれた。彼は電話の応対や、情報のくれ方がやはり力ある人だった。普段はチケットセンターみたいなところで働いていたから、もちろん興行なんてやったことない素人よ。でも、やってくれたの。弟さんと2人で助けてくれた。1年目は、名古屋、そのあと上越。なんで上越だったかっていうと、上越のあるお寺には東洋一の蓮が咲きます。って情報をくださった方がいたからなのよ(笑)。でも、そういうことを手がかりにして地方公演を手作りしていったのね。で、その後どんどん増えていったの。その年の終わりには大阪でも公演したわ。

 

この頃は、もう作品がどんどんできていた。きっかけになることは身の周りで本当に起きていたこと。今でもワークショップで作るとき、そうよね。その人のちょっととした打ち明け話をベースにして、でも、現実とは違うところにその人の本当をのっけるストーリーや状況を発展させるでしょ。「郵便簡易保険」とか「幸せ家族」とかもこの年にできたんだと思う。うん。その当時、学校に行かない子どものこと話題になっていた。身内にもね、甥っ子が学校いかなくなって。郵便簡易保険はね、郵便局の制服きた勧誘員が、うっかり、引きこもっている少年しかいない家に上がり込んじゃって、つい、そのうちのことを聞いてしまってやりとりするネタ。文庫にも入ってるね(イッセー尾形のナマ本巻1)。新しかったと思うわ。視点が。

「幸せ家族」もね、小学館文庫(イッセー尾形のナマ本巻3)にも入ってる。これはうちの家庭がモデル。雄三が足の手術して退院してきて、よかったね、って伊豆の温泉に家族旅行したの。でも、体力おちるとご飯食べられない。しかも温泉旅館って、天ぷらと刺し身と、鍋物と、ってすごい量が並ぶでしょ。しかも子どもは最初ちょっと食べるだけで飽きちゃう。雄三は食べられない。で半端ない量があまるって話しをして、そこから作っていった。

 

地方公演のスタッフなんていなかったの。現地で助けてくれる人とその知り合い。あとはジァンジァンの照明の人が現地で落ち合ってやってくれた。ジョンさんていう人。日本人よ。あとは身内だけでまわしてた。引きこもりの甥っ子とかが打ち込みやってくれたりした。その後、不登校の子がスタッフに沢山いることになるのね。

 

当時、地方の劇場には、県外の人間には貸したくないってところがあったの。博多と青森はきびしかった。博多はね、申し込むのに、その当人が判子押しに現地にいかなくちゃだめっていうの。で行ったわよ。場所も不便だった。行ったら公民館の退職公務員だろうなっておじさんがいた。私が子ども保育園にあずけて、飛行機乗ってきましたわよって、はあーって、判子に息吹きかけて押したら、そのおじさんが、悪かったねえって。すごく済まなそうにしてくれた。だから、その場で一緒にいる人とのやりとりや空気がすごく助けてくれたのね。それはね、雄三や尾形さんにはわからなかったことだと思う。

 

博多公演ではね、やっぱり東京で見てくれたお客さんがその後博多にUターンして手伝ってくれた。もうおじさんだったな。その人と私が2人で劇場の前で待ってたの。不便な場所でバスしかないし、本数も少ない。で見ていたら、タクシーが止まってお客さんが降りる。また、タクシーが、道をずっと見たらタクシーがずっと続いている。あ、お客さんがタクシーに乗ってきてくれた。600の劇場に300のお客さんが入った。でも、何も宣伝うたないでよ。ただ、ダイレクトメールだけで集めたお客さんだったの。

で、そのおじさんと2人で受付していてね、「あんた、ジァンジァンで子どもおんぶしとったね、あの子いくつになった?」って聞くの。それはどこの会場でもだれかがそう聞いてくれた。「ねんねこ半纏して背負っとったね」とか。必ず目に止めてくれてたのね。そういう人に私は支えられてきた。で、受付が終わって、その場で会計だから、千円札が横に立つように集まるでしょ。ソレを見て、おじさんが「あんたそれ東京に一人で持って帰るのか」、って聞くのよ。一瞬あ、そうか報酬を渡さなきゃって思ったら、「そうじゃない。ソレ持ってあんた一人で遠くまで帰る道筋を思ったから言ったんだよ。あの子は大きくなっただろうなって、そういうことを一緒に喜びたくて聞いたんだ。」って。

