■いじめの定義 | 石田久二公式ブログ

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こんばんは、石田久二です。


実は私、世界中から「いじめと虐待」を撲滅させることを、真剣に願っています。特に「いじめ」については、子どもだけでなく、大の大人でも、さらに地域や国家レベルでも行われているので、「いじめの撲滅=世界平和」と言えると思っています。


では、そもそも「いじめ」とは何か。私は次に二つの条件が、その定義だと考えています。


・いじめる側は絶対的に「安全」な場所にいる
・いじめられる側は「理由」づけをされている



まず、「いじめる側は絶対的に安全な場所にいる」ですが、両者の力が対等であれば、それはいじめではなく喧嘩や決闘と呼ばれるもの。いじめる側はまず絶対的に自分が安全であることを確認した上で、いじめを行います。


例えば、いじめられっ子A君がいたとして、仮にA君の腕っ節が強かったらいじめは成り立ちません。A君に対して何をやっても自分は傷つかない、安全であることを確認できてから危害を与えるわけです。それはパワハラも同様。逆らうと不利になるとわかっている人にしか、それは行われません。例えば人事権を持つ上司が部下に行うパワハラでは、もし部下が開き直ったりでもしたら、それは成り立ちません。


つまり「いじめる側」はどこまで行っても「卑怯」なのです。それはしばしばネット上でも見られます。芸能人のブログが炎上することがしばしばありますが、あれは芸能人に対する集団いじめに他なりません。


私もブログを書いており、しかも本名を出しているのですが、しばしば記事の内容はおろか、私の人格にまで厳しい批判をしてくる人がいます。ですが、その人はあくまで匿名ですので、都合が悪くなったら引き下がればいい。これもまた、自分が絶対的に「安全」であることを確認しての攻撃です。


実際、今までブログやツイッター上で人格にまで及ぶ批判をされたことが何度かありますが、それ以上言いたいことがあれば電話をするようにコメント欄に番号を書き込むと、それでピタリと書き込みがストップします。


ですが、芸能人などはしばしば有名税などと言われて、その攻撃が正当化されることがあります。それがまさに二つ目の「いじめられる側は理由づけをされている」です。


ここでの「理由」は、合理的なものである必要はありません。芸能人に対しては「有名だから」で十分な理由になります。子どもの陰湿ないじめの場合だと「きもいから」がまっとうな理由になるのです。


絶対の真実を述べると、この世に「自尊心」を傷つけられてしかるべき人間など存在しません。それはたとえ犯罪者であってもそう。犯罪に対しては法がきちんと裁きます。第三者が野次馬的に犯罪者を攻撃していい正当性は存在しません。


これは国家間での戦争や搾取もそう。正直、「イラク戦争」はアメリカのイラクに対するいじめ以外の何ものでもありません。本当の理由は、イラクが石油の決算をユーロ建てにしたから、などの話がありますが、どんな理由であるにせよ、イラクの一般市民に対してはもちろん、国に対しても攻撃する正当性は存在しないのです。だけど、アメリカはイラクを攻撃するのは「正義」という御旗がバックにあるからなのです。


これはまさに子どものいじめも同じ。いわゆる「きもい」とされる人間をいじめるのは、いじめる側にとってみれば「正義」なのです。しかしもう一度言いますが、「きもい」ことがいじめる正当な理由には決してなりません。


そして人は、自分が「安全」であり、さらに相手がきもいなどの「理由」があれば、その相手に対して考えられないくらい「残忍」になれるのです。