「生き方は星空が教えてくれる」木内鶴彦著 | 石田久二公式ブログ

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 天体観測・彗星探索家である木内鶴彦氏のぶっ飛びの一冊。タイトルは天体観測者らしいロマンティックな感じであるが、内容はあまりにも深く、そして、濃い。著者と天体・彗星との出会いから始まり、成人した後の難病体験、そしてあまりにリアルで生々しい臨死体験の場面が綴られてある。後半は臨死体験をきっかけとして抱いた地球環境への問題提起とその対策について述べられている。極めて啓発的な内容であるが、本書の白眉は中盤、著書の「臨死体験記」にあると見ていい。一文一文に戦慄する。その一部を紹介したい。




・(心臓・呼吸が止まった後)三途の川らしきものの向こうで喪服を着た女性と出会う(後に亡き伯母であることが判明)


・自分はここにいるのに肉体がそこにある(意識は連続している)


・6歳の時、突然の「危ない!」という声により落石から逃れるが、その声は大人である自分自身だった

・中年男性が座談しているのを見るが、それは後年の自分自身の顔だった(生き延びることを確認)

・(時空を自由に飛びまわれることを確認したので)宇宙の始まりを見に行った

・宇宙の始まりはビッグバンではなく、膨大な意識体におこる「ひずみ」であった


・「死」の世界は膨大な意識の世界であり、宇宙そのものであった


・太古の地球には「月(衛星)」は存在してなかった(しかし人類はいた)


・月の正体は巨大な彗星であり、その水分が地球に降注ぎ衛星化したものだった


・その時に降注いだ水分こそが今の「海」であり、ノアの箱舟伝説の発端であった


・月が来る以前は人類は地下で文明を築き、地上では植物や恐竜が生息して住み分けが行われていた




以上は一部であるが、著書自身の個人的臨死体験を超えて、宇宙のはじまり、そして地球の生成と人類の歴史を目で見てきた記録である。太古の地球には月がまだなく、人類は地下に植物や恐竜は地上に住んでバランスのとれた住み分けがなされていたという。そして地球においては海は全体の3分の1程度しかなかった(今は3分の2)。



 

 そして巨大彗星が近づいてきた時、その被害予想ができた文明を持った人類は、洪水に見舞われぬよう山頂に避難し、それ以外の人類、生物、文明は月から降注ぐ大量の「水」によってすべて流されていった。つまり現在の我々はその時に避難した少数の人類の末裔ということになる。そして降注いだ水は「海」として地球に残り、同時に地球の質量が増加したことにより大きな重力を持つことになる。恐竜があの巨体の割には手足が小さいのは、重力を持つ以前の地球に適したスタイルであったと言う。




 著者はその臨死体験の最中、自ら足跡を残すべく、歴史的建造物などに「印」を残していた。それは意識がはっきりしていない(トランス状態にある)当時の人々の肉体を借りて、目に見える印をつけてきたのだと言う。そしてその印は現在、あらゆる箇所で確認できたことにより、臨死体験中に見た世界は現実であることを改めて認識する。さらに天文学者らしく、当時の天体の様子、月のクレーターの数、質量などを綿密に計算し、現在の状況と照合することにより、さらに臨死体験の世界のリアリティを実感するのである。



 
 その体験中に教えてくれた一つの問題はまさしく地球環境への警鐘であった。とりわけ「光害(こうがい・ひかりがい)」と呼ばれる、工業社会に避けられない害悪について懸念をしめす。それは四六時中、何らかの形で「光」が灯されていることによって、生物や地球のバランスが崩れていることを言う。つまり昼は明るく、夜は暗いのが自然であるのを、人工的な光により、そのバランスを崩しているのだと言う。




 また、現在では常識化されている、身体に対する「水」の重要性を20年以上前から研究していたのも臨死体験の産物である。いわゆる「太古の水」によって身体は蘇生するのだか、当時は水で病気が治るという考えを医学界は受け入れることがなかった。


 


 そして終盤は地球と人間の関わり方、人間として生きるあり方を述べることで本が閉じられる。凡百の環境本、生き方本の中で、本書が異彩を放つのは、まさしく「臨死体験で見た世界」という「リアルな現実」に起因することは言うまでもない。その体験談に接することで、読み手の判断は極端に分かれるであろうが、いずれにせよ本書の価値は今後も色褪せることはないだろうし、さらに年数を経て、重要資料として再評価されることを私は直感する。

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