 

博多公演では舞台の後ろとかに赤いベルベットの布がかかってた。そしたら、演出の雄三が、「あの赤いのなんとかならないの。君、劇場見に来て、どうして気付かなかったの」って駄目だししたの。30年やってて、ああいう駄目だしを私にしたのは一回だったと思う。あ、この人たちのやってることの繊細さに改めて気づいて、下見ってただ人に会って会場見てってだけじゃダメだった。舞台の空間性をきちんと見てくることが私の役目でもあるって気づいたの。

 

海外公演に行ったら、まあ、そういうこと以外にもたくさん、びっくりするようなことがある。1つ1つを解決したけど。それは一回一回の地方公演の経験があったから。

東京ではジァンジァンで芝居を作って出していた。一番油がのっていたのはそのころだったんじゃないかな。お客さんが見てやろうって感じで、それに答えようとして、作って。1983年から2001年ころ。この間にいいものをたくさん作ることができた。年間3ステージやらせてもらったの。3月と10月。そこには新作をかけるってやり方をしたの。で、間の7月に紀伊國屋ホールで新作の再演をやっていた。そう、山藤さんの奥様のよね子さんがジァンジァンの最初の舞台を見て、すぐに動いて劇場を押さえてくださって以来、ずっとやらせてもらったの。スタジオ200はね、劇場自体が割りと早く閉じてしまった。

 

いじわるばあさんのレギュラーもらってからも、雄三の病気が見つかるまではイッセーさんも雄三と現場に出てたのよ。本当の話し。でもたけしさんが、「あいつ、それ、営業(用トーク)で言ってんだろう」って番組でおっしゃったことがあるけど、本当に現場で仕事は続けていた。ただ、やっぱりビートたけしってすごいなあとも思った。だって、そのときのイッセーさんは現場に行ってはいたけど、やらされてるッて感じで、自分で現場を収入のもととして頑張ってるというのとは、どこか虚実の隙間みたいなものがあった。そこをついてたけしさんは言ったのよね。本当に現場に出ていたけれど、たけしさんの言葉にもリアリティが実はあったのよ。

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2015-02-28 09:32:58

清子インタビュー地方公演のころ したいことに向かえば、力発揮できるんだと思う。

テーマ:清子インタビュー

清子インタビュー地方公演のころ

雄三が健康だったころは、まだイッセーさんも雄三も現場に出てた。でも、雄三が病気になって、生業のためもあり、公演を自分たちでやるようなシステムが作れないかなと思った。雄三のインタビューにもあったけれど、お笑いスター誕生のあと、大阪の人で、広告会社の人が呼んでくれた。阪急デパートのオレンジルームってとこ。200名満席にしてくれたのよ。始めるまえに雄三が、空間が芝居にはもう一つなんだよなって言ったの。私デパガで寝具売り場にもいたから、「じゃあ、シーツ2枚買ってきて、背景と床に貼ったら?」って言ったの。その通りにしたら、音が柔らかくなった。ピーター・ブルックの何もない空間を真似したんだけど、それが、一人芝居のその後の白いついたての空間の始まり。


興行に関してはまったく素人だったし、雄三が病気だから、いつ何時公演をキャンセルしてもいいように、じぶんたちで手売りすることにしたの。会場を押さえて、手売りして、キャンセルありで。そのころ、もうダイレクトメールで
1000くらいのお客様にお知らせしていた。一回でも見てくれて、アンケート書いて住所書いてくれた方にね。で、東京の公演なわけだけれど、進学で上京してるとか、新卒で仕事は東京でやってるけど、やがてUターンして故郷に帰るというような方も結構いたの。で、DMに「イッセ尾形の一人芝居をあなたのふるさとでも見て貰いたいって方がいらしたら、紹介していただけませんか?」って載せたの。9通くらい返事があった。大阪、長野、札幌とか。一番乗りがその後も一緒に活動したりしたSさん。彼は東京生まれだけど、ビジネスのシステム構築が仕事で、その時大阪に赴任していた。


