こんにちは。
かずらです。
今回は、真面目なお話をします。
これは私自身の個人的なお話にはなりますが、それを話す義務があると思ったので、話します。
というのも、高校生時代からSNSの世界に入り、多くの方とやり取りをしてきた中で、詳しい話もせず、一人勝手に再出発した自分に負い目を感じるからです。
私は、中学教諭の父を持つ長女として、本家の第一子として生まれました。
古い習慣が染みついた祖父母と共に暮らす中、他の子と違うプレッシャーを感じていたかもしれません。
私が生まれた当初、”どうして男の子ではないのか”という議論が起きたそうです。
そのため、弟が生まれた時、とても喜んだそうです。
しかし、仕事をしながら、子育てが出来るわけないと、祖母から言われ、母は仕事を辞め、子育てに専念しました。
ちなみに父は仕事人間で、ろくに遊んでくれた記憶もありません。
弟は結構重度のアトピーだったそうで、そのことについて、「妊娠中の行いが悪かったのではないか」と父側の親戚から責められる中、母は一人、弟の看護に徹していました。
この際、私に構ってあげられなかったことについて母は先日、「申し訳ないことをした」と、唐突に話してきました。
しかし、そのことについて、私は別に母を憎むような気持ちはありません。
あるのであれば、家事・育児に参加しなかった父親への怒りくらいです。
幼稚園から小学校中学年くらいまではクラス内の人間関係もさほど問題ではありませんでした。
ですが、高学年になると、内気な性格と外見、運動音痴を理由に次第にいじめられるようになってきました。
(言葉だけだったので、それほど激しいものではありませんでしたが)
家に帰っても、弟優先。
どこにも居場所がないと、6年生の時、初めてジサツを考えました。
だけど、そんな勇気はなかった。
毎日、毎日。義務のように学校へと向かい、1度の仮病だけで卒業しました。
中学に入ったとき、嘘でも笑っていようと努めることにしました。
中学はいろんな小学校の子が集まるので、別の小学校の子を中心に友だちが多くできました。
それで、表面上の笑顔の作り方を覚え、泣き方を忘れて行きました。
順調に始まった中学生活。
しかし、2年生の頃、父が志望して私の中学に赴任してきました。
父は4月の自己紹介で、自分の家族構成、家族の職業や年齢、名前をすべていう人でした。
そのため、親子だという話は途端に広まり、一部の同級生からは羨ましがられ、一部の教師からは贔屓・期待され、また一部の同級生からは嫉妬されるようになりました。
(父はその1年後、母からの意見でまた勤務場所を変えています)
そんな中、学校に来れていない友人の分のノートを書き写したり、毎日電話したりと、もっと苦しい状況にいる子がいるのだからと、自分の心に蓋をするようになりました。
高校入学後はまた新たな友人と過ごすようになります。
ここでも父の噂はあったものの、それほど大きくはなりませんでした。
私は“認められたい”という欲を満たすため、リーダーなるものを進んで引き受けるようになりました。
しかし、それはまた違う方向へと動き出します。
高校時代で1番大きかった出来事は修学旅行だと思います。
修学旅行の日程の中に、自由散策というものがあったのですが、そのプランを考えるよう、先生から各班へ指示がありました。
班員はユウジンでした。
時は定期試験前。
試験後では間に合わない締め切りでした。
そのため、試験勉強を一度中断して、メンバーから集めた“行きたい場所”をピックアップし、それらをつなぐルートや主要時間を計算しました。
やっとできたプランをメンバーに送信すると、
「私の行きたい場所が1つしか入ってない」
「もっとたくさんいけないの?」
私的には、メンバーの行きたいところは必ず1つ以上入れ、最善を尽くしたつもりでしたが、誰一人賛成してくれず、部屋で一人泣きました。
この光景は今でもはっきりと思い浮かびます。
その後、どうにか練り直し、私の行きたい場所はすべて排除して全員合意のプランを作成することが出来ました。
ちなみに、いじめられていた中行った小学校の修学旅行では嫌な思い出ばかりだったので、高校の修学旅行でも出発1カ月前から拒否反応なもの、、、頭痛や腹痛に悩まされてましたし、旅行中も気分がすぐれないこともありました。
幸い、友人がそれに気づいてくれて、気にかけてくれていたので良かったです。
2年生の冬からは進路に関する祖父母からのプレッシャーで、1週間おきくらいに週末は体調を崩すようになっていました。
大学入学後、学部は看護。
元々、医療が好きだったこともあり、学ぶ内容はとても魅力的なものでした。
そしてここでも、新しい友人グループができました。
みんなで四苦八苦しながらの大学生活。
毎日、朝から晩まで大変で、遊ぶ暇もなかったような感じでしたが1年間は楽しく過ごすことが出来ました。
しかし、2年生になり始まったゼミが後の私の人生を大きく変えることになります。
ゼミグループには友人グループのメンバーもいて、快適に過ごせるものだと思っていました。
が、、、
ゼミ活動中にスマホを触るわ、寝るわ、妨害するわ、
まるで進まない話に焦りを感じ、それぞれの調べる内容を分担して、それを私がまとめるという形を取ることにしました。
それでも寝てしまうメンバーを横目に、私は発表スライドの枠組みを考えました。
こういうことは今までもあったので、別に何とも思わず、試験勉強をしながら、自宅で作成を続けました。
しかし、そんな中、友人グループのメンバーでもあり、ゼミのメンバーでもある一人との一言で、たった一言で、変わったのです。
その時、友人グループとゼミの進み具合について話し合っていました。
「えーうちの班、ほんまやばいんちゃうん(発表に間に合わないのではないか)」
私「いやいや、だって、この間のゼミの時寝てたやん」
「あれは、めい(私)が勝手にやるから」
皆がやってくれないからしょうがなくやってた。
やろうと言っても、してくれなかったのに。
なのに、私が悪いの?
