夜なき夜・38 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

太陽が黄色い不条理


友人が、今、「カミユの異邦人を読んでる」と言うので、

確か、「太陽が黄色いから人を殺しちゃう話よね」と、

言ったものの、読んだのがあまりに昔で、

そればかりが強烈過ぎ、そこしか覚えてない。

そういえば、ヴィスコンティ監督が映画化されてた

・・・と、お写真探して、原作を「軽く」振りかえってみようと。

カミユ様。全く「軽く」は済ませてくれませんでした。


時は止まる君は美しい


↑ Albert Camus(アルベルト・カミユ)様、1942年、初版本。

「L’Étranger」

映画化は1967年。「Lo Straniero」

出演、マルチェロ・マストロヤンニ様。アンナ・カリーナ様。


翻訳は、窪田 啓作様のものが有名。とのことで、ちょうど、

そちらがうちにあるので、最後の主人公のモノローグで、

お写真を拝見したいと思います。


時は止まる君は美しい


↑↓ 絵画ポスターと写真ポスターでかなり印象が違います。


時は止まる君は美しい


夜のはづれで、サイレンが鳴った。それは、

今や私とは永遠に無関係になつたひとつの世界への出発を、

告げてゐた。ほんとうに久し振りで、私はママンのことを思つた。

一つの生涯のをはりに、なぜママンが「許婚」を持つたのか、

また、生涯をやり直す振りをしたのか、

それが今わかるやうな気がした。


時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい


あそこ、幾つもの生命が消えてゆくあの養老院のまはりでもまた、

夕暮れは憂愁に満ちた休息のひとときだつた。


時は止まる君は美しい


時は止まる君は美しい


時は止まる君は美しい


死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、

全く生きかへるのを感じたに違ひなかった。

何人(なんびと)も何人と誰も、ママンのことを泣く権利はない。

時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい


そして、私もまた、全く生きかへったやうな思ひがしてゐる。

あの大きな憤怒が私の罪を洗ひ清め、

希望をすべて空(から)にして了つたかのやうに、

このしるしと星々に満ちた夜を前にして、

私ははじめて、世界の優しい無関心に心をひらいた。

時は止まる君は美しい


これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のやうに感じると、

私は、自分が幸福だつたし、今もなほ幸福であることを悟った。


時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい


一切が成就され、私がより孤独でないことを感じるために、

この私に残された望みといつては、

私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、

私を迎へることだけだつた。


時は止まる君は美しい


時は止まる君は美しい


本当は、冒頭の訳がセンセーショナルだったそうなのですが、

それは無理。あえて、ラストで勘弁して頂くことにして・・・

う~む、Hちゃん、今日の私にこの小説を読み返させる超絶さ。

やられたわ。小説のテーマとは、おそらく全然違う所で。

(ここ、全く私信状態) 

時は止まる君は美しい


明るい発見と言えば、この新潮社版ハードカバー、

初版本だった事か?また、亡父にもやられたわ。

今日の文字の色は、その装丁からとりました。


時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい


ルキノ・ヴィスコンティ監督。本日も頬杖。

時は止まる君は美しい


倉田江美様の「パラノイア」でも、

「太陽が黄色いから」は印象的でした。