S
さんの情報はとてもよかった。それからもそれをモデルにして情報をチェックすることにしたくらい。つまりね、200人くらい収容のハコが大阪にいくつあって、地の利、住民の数、文化などを詳細にレポートしてあった。で、大阪の天王寺はこれから発展するだろうと予測されていた。すると、近鉄百貨店にアート館ってのがオープンするということもわかった。その付近はレンタルビデオの回転率が高いという情報もくれた。それが、大阪でアート館の興行の始まり。この間しばらくぶり(2014年3月)に、アート館が復活して、ハルカスに組み込まれて、センセーズ公演に上田正樹さんが客演してくださったでしょ。


他にも、地方の情報をくださる方は、地元に帰って書店を継ぐとか、お寺の蓮がきれいです、とかいろいろな情報をいただいた。その後、地方公演はあっという間にひろがっていったのね。最初に
Sさんがくれた情報をモデルにして、私が日帰りで候補になっている土地に出向いて、自分で歩いて下見するようにした。子供は保育園にあずけていた頃だったから、お迎えに間に合うようにとんぼ返りだったけれど。


イッセーさんも、がんばってくれた。雄三の病気を抱えて、みんなで何とかしなきゃっていう中で、仕事や興行を開拓していくのは活力があったわね。あのころのイッセーさんのネタ作りでは、なんか跳ね上がるような生命力のある作品ができていた。子供たちも、親がくたくたになるのを見ていたら、何とかしなきゃと思うんでしょうね。低学年から次男はご飯つくってた。
2人の兄弟で自立しなきゃと思ってたみたい。


だからね、今回、いろいろな仕事をつくろうとしたけれど、やればなんとかなるっていうのは、その時の自分の生活の在りようから来てると思う。


でもね、活力を失っていくのもあっという間。金銭的余裕って、活力を失わせるなと思う。裸からやるっていうのはあの時も素敵だったし、今も素敵なことだと思う。


80歳になった演劇の恩師の東京の住まいを雄三と片付けに行ったら、そしたら事務机の真ん前にね、昭和63年の私たちがだした年賀状が貼ってあったの。長男の「初富士」って書き初めを持って息子2人と雄三が写ってる写真の年賀状。感極まったわ。そういう縁を絶やさずにここまできた。それは力だと思う。


それでね、地方公演やりだして、まあ、知り合いの知り合いみたいな人がちょっとおもしろそうだから、って手伝ってくれるでしょう。で、私たち、素人であっても丸投げでどうぞよろしく、ってまかせちゃう。そうすると、専門家でなくても仕事としてできてしまうのね。

経歴とか学歴とか、キャリアとかに頼らないで、したいことに向かえば、力発揮できるんだと思う。


舞台の仕事を一旦閉めるときに、会社も閉めようかって話になったけど、そのとき、みな事務所を辞めなかったのよね。次男はその後のミーティングで、あのときに、みんなやめたらよかった。でもやめなかったから苦労してるんでしょ、なら、がんばろうて言う。そう、あらゆる困難って、人を活かしていくと思う。

「せめてしゅういち」って事業もね、私たちがこれまで困ったときにとってきたやり方で、60歳以上の方に、できることを仕事にするって、やれるんじゃないかと思うの。

 

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2015-02-27 10:26:40

Mws #49 山形のフツーの人々with小松政夫 

テーマ:ワークショップ

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 Mws #49 山形のフツーの人々with小松政夫 より

 

3月21日のカタリスト バでの公演は、小松政夫さんが一緒に舞台を楽しんでくださいます。

2014年のワークショップでは、山形、神戸北神、富山と3箇所のワークショップに小松政夫さんが一緒してくださいました。素人が前日までまったく形にもならない稽古をしているのを、じっとそばで見守ります。公演当日に形になっていき、順番も決まるという、商業演劇ではありえないシチュエーションも、楽しみながら一緒にノッてくださいます。その鷹揚さに甘えながら、ワークショッパーズそのものがとっても高いところまで飛んでいってしまいました。喜劇俳優の存在には、他者の弱さや幼さを観客に替わってあばきながら、それでいいのだと積極的に容認する視点があります。

 

笑うという行為は、笑う対象と対立する視点で行われるときと、笑う対象を自分のものとして受け止める際では大きな違いがあります。もちろん、このワークショップ演劇による笑いの効果は後者です。そしてそれをもっと大きな影響力にしてしまうのが、喜劇役者という存在だと、小松さんの舞台を見て強く感じました。