私が・・・?
大学以前も含め、これまでの私の行いを全否定された気がしました。
その後、目に入る人や、電柱、看板、そのすべてから責められているような感覚に襲われた。
笑おうとすると引きつり、びくびくとする頬。
その異変に私は精神科を受診しました。
上↑(ゼミ)の出来事があってから1カ月ほどのときです。
そこで中度のうつ病であると告げられ、薬を処方されました。
時期は7月下旬。試験中で、もうすぐ夏休み。
夏休み中は薬の副作用でほぼ寝たきりでした。
食欲も減退し、体重は6月からの3か月間で8kg減りました。
抵抗力が落ち、体調を崩すことが多い中、後期の休学を決めました。
先生からは最初止められましたが、ゼミでのことを聞き、診断書を提示すると、すぐに了承してくれました。
休学中は少しずつ外出を増やしたり、本を読んだり、編み物をしたり・・・
とてもゆっくりとした時間を過ごしていました。
シニタイとも思った。
生きる意味も見だせなかった。
母が何度「味方だから」と言ってくれても、信じることが怖くて出来なかった。
その中で自分のことを考えることも出来ました。
体調も落ち着いた12月。
私は依然通っていたくもん教室のスタッフとしてアルバイトを始めました。
(公文教室は中1から高2春まで通っていて数G英Fスタート、数N英LⅠで終わりました)
子どもが好きなことと、幼少期から鍛え上げられた敏感さで、ただ丸をつけるだけのマシーンではなく、手の止まっている子の声掛けや、採点を待っている子の視線に気づくことが速くなってきて、子どもたちの方から声をかけてきてくれることも増え、指導者の先生からは
「かずらちゃん(私)がいてくれる間は安泰」
「すぐに気付けるのも、子どもが好きだからだろうけど、それはかずらちゃんの天性ね」
「いてくれて本当に助かった」
と幾度となく言ってくれて、それが本当に嬉しい。
そして、子どもたちと関わる中でやっぱり子どもと関わる仕事がしたい。
いや、子どもたちが楽しく生きられるような世の中にしたい。
と、強く思うようになり、養護教諭(保健室の先生)になるため、転学を決意しました。
この4月。
私は再度、2年生として大学に戻りました。
ただし、学部は変わって。
私の今の学部では心理と養護を中心に学びます。
そのどちらもとても面白いです。
大学内では友人を作っていません。
共に学ぶ2年生は既にグループが出来上がっている。
それを壊すかもしれないというリスクを負いながらまでも欲しいとは思わないし、大学は勉強をするところ。
友人がすべてではないという私なりの考えです。
この前期、大学も、バイトも、無欠席で終えることが出来ました。
これは大学の時間割が極めて楽であるためだと思いますが、それ以上に、絶対なりたい夢が出来たからだと思います。
そのための勉強は全く苦ではなく、楽しいくらいです。
この夏休みも、バイトしながら、ちゃんと毎日勉強もしています。
これから先、何があるかなんて、誰にもわからない。
けど、この先に、私の待っている未来が、光景が、あるかもしれない。
ならば、取り敢えず、突っ走っていこうと思います。
もちろん、私なりのスピードで。
とにかく、いま、私が見ている景色はとても輝いています。
今年5月。
ペットショップで処分寸前だったうさぎを新たに迎え入れました。
ビクビクと震え、店員にも全く心を開いていなかったうさぎ。
きっとこれまでの1年間、ずっと檻の中にいたのだろうと思います。
私はこの子に、「陽音-はると-」と名付けました。
”太陽のように明るい日々を送り、たくさんの音を聴いて、たくさんの経験をしてほしい”
陽音を初めて見た時、その姿は10ヵ月前の自分でした。
そして、陽音は今、楽しそうに部屋を走り回っています。
慣れるまでには2ヵ月ほどかかりました。
掌は未だに怖がりますが、ご飯を待つその姿はとても愛らしく、と同時に、非常に嬉しく思います。
嵐のRise and Shineの歌詞にもありますが、
「間違いなんてない」んですよね。
今年参加したNEWSのライブと、MUSIC DAYの番協。
苦しくて暗かったときには当たりもしなかったものが、当たったのも気持ちが前向きになったからなのかな?なんて(笑)
次は嵐ですね。
今年こそは初のドームライブ参戦になるかな~?
さすがに運使い果たしたかもだけど(笑)
以上です!!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
これからも、かずらを、めいを、よろしくお願いします。
(この内容は数日後に非公開にします)