太陽が黄色い不条理
友人が、今、「カミユの異邦人を読んでる」と言うので、
確か、「太陽が黄色いから人を殺しちゃう話よね」と、
言ったものの、読んだのがあまりに昔で、
そればかりが強烈過ぎ、そこしか覚えてない。
そういえば、ヴィスコンティ監督が映画化されてた
・・・と、お写真探して、原作を「軽く」振りかえってみようと。
カミユ様。全く「軽く」は済ませてくれませんでした。
↑ Albert Camus(アルベルト・カミユ)様、1942年、初版本。
「L’Étranger」
映画化は1967年。「Lo Straniero」
出演、マルチェロ・マストロヤンニ様。アンナ・カリーナ様。
翻訳は、窪田 啓作様のものが有名。とのことで、ちょうど、
そちらがうちにあるので、最後の主人公のモノローグで、
お写真を拝見したいと思います。
↑↓ 絵画ポスターと写真ポスターでかなり印象が違います。
夜のはづれで、サイレンが鳴った。それは、
今や私とは永遠に無関係になつたひとつの世界への出発を、
告げてゐた。ほんとうに久し振りで、私はママンのことを思つた。
一つの生涯のをはりに、なぜママンが「許婚」を持つたのか、
また、生涯をやり直す振りをしたのか、
それが今わかるやうな気がした。
あそこ、幾つもの生命が消えてゆくあの養老院のまはりでもまた、
夕暮れは憂愁に満ちた休息のひとときだつた。
死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、
全く生きかへるのを感じたに違ひなかった。
何人(なんびと)も何人と誰も、ママンのことを泣く権利はない。
そして、私もまた、全く生きかへったやうな思ひがしてゐる。
あの大きな憤怒が私の罪を洗ひ清め、
希望をすべて空(から)にして了つたかのやうに、
このしるしと星々に満ちた夜を前にして、
これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のやうに感じると、
私は、自分が幸福だつたし、今もなほ幸福であることを悟った。
一切が成就され、私がより孤独でないことを感じるために、
この私に残された望みといつては、
私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、
私を迎へることだけだつた。
本当は、冒頭の訳がセンセーショナルだったそうなのですが、
それは無理。あえて、ラストで勘弁して頂くことにして・・・
う~む、Hちゃん、今日の私にこの小説を読み返させる超絶さ。
やられたわ。小説のテーマとは、おそらく全然違う所で。
明るい発見と言えば、この新潮社版ハードカバー、
初版本だった事か?また、亡父にもやられたわ。
今日の文字の色は、その装丁からとりました。
倉田江美様の「パラノイア」でも、
「太陽が黄色いから」は印象的でした。
