 

3月21日は、二子玉ライズビル カタリスト.バで行われる二回目のワークショップ公演です。お母さん劇場の方や、日経グループの参加者や、カフェスタッフも参加しながら、せめてしゅういちに参加しようとして楽ちん堂に来た方が大きな役割を持つ芝居になる予定。そこに小松さんが加わってくださることで、私たちは自分のことをもっともっと好きになると思います。それは閉鎖的な自己愛なんかじゃありません。参加した人間が、自分と家族とその周りの人の弱さと滑稽さを笑いあうことで、前にすすんでいくような「自分が好き」という状態。3月21日がとても楽しみです。

 

山形でのワークショップの様子を少し紹介します。

 

                 ワークショップ 2014.8.25から

                  公演     2014.8.30  14時開演

                      山形市シベールアリーナ

 

シベールアリーナは、ここからは蔵王だという山の入り口に位置します。公共の文化ホール

ではなく、ラスクのシベールの郊外型の店舗工場に併設された文化施設です。一角に井上ひさしの遅筆堂文庫があります。目立つ装飾はなく、エントランスには井上ひさしをはじめ、山形の文人の書籍がきちんと並べられているだけ。これは本物志向だ。ステキなのはひょっこりひょうたん島の3人がお出迎えしてくれること。そうだった、井上ひさしってみんながずいぶんお世話になってる人なのです。子どもが知恵と強さをもち、美女は大胆で勇気があり、政治家はぺらぺらしてて、悪人は情に篤く、ライオンは臆病で繊細。というモノホン道徳の教科書番組を、国中で楽しんで見ていたんだな。

 

今回のワークショップ公演は小松政夫さんがご一緒してくださる豪華みちのく大芝居。公演前日、稽古も昼は2時からの開始で、夜の部は9時まで。大船渡のワークショップから数日しか経っていないので続けての参加者もいます。腰曲げて農家のおばあさん役をやっていた方は、ふわりとした帽子をかぶり奥様風の出で立ち。と、急に歌舞伎の裏方さんのような格好をした着流し丸坊主の男性が走り寄って来て、肩を激しく上げ下げしながら名刺をくださる。芸で身を立てているとのこと。思わず、なぜ肩をそんなに上げ下げするのか尋ねたら、演出です、とのことでした。濃ゆい人の多そうな予感がしました。そして、あたりました。

 

山形は美しい平野です。山に囲まれているけれど、どこまでも田が広がっている豊かな土地。田んぼが経済のベースだったころの裕福さは、先ほど駅の名店街で見た数々の伝統菓子からも想像できます。山に囲まれた豊かな近世の独立国を想像しました。ひょっこりひょうたん島は勝手に動きまわる浮島ですが、どこにも属さず自立した国です。島と山に囲まれた平野と島は地形的に逆ではありますが、その特質は共通しているのかもしれません。

 

 

さて、稽古が始まりました。けっこう雄三さん、怒鳴ってます。雄三さんが怒鳴る稽古のときは、だいたい芸に覚えのある参加者が多いとき。果たしてそのようでした。でも、もともと何かを表現する型をもっている人が多いと印象的な舞台にもなります。自分の芸を見てくれという気持ちがどっか行ってしまった瞬間に、ほんとうにチャーミングになります。

 

キャラを作るということがとても大切なのだそうですね。テレビに出る人だけでなく、日常、会社や特に学校などで。キャラ形成がわたしたちのコミュニケーションのベースのように受け止められているようです。キャラを作り損ねたり、似つかわしくないキャラを演じようとするときにいじめが起きると指摘する研究者もいます。雄三さんは、キャラを演じている人をみると、ムラムラとしてくるようです。キャラ文化全体に腹を立ててるのかもしれない。4日の稽古で素人を舞台に立つようにするという試みでは、全く芝居初めてですという人の方がてこずらないのは、壊す過程がいらないからです。表現することを主たる活動にしている人は、自分の型やキャラや芸をもっています。そのパターンをいったん崩していく過程が、本人にも見ている方にもけっこうたいへんです。特に今回は、本物の芸を持った金看板小松政夫さんが同じ舞台にあがってくれます。参加者のキャラや芸みたいな自負はじゃまになることが予測できてしまいます。

