房日新聞投稿 ~安全保障について~ | 館山市議会議員「石井としひろ」のブログ

房日新聞投稿 ~安全保障について~

今朝の房日新聞に、私の読者投稿が掲載されました。2千字くらいあるので、読者のコーナーにしては多い文量です。タイトルは「世界での国防と日本の安保法制」です。実は、投稿が房日で掲載されたのは初めてです。参院選も近いし、読者の参考になればと思って投稿しました。

憲法9条や安全保障というのは、賛否がはっきり分かれることが多いのですが、私は中間的な立ち位置だと思います。地方議員とはいえ、9条や集団的自衛権について聞かれることは結構あります。「地方議員だから、国防はさっぱりわかりません」では、政治家をやっている以上、通らないのです。


<要旨としては>

世界での国防はおおまかに3つあって

1 非武装・他国軍依存型  例、コスタリカ
2 重武装・中立型(個別的自衛権) 例、スイス
3 軍事同盟型(集団的自衛権) 世界で一番多い

どれも一長一短なので、どの方式を選ぶのかは、その国の状況と方針による。日本は、1と2の中間型で、自衛隊と米軍で国を守っている。

日本は軍事的に米国に依存しているが、その代わり基地を提供して、対等な条約になっている。それは、1960年に改定された日米安保条約の通りである。

安倍政権の安保法制は、日本が軍事的にアメリカの肩代わりをする内容であり、対等であったはずの日米関係で敢えて日本を不利にしてしまったものだ。

また、集団的自衛権を合法化する為に理屈をこねた「存立危機事態」というのは他国防衛の場合では存在せず、論理破綻をしており憲法違反である。

<以下、全文掲載>

 『 世界での国防のあり方と日本の安保法制 』

集団的自衛権や安保法制については、賛否が真っ二つに分かれて、護憲派と改憲派から様々な主張がなされていますが、お互いにかみ合っていないような気がします。そこで、世界各国での国防をいくつかのモデルに分けて論点の整理が出来れば、また安保法制については自分の考えを参考にして頂ければと思い筆を取りました。

世界各国の国防には、主に3つのモデルがあります。

1つ目は、「非武装で防衛は他国に依存」する形です。軍を持ちませんから、有事の際は他国に防衛を頼む形になります。当然、タダで守ってもらうわけにはいきませんから、基地の提供・資金の提供・外交交渉での譲歩など、何らかの代償を払うことになります。例として、中南米のコスタリカがあります。この国には警察以上の軍備はありませんので、防衛は米国依存になります。それゆえ、対米関係が悪化すると危機的状況に陥り、その場合は、諸外国の世論に訴えるなど、綱渡りの平和外交で切り抜けています。

2つ目は、「重武装中立」という形で、スイスがあります。個別的自衛権のシンプルな形です。この国は、どの国にも助けに行かない代わりに、自国が攻撃を受けた場合は、自らの力のみで相手を撃退しなければなりません。それゆえ、膨大な軍事力を備えています。この防衛モデルは、世界中でやりだすと、軍拡競争に陥るという欠点があります。

なお、非武装と中立を両方満たす国というのは、厳密にはありませんでした。非武装中立は理想かも知れませんが、現実的には困難です。なぜなら、話し合いが通じない相手というのも少なからずいます。最悪の例としては、平和条約を結んでも、簡単に破って侵略戦争を進めたナチスドイツがありました。

3つ目は、「集団的自衛権」の行使が伴うもので、他国が攻められた場合は助けに行くし、自分が攻められた場合も他国に助けに来てもらう形です。この防衛モデルの欠点は、他国の戦争に巻き込まれることです。最悪の例が第1次世界大戦で、本来は局地紛争で済んだことなのに、同盟関係で多くの国が参戦せざるを得なくなり、世界的な大惨事になってしまいました。

防衛というのは、この3つのモデルのいずれをとっても、欠点があり、平和のための代償は必ず払わなくてはなりません。平和にタダ乗りというのはないのです。どの防衛モデルを取るのかは、その国の置かれた状況や方針によるものなので、どれが正しいとは一概に言えず、あくまでもその国の選択になります。

日本は戦後長らく、1つ目と2つ目を折衷したようなモデルでやってきて、必要最小限の個別的自衛権と米国の軍事力依存でやってきました。日本は有事に米国の助けには行きませんが、その代償として米国が自国の国益のために自由に使える基地を提供してきました。沖縄をはじめとする基地問題は、防衛を他国に依存している代償なのです。

この日本とアメリカの関係は、1960年に岸政権が日米安全保障条約を改定したときに、「両国の関係は対等」であると決着済みです。それまでは、占領政策の継続と言われたように、安保条約は日本がかなり不利な条件になっていたという経緯があります。


さて、安保法制に対する私の考えですが、政策論として、基地問題の解決のためには集団的自衛権も必要というならばわかりますが、基地問題はそのままで、単にアメリカへの軍事協力が増えるというものなら、やめて頂きたいものです。いわば、日本が不利になる「外交敗北」に過ぎないのではないかという懸念です。

また、法律論としては、憲法が時代にそぐわなくなってきた場合、解釈の変更は必要最小限ならば可能です。しかし、条文から論理で導ける範囲を超える解釈変更は許されず、その場合は、条文そのものをの改正するしかありません。

従来の政府見解では、「国家存亡の危機の場合には自衛権を行使できる。国家存亡の危機は自国が攻撃を受けた時だけで、他国が攻撃を受けた場合に日本が滅亡の危機になる事例は存在しない。だから、他国防衛である集団的自衛権の行使は許されず、日本が行使できるのは、自国防衛である個別的自衛権のみである。」というものでした。私も同様に、他国が攻撃を受けて日本が国家滅亡の危機になる事例は存在しないと思いますし、事実として歴史上、一度もありませんでした。

しかし、安倍政権は「これまでと違って今は、他国が攻撃を受けている場合でも、日本が国家存亡の危機になる事例が存在することがわかった。」としています。確かに、その事例が存在すれば、その時に限って集団的自衛権を行使できるというのは論理的には通ります。しかしながら、安倍政権はその具体的な事例を示していません。やはり、そのような事例は存在しないのではないでしょうか。であるならば、ありもしない状況をでっち上げたことになり、やはり憲法違反は免れません。

館山市 石井敏宏(市議)