昨日は実家地方の病院に入院している家族のお見舞に日帰りで行ってきました


驚かせるため黙って行ったのに全く驚かず、ちぇー、つまんないもっとこう、ぎょっとさせたかったのに!と言ったら母が家族と、「予め教えておいて、驚いたふりすれば良かったね(笑)」と笑っていました


家族の病気はがんで、ステージは3

診断されたのは今年に入ってからで、丁度ラっちの受験が本格的に始まった頃で、知らされたのは最後の試験が終わった時


家は妹その2(両親と同居)もまだ若年性のがんの治療中(今年7月で定期的な治療は終わるらしいが、年がら年中体調は悪い)なので母が色々と抱えていないか心配だ


今回の入院では当初抗がん剤と放射線治療のダブルでがんを叩く予定だったが、白血球数が下がってしまい、抗がん剤は使えなくなってしまった


放射線治療ってもっとピンポイントで照射するものだと思っていたけれど、表面の皮膚が広範囲に赤くただれてしまっていた


なんでそんなに範囲広いの、一方向からそこだけに照射するわけじゃないの?と聞いたら、放射線だものこっちから当てたらこっちに突き抜けるでしょ。と言われた


ちょっと衝撃的だった

結構長い間原子力関係の施設で働いていたし、そこではがんや腫瘍を病院と提携して治療するような研究室もあったはずで、「切らなくてもとても小さい範囲のダメージで治療が出来る」というイメージだったしそう聞いていた気がする

もし自分がなったら受けたいと思っていた治療だった


治るといいなと思う
母は治さなきゃね。と言う
治してあげなきゃと


小林麻央さんのブログを読んでいる
とても素直な言葉の数々が、コトンと胸に入って来る


あきらめない
と云うのは大切なことで、本当にステージとかなんだとか、関係ないんだと思う


保険の営業をしている友人が話してくれたお客さんの事もある


そのお客さんが入っていた保険は余命半年と診断されると死亡保障分の金額を生前に受け取ることが出来るもので、お客さんはそれより短い余命を宣告され、まとまった金額を受け取ったのだけれど、その後何年もお元気で過ごされているそうだ


本当に何があるかなんてわからない
でもあきらめたら、そこで終わりなんだと思う


私は家族にあきらめて欲しくないし、私もあきらめない


綺麗なことを、楽しいことを、美しいことを前を向くことを、そして愛や優しさを常に大切にして生活したいと思う


治療は痛くて苦しいだろう


私もちょっと故障するととても気持ちが弱くなる


痛かったり気持ち悪かったりするとたちまち心まで折れてしまう


でも逆もあって、心が折れたり、ツライ事があったり、もしくは汚かったりネガティブな感情(や、物事)に触れると健康を損ねてしまう

心と身体はつながっている


なるべく(自分の出来る範囲で)色んな意味で健やかさを心がけたい


病気は気付かずなってしまうものだけれど


心は、自分次第だから


家族も痛みで心が折れそうになると思う
痛みは代わってあげられないけれど、楽しさや、嬉しさや幸せを少しでもあげられたらと思う


大切で必要なこの世にたった1人の、かけがえのない存在(誰だって誰かにとってはそうなはず!)