 

小松さんはその場にいる人の存在をすくいあげて、大爆笑の場面を作ることのできる人。自分の芸をやってみせるだけでみな大喜びの場面でも、一緒に舞台にあがっている人とのアンサンブルでとっさに場面を作っていく人です。

 

本番前日の稽古では、組み合わせと設定は決まりながらも、どこで小松さんが絡むかは全く未定です。結局本番当日の午前中に決まりました。すごいですね。そういう成り行きを離れ業とも思わなくなってきました。夏休みの最後の日にやる宿題だって、そういうものなのだと思います。いうなればどれだけ一日のうちに力を凝縮して出力するかという訓練。ただ、そうやって凝縮した時間を持つためには、毎日の生活を丁寧に送っているということが大切かも。雄三さんに怒られている参加者の方々も、舞台上でピカっと光るのは、ワークショップに来る前の丁寧な生き方があるからだと思います。

 

前夜、仕事を終えての参加者を待ち、設定を通してみて、あらあらと組み立てが決まります。

まだ、自分が修練してきた芸を出したい参加者と、そうじゃないと上半身をふるいたてる雄三さんと、静かに自分の出番についてコメントするだけで存在感が半端ない小松政夫さんが、この時点では、簡単に融合しないところが三者お見事。

 

本番当日の朝稽古、物を作ろうとする意思があれば、芝居の直前にでも一体となっていくものなのですね。譲ったわけでもなく、ひっこめたわけでもありません。ひとつ言えることは、皆が他の参加者のシーンを必ず見ているということがもの作りに大きな要因となっている。自分のセリフを作ったり、打ち合わせしたり、自分にかまけている時間は本当に少しです。あとは、とにかく、他のシーンを見るのです。見ていることが、自分の存在をうまく消したり、だれかを助けたりと、流れを捉えて1つの芝居に結実させていくのだと思います。今回はとくにそのマジックを感じました。

 

2014.8.30 シベールアリーナ公演から

 

3 兄と妹

 

浴衣姿の妹が下手。兄は40歳代でしょうか。少し離れて花火を見ている2人。それほどおもしろそうでもありませんが、楽しくないわけではない。

 

結婚する気ねえだか?と兄

今そんな話しますか。と妹。

 

だれかスキだって言ったことあるだかと眉を寄せて言う兄

ありますよ。と正面に向かって、神妙に、愛してます、と妹

 

ここぞとばかり兄は

愛してますう?

スキだ、結婚してけろ、だろ。けろが大事だ、けろ、は、ますの3倍上だ。

ケロ、はあ、ケロ、ケロとへらずぐちの妹とやりとりするうち、小松さんが登場。愛してますのくだりから耳にしていた通りすがりの親切なおじさんとして、2人はすみやかに結婚しろと諭します。はあーと思いながらも、目を見合わせるだけで抵抗しない兄妹に、おじさんさらに、ポラロイドカメラで写真をとってあげるから、もっと寄ってといいます。ポーズをとる兄妹に、ポラロイドの芸(ああー、見せたい!説明したら芸が減ります)で、インスタント写真をわたして去っていきます。

 

言い合いの気合を削がれた妹は、

 

兄ちゃんは結婚する気はなかったんですか?

あったよ。看護師で、白衣着て笑うとかわいかったな。

 

その人、お金持ちだったんでしょという妹に答えず

うちは貧乏だったなあ、と兄。

 

兄に横浜の大学に行かせてもらった妹は、入学当時を振り返ります。

やっと下宿を決めたら、兄が軽トラで山形からやってきて、家財道具をどんどん買ってくれたこと。家庭にもなかった立派なテレビやCDラジカセまで買ってもらったことをしんみり話します。と、なんということでしょうか、さっきのおじさんが再び登場。妹、マジでのけぞり、待機している出演者一同、そこに爆笑です。

実は、稽古の段階では、最初に出てきたときにおじさんがもう一つ見せ場を作り、そののちにそれを受けて、という段取りだったのです。小松さん、思い出したのちの再度登場でした。こんなバラシをしてもいいのかと思われるかもしれませんが、即興でつくり上げるこの芝居では、こういう出来事がさらに舞台に奥行きと素の面白さをもたらしてくれます。

