私、これ「」でAPTFを脱会しました。 | 維新の翔ぶがごとくに

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命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)をともにして国家の大業は成し得られぬなり。

西郷隆盛(1828年~1877年):

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昔、「私、これで会社をやめました。」「私、これでタバコをやめました。」というCMがありました。今回の題名はそれを真似てつけました。

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APTFの脱会手続きは手間がかかる? と聞いていました。

1年くらい前にAPTFの本部に「脱会」したい旨、メールで連絡を取りました。すぐに返事があり、教区の責任者の携帯番号を教えられそちらに直接連絡してほしいとのことでした。担当者が公務中か私生活の時間か多少気を遣いながら連絡がのびのびになってしまっていました。

 

間も空いたことから一緒に歩んだ教会の壮年部長に連絡したらこちらで書類を準備してくれました。脱会を残念がっていましたが、理由を説明したら、手続きを進めてくれて終わってみれば難なく脱会することができました。

 

念のため書いておきますが、私(の家庭)が祝福家庭であることに変わりはありません。毎日の祈り、訓読をして「理想家庭」を築き、神様の願いを果たそうと努力しています。

神様、メシア、み言葉等にはゆるぎない確信を持っています。

 

それではなぜ私(の家庭)がAPTFを脱会しようと思うようになり脱会に至ったのか? 少し説明していきます。

 

やはりここ数年の教会の変貌が原因ですが、一つにはAPTFの機関紙に「真の父母様宣布文関連の写真や記事」が掲載されたことが不信の始まりでした。現実には「統一教会」も「APTF」も同じ「根である祝福家庭が運営」していますが、「APTFは統一教会とは別組織であり、対社会的に創設されたもの」との認識がありました。実際に私の所属していたAPTFは「組織から独立」していました。1例を挙げると、教会長がAPTFの責任者(壮年)に対する人事権がない、APTFの責任者が許可しなければAPTFのお金を教会が使うことができない、などがありました。壮年が自主的、主体的に運営し活動をしていました。

 

内部、外部や二世のイベントなどお世話になりましたし協力もしてきました。今までお世話になってきた所属のAPTFを批判するつもりはありませんが、(矛盾するようですが)「統一教会」と「APTF」の関係には問題点もあります。

 

最初はよかったと思うのですが、途中から「統一教会」も「APTF」も同じ、ごっちゃになってきました。

名目上別組織であるはずなのに、「責任者(この場合の責任者は本部の会長を指します)が兼任」していたり、教会のみ言葉である「ファミリー」や「祝福家庭」もAPTFから郵送されるようになってきました。分ける必要がなくなってきたわけです。それでも多少は目をつぶり、いつか教会やAPTFが改善されるか? と期待、様子を見たり努力をしたりしてきましたが・・・。


これでは結局のところ社会的に見ても、「統一教会とAPTFは同じだ」と批判されてしまいます。


壮年であればそれぞれの地区の人員の都合、事情から兼任は仕方ないとしても、
「公職者の兼任」はあり得ない、と思います。 「統一教会とは関係がありません」と言いながら統一教会の公職者が関連団体の職員をすることは慎まなければならないはずです。

 

前述の「真の父母様宣布文関連の写真や記事」に関しては「お父様が願ってもいない大会朴普煕氏の、子供じみた妄言と行 (カフェ実名ディスカッションルームより))」であることがわかっていましたので、この大会自体が当時から不愉快でしたし、教会にも異議を申し立てていました。その後も「対外的な機関紙」であるはずでしたが、ここ数年の混乱に対する教会や様々なことに対する詭弁や正当化の記事が多くなってきてしまっていました。誰々のみ言葉も読むに値しない内容となっていました。

 

決定的であったのは今年に入って「神山名誉会長の除名記事」が出たことです。

 

なぜ「APTFの対外的な機関紙」に「神山名誉会長の除名」を正当化する言い訳じみたことを記事にする必要があるのでしょうか? 同じ食口が運営しているAPTFという組織もこのように悪なる教会を正当化し、神山先生等を攻撃する材料として用いられるようになってしまいました。APTFとしてはこのような記事を載せてはいけない、と教会の横暴を防ぐことができず同化してしまったわけです。

 

1部を除いては今はほとんどAPTF独自の活動はなされていないに等しいのではないでしょうか?

 

教会が何かイベントをやるとします。食事会、清掃、ボーリング等。そこに「APTF ボランティア」とか「垂れ幕」とかつけて紙面に掲載して活動しているように見せているだけではないでしょうか?

 

いつしか教会は「内容のない活動」を「見せるための活動」にしてしまっているのではないでしょうか?

教会や責任者は「見せるための写真や実績」がほしいのです。
内容はともなわずとも、ボランティアや活動をしているようにその上の責任者に「報告するためのみせかけの実績」がほしいのです。

いつの間にか教会や食口(私も気をつけねばなりませんが)はこのような「悪しきUC文化」「伝統芸能」が身についてしまっているように思います。

 

あなたの周りにもいませんか?素人であるのに「写真」だけバチバチ撮り、見せかけの実績にしている人が。 ○○(議員、会長、役職)も参加された、(桜を参加させ)こんなに人が参加した。紙面やサイトの体裁を綺麗に作る。とりあえず作りました観のあるサイト。

 

もはや、「統一教会」や「それに類似する組織」からは神も運勢も離れていっています。

同じ過ちは繰り返さないようにしたいものです。

最後に、「祝福」「二世祝福」「聖和式」等の問題もありますが、今の教会(組織)ではあまり関係なく、とらわれる必要はないと思います。逆にこれらのことを人質にする愚かな行為とかは組織の方がたは慎んでほしいと思います。


 

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