森村泰昌様:なにものかへの迷路を彷徨う | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

「なにものかへのレクイエム」

 

 

 

みどり、アーティストの友人が居るにもかかわらず、

はっきり言って、現代美術音痴で、

何も分かっていません。

そんな中、今日、こういう記事を拝見しました。

 

20年かけて完成! 美術家・森村泰昌さんの集大成にして超大作の1冊!

 

 

大変ご高名な方なのですね。

それでも、存じ上げなかった程、現代美術音痴。

 

 

 

オードリー・ヘプバーンに原節子…自写像で女優になりきり 島根でユニーク作品展

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女優なりきりというところで興味を持ち、

お作をググらせて頂きました。

ググるわけなので、順不同で出てきます。

それがかえって良かったのかもしれない。

色々な視点からの作品を続けて拝見し、

全体を通して感じたのが、得も言われぬ感覚

事実は形を変えずに、その横で、視点が目まぐるしく姿を変える

 

 

 

 

 

もりむら やすまさ様、1951年6月11日~、現在69歳

本日も「」内はWikipedia様より引用させて頂きました。

 

 

「1985年にゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》(1889年)に扮する

自身が扮したセルフポートレイト写真《肖像・ゴッホ》(1985年)を発表。

初めて展覧会評が美術雑誌に載り実質的なデビューを果たす。」

 

 

 

 

「主な作品には「西洋美術史になった私」シリーズ、

「日本美術史になった私」シリーズの他、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハリウッドなどの映画女優に扮した「女優になった私」シリーズや、

20世紀をテーマにした「なにものかへのレクイエム」などがある。」

 

 

エドゥアール・マネ作『オランピア』を再現するに当たり、

彼は白人の娼婦と黒人の召使の二人の女性両方に変身したが、

これは絵画の中の人種同士の主従関係を際立たせた。また、

絵の中央に横たわり男性の欲望の視線にさらされるはずの女性に扮することで、

観客の視線を混乱させた。また、小道具の絹の敷物の代わりに日本の着物、

猫の代わりに招き猫を置くなどしている。

 

 

 

これはわざと日本ローカルのものに置き換えることによる笑いを誘う側面もあるが、

一方でローカルの物を普遍性のある名画の中の物と等価にしてしまうことにもつながる。

また、着物と招き猫という組み合わせから、

日本のステレオタイプである芸者への連想も可能である。」

 

 

「世界的に知られたオリジナルの作品のイメージや、

作品内の小道具を代用する大量生産のまがいものやローカルな産品を、

彼自身の肉体が入り込む一枚の写真統合することで

互いの距離をゼロにしてしまっている。

オリジナルとそのコピーが混在して消費されている

現在を表現している作家といえる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

はいはい、そう、現代美術って、こうして説明をした頂くことで、

理解していかんとならんのが、素人の難しいところ。

 

 

ただ、なんというのか、今回拝見した作品群

 

 

 

 

 

絵画、女優、に始まり、近代史?現代史?に至っていることで、

かなりの時空を俯瞰するのを感じたのでした。

必ずその中に森村泰昌様ご自身存在するというパラドックスも。

 

 

 

 

 

 

 

 

過ぎ去った過去の多くの時間と、

現在生きてそこに存在する作家の方ご自身の融合で、

あらゆる瞬間とあくまで個人の世界が重なる瞬間が存在する。

 

 

 

 

 

 

 

それに巻き込まれるような感覚を覚えました。

ね?ちゃんと解説して下さっているところから、微妙にずれてる

みどりの現代アート鑑賞、そんなものなのか、

勉強してから拝見しろ、なのか???

 

 

スターリンとトロッキーの攻防。

 

 

「女優シリーズ」展:島根県益田市の県立石見美術館(グラントワ内)

9月7日まで。広島と島根、隣接しているのに交通が不便

車で日帰りぎりぎり。なかなかきつい。

映画好きのみどりですが、今回の展示会。

「なにものかへのレクイエム」展が一番拝見したかった~。

広島現代美術館に回って来てらしたのに、残念!知らなかった。

 

 

 

マダムみら様~、今回写真の並びに自信がない!

間違えてたら叱って下さい。