 

仲良くなった?じゃね、と

 パっと鳴った花火がきれいだな。空いっぱいに広がって、シダレヤナギもきれいだな

という懐かしい(小松さんの小学校の思い出だったかな)ネタののち、去っていきます。

本当に花火を見ているように、舞台全体が明るく照らされます。

 

兄妹はなんの話だったけね。と笑いながら、そろそろ帰ろうかと土手にあがります。

もう一度振り返った兄は大玉の花火をみながら、大声で

ドーンと鳴った花火が、き・れ・いだなー

と踊りながら、びっくりする妹にも踊れと促し、2人は花火に向かって振りを続けます。

 

 

 

 

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2015-02-26 01:26:54

清子インタビュー せめてしゅういち3月21日

テーマ:清子インタビュー

清子インタビュー せめてしゅういち3月21日

二子玉の駅には古い遊園地があって、そういうところだから、深い森があって、池のまわりにおさるの電車がくるくる回っているようなところだったの。桐朋学園は仙川にあったから自転車で川沿い、多摩堤をよく走った。今から45年前。桜の木はまだ小さくて、でも4月には満開の枝を張り出してる。週末には実家に帰るから、月曜日には父親が横浜から車で送ってくれた。この道を通って。4年間送ってくれた。で、1週間勉強したことを父親に報告をする時間だった。

 

最後のころに、こんなに長いこと学費をだしてもらったのに、なんにもならずに申し訳ないって言ったの。そしたら父が、「勉強するってことは、こうやって学んでほしいてプランを持ってる人がそれを伝えるということだから、学ぶものが全部はものになるわけではないと学ぶことかもしれないなあ、」って。この多摩堤通りって私には学んでいることを確認する時間と場所だった。

結婚して長男が生まれるまではデパートで働いていた。だから、通勤に便利な新宿に近いところに住んでた。子どもうまれるときに、この子を育てるにはどんなところがいいか、って雄三さんが休みの日に、2人で作業車で探して回った。夕日が沈む方に走って、この川まできて、こんなところがいいなと思う景色にあたった。2人ですぐに決めた。長男が3月に生まれて、5月にはここに引っ越してきた。そうなのよ。初めての一人芝居公演もそのときだし、すべて同じときなのよ。ここの場所でみんな始まったのよね。

ここに思い入れがあるし、住み着いたときはとても生活感のある場所だったのよ。

その街が近代的にかわって、楽天の本社がくるとかっていう、ここ数年で大変貌よね。

 

あるときHPでおもしろいことしてるなあと思って来ましたとスーツ着た人がカフェに来て、提案をされたの。

 

「カタリスト. って駅前のオフィスビルのスペースで、働くってテーマで何かできませんか」って。「ワークショップもやりたい、ここに住んでいる人が、母子も含めて参加できるような」って。

去年の9月の終わりにいらした。「11月でもいいですよ、私たち用意がいらないので」、って言ったけど、「いや、僕らも企画通すのに時間がかかる」。しばらくして、「12月14日あいてるから」と問い合わせがあって、やろうとなった。で、いつも稽古してた組で、子どもたちがそこにそのまま存在するお芝居をやってみることにしたの。それが、「モーレツ社員と怒るその妻」(20141214日)

一人芝居休眠のあと、東京で集まれる人とスタッフで、渋谷Edgeで芝居をしてた。Edgeでは、狭いスペースだけれど、舞台をたてて何かをやるというお芝居してた。プロセニアムってこと。そうね、四角い舞台の空間をきちんとしつらえるという意味だと思う。それがあるって前提のお芝居をしたわね。

でも実は、もっと演る側と観る側の垣根がなくてもやれるんじゃないかと思った。

楽ちん堂にきてくれるお母さんと子どもたちが、渋谷にわざわざみにきてくれた。なにも渋谷まで来るなら、自転車で来れる地域でお芝居をうってみたいな、って思いが強くわきました。

ジァンジァンのように、そこに来たら何かが見れるというようなのが、いいな。でも、カフェでやると日常的すぎて、芝居として日常よりもっとリアルな内容を演ると、唐突すぎる。劇場でもなく、カフェでもない場所。そういうのがあったらいいな。二子玉の駅前ビジネスビルの「カタリスト.バ」って、普段はそのフロアの人が自由に休憩したり、ミーティングしたりできて、イベントもできる場所。大きな窓ガラスから川が見えて、富士山が望める。職場に行くのと自分のうちに帰る、中間にある街じゃないかな、と思った。

去年の秋ね、駅前のファッションビルのエレベーターに乗った時、もう一人乗っていたマダムが私に、「住みにくい街になったわねえ」と言ったの。私いつも前掛けしてばたばたしてる、その日は前掛けはずしてたけど、この土地に住み着いている人って見えたのね。ふと、私にそう言った。そう言わざるを得ない感じがしたのね、きっと。

そこにね、何かチャンスだと思った。これだっていう感じがすごくあった。住みにくさとか住みやすさとか、定義しにくいものの中で、身体で表現して共有する場所ができたらいいんじゃないかって。

生活する人の居場所が見つかるって感じ。新しいテーマに出会った。

尾形や雄三と出会ったときの啓示みたいなものを思った。

街の本来の居心地のよさを演劇を通して見つけていくっていう新しい時間が作れないかなと。

そのとき、「せめてしゅういち」という名前はうかんではいなかったけど。

老後に関しての記事って、たくわえとか、やりくりとか、金銭と直結している話題ばかりが取り上げられている。保険とか貯蓄とか書類ばっかり。相対的な価値と内面的な充実感が違うってことを一番わかりにくい世代なのじゃないか、私たちの世代って。社会に組み込まれながら、家族にお金の苦労させないことが大事とすりこまれすぎている。でも、自分の子どもの世代はそんなこと思っていない。ギャップがあるよね。

「せめてしゅういち」ってビジネスとしては儲からないかもしれない。でも、 内面的な充実感ってことを共有できれば、まあ、最終的にビジネスとして成功しなくてもいいと思ってる。失敗だって、だれかと共有できたら、いいのじゃないかと。

 

それでね、321日に、カタリスト.バでお芝居をやるの。せめてしゅういちに参加希望される方にも出ていただきたい。小松政夫さんも出てくださるって。この間、ふらっと来られて、そういう話になったの。カフェに用があってきたのじゃない。ちょっと話がしたいなって来てくださった。そして、すぐさま、出るよ、みたいな話になる。こんな風にやっていけたらいいなと思う。

 

 

 

 

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2015-02-18 06:57:48

Mws#47-3 二子玉芝居子どもも出たよ-3

テーマ:ワークショップ

Mws#47-3 二子玉芝居子どもも出たよ-3

 

 

  10 祖母と母と孫

 

ほっぺ真っ赤な祖母。丸々と太った赤ん坊を抱きしめています。もう、ほおずりしっぱなし。隣にはキャリア風のしれっとした娘。祖母は新潟弁の明るい声音でつべつべ言います。

あんたが最後にこの子抱いたのいつ?あんたが知ってるとき、体重5キロだったでしょ。今、8キロもあんだよ。

「甘やかし過ぎなんだって」

はは、この間わし保健婦さんに怒られちまった。酒の粕板みたいになったのあんだろ。あれ、焼いたの食べさせたら、おばあちゃん、赤ちゃんも酔うんですよって。ははは。

この子なんだってよく食べるんだあ、ははは。

お前、養育費もらってんのか。

「いらないって言ったの。この子、私だけの子だし。8時から夜中まで人の倍働いてるの。外資系って言ったって、イラン人とトルコ人が上司。上司の子どものプレゼントまで買いに行くのが仕事なのよ。で、5時に終わったら、バーで働くの。この子が大きくなって、私立に行きたいって言ったら出してやる。ピアノ習いたいって言ったら払えるよう。お金貯めるんだ。で、自立してなんでも一人でデキる子にするの」

はー、お前、抱いてみ?

ほれー、あいやー、泣いてまったでねえか。

 

と、娘に母親らしくさせたいのか、自分で孫を育てたいのか。

 

もちろん、祖母を演じているのは、赤ちゃんの実のお母さん。普段はそれほど可愛がりばかりではすまされない母ですが、もう、祖母役にはまって、なめんばかりに可愛がる演技がすてきです。子どもとお母さんのユニットはとても演劇的です。

 

七五三幼子のままでおればよい

 

12 CM家族写真

 

このシーンだけは、衝立の前面から登場です。スタジオにやってきた家族という設定。本当の家族を核に、少し子どもは増えてます。5人います。中でも2歳?のよしきの動じないところが、もうすてき。子どもって見てるだけで幸せになる。子どもの存在そのものを演劇化した場面です。

家族の写真がCMに使われるかもしれないという設定。小さい息子はわけもわからず、姉たちを見て、いいお顔したり変顔したり。その一生懸命さにカメラマンも客も幸せになります。最後にポーズをキメて股のぞきする姉たちに気づき、このチャンスを逃さじとばかり、おしりめがけてキックしたり、叩いたりするよしきに爆笑、涙付き。

 

福だるま胸に抱えし希望(のぞみ)かな

 

13 ベリーダンス母娘

 

ベリーダンスを踊る母。本当の娘さんもお母さんと踊るのです。らくちん堂では先日、2人のダンスを見る夜も設定されました。そんな2人をどうやって演劇として見せるか。親子を見せるには、演技はいりません。ただ、親子がいることを客が受け入りやすい設定をして、舞台に押し出せばそれでいいのです。そんな簡単なことですが、そのためには、親子家族がいつもの関係性のまま、そのまんま舞台に存在するという実は難しい課題があります。この日は、舞台を含むスペース全体を家族が一緒にいる場所にしてしまったことによって実現しました。子どもたちは、芝居の最中も、仕切りの向こうの窓に面したスペースで、静かにのびのびと過ごしていました。大声を出すべきではないとわかっていて、でもみんながいて嬉しくて仕方がない。呼ばれたら舞台に出ますが、舞台から降りたら、それはそれで楽しい時間。

お母さん、ベリーダンスを踊り始めます。やがて気持ちが昂ってきて、至上の存在との交流を表現し始めます。そこに娘も普段着のまま踊り出します。

 

空にはね、神様がいて、そして身体におりてきて。

水をね、かき分けてかき分けて、また空に帰っていく。

 

と娘に伝えるのか、ただつぶやくのか。2人は連れ舞に舞います。音楽も流れてきて、お母さんは自由に踊り出しますが、と同時に娘の動きも自律的に変化していきます。

 

鶴舞いてやがて鎮まる夕べかな

 

14 大道芸

 

赤い鼻のピエロが登場。実は2番めのシーンで叱責する手足の長い上司を演じた中島さん。若いころ大道芸で十分に食えていたそうです。でも今日はエア芸で見せます。

お座布席にはそのころ子どもたちがすずなり。舞台から

はい、近寄ってね、と呼びかけると、お客さん本当にわやわや近寄ります。

 

あー、近すぎ!近すぎ!

 

と距離を取らせて

トランプ手品を披露します。見事に広げたら、あれ、なくなっちゃった。

はい、拍手!

 

手品はエアですが、お客さんはリアル。反応がいいです。

 

玉と取り出し、一つ放り上げてゆっくり取る。次に一個増やして、また一個増やして。決めポーズ。どんどん調子づいてきて、危険な芸に突入。ナイフでお手玉。

 

近寄ってくる子どもたち、というか、さっきからまつわりついているお客さんもいるのですが。ピエロはさばきながら、ナイフ芸に移ります。この頃には見えないナイフにおびえてみせるノリのよい子どもたち。

やんややんや。

 

居並びて子ばかり見入る里神楽

 

これにて終了です。

たくさん集まった子どもたち、幼児も赤ん坊も。ベビーカーの中から芝居を見ていた子も何人かいます。1時間半の間、泣き声は一度も聞こえませんでした。大人が興奮せずに楽しんでいると、子どもはとても落ち着くものなのですね。終わっても、久しぶりの挨拶やお茶を呑むやら。さっきまで、多摩川に向いた窓からは、冬の夕日がさしていました。

今夜は双子座流星群。楽しかった半日。夜にはなにかを寿ぐように星が降るでしょう。どうぞ、このまま子どもたちの平和が続きますように。

 

 

芝居観る一時ありて師走かな

 

 

 

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