長いこと、こっちのブログ書けてませんでしたぁ
今日は、久々に書いてみようと思います
昨年の6月に脳梗塞おこして、入院してたお祖母ちゃん
今日・明日ですって言われたけど、半年ちょいもちました。
1月の末に再度、危篤になってインドから妹ちゃんも緊急帰国
2週間滞在したけど、持ち直して~
インドへと帰って行きました
それから2週間。
今週の月曜日、おばあちゃんは天国へと旅立って行きました
この1ヶ月、けっこうバタバタしてたので大変でした。
そして、人の本性も見たりして、ストレスや怒りもMAXになったり
すごい修行?試練?のような。
忍耐力を試されてるのか?
自分自身を見つめる時期だったのか?
複雑ですが。
後は、今週の日曜日に初七日の法要と、4月13日の四十九日の法要で、ひと段落ですかね。
思えば長い長い道のりでした。
約10年前。
転倒して大腿骨骨折したあたりから、寝たきりと痴呆が始まって。
自宅介護で約3年。
インドの妹ちゃんが、まだ独身だったので、二人で介護。
自宅介護の大変さが身にしみました。
心身ともに疲れるし、家族仲もピリピリするしね
相談して老人ホームへ入所したのが、2006年。
2008年頃からは意識が、どんどん無くなって寝たきりの状態になりました。
重なる時は重なるもので、2008年に父が 筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。
http://www.amahosp.amagasaki.hyogo.jp/nanbyo/ALS.html
今、三浦春馬くんのドラマ『僕のいた時間』で、春馬くんが演じる主人公と同じ病気です。
1年の介護と闘病生活で永眠。
祖母は、息子の死も知らないまま眠り続けていました。
今頃は、亡き父や母たちと一緒にいるのでしょうか
今回。
すごく親子の情や、関係性について考えさせられました。
祖母には実の娘さんが名古屋にいます。
父より3つ下ですが、健在です。
祖母、父、叔母の親子関係は複雑でした。
叔母が生まれて、ちょっとした時くらいに祖父が他界。
父は、祖父方の親戚に預けられて。
叔母は、祖母の実家に預けられて成長しました。
父は親戚をたらい回しにされて悲しい幼少時代を送ったそうで、祖母の事が嫌いでした。
私たちが生まれて、しばらくして母が、一緒に暮らせば関係が修復できるのでは?と呼び寄せて同居したのですが、それでも父は祖母に対して厳しかったです。
祖母の介護を私たちがしている時も『お前は俺に苦労かけたのに、まだ俺の娘にまで苦労させるんか』と怒ってました。
きっと父も私たちを気遣っての発言だったのでしょう。
俺が死んだら一緒の墓に入れるなとまで、言ってました。
でもね~
そんな何個もお墓建てれないし、死んだら無なんだからねぇ。
祖母は祖母で、旦那(祖父)の事が嫌いでした。
大人の噂では、祖父が死んだのは祖母のせいみたいな事をチラッと聞いた事がありますが、真相は定かではありません。
つうか。
おばあちゃんまで、祖父が嫌いって言ってたけど、お墓には祖父も眠ってるんです。
二人共、無茶言うなよ~~って話なんですけど。
この話は、のちのち出てくるので置いといて。
半年前に祖母が危篤で、今日・明日の命ってなった時。
インドにいる妹ちゃんでさえ、ちびっこ連れて一目でも生きてるうちに!って帰国したのにね。
名古屋の叔母は『どうせ、寝たきりで意識ないなら行っても、わからんから死んだら行くわ』って。
は?です。
で、挙げ句の果てに『来週から会社の旅行でハワイだから、それまでに逝かなかったら行けないから、ごめんね~』って。
は?は?です。
この10年間。介護費用に年金だけでは足りず、姉妹だけで負担して来て。
さすがに数年前に叔母に、少し負担してもらえないか相談したら『年金生活で、お金がないから少しだけなら送るわ』と、2ヶ月に1度、1万円送ってくれてたけど。
てか、働いてるや~~んっ
しかも、ハワイとか行けるや~~ん
娘さんがカナダに住んでるみたいで、ちょっと前にも行って来たって・・・
お金あるじゃん。。。
そこは、ぐっと飲み込んで。
『お父さんも同じ墓に入れるなって言ってたし、おばあちゃんもお祖父さんの事が大嫌いって言ってたから、同じ墓に入りたくないのかな?どうしよ?』と相談したら。
『共同墓地でいいやん。無縁仏とか永題供養あるみたいよ。うちの息子の嫁のお義父さんが亡くなったけど、そういう合同のとこに入れたらしいから、そっちにないの?』
なんかね。
悲しくなった。
実の母親を合同のとこに入れたらって、提案する娘。
叔母さんが言うには『私は、あの人に育ててもらってないから。』
しかも『あんたたちが小さい時、おばあさんには家においでって声かけて、アパートまで借りてあげたのに、あんたたちが心配やから、そっち残るって言うたんよ。もう、病気になったりしてから、こっちに来るって言うても、知らんよ。って言ったら、いいって言った。最後まで暮らしてたのは、あんたたちやから最後まで見るのが筋やわ』の一点張り。
ええ。
見ますよ。
もちろん。
言われなくてもさぁ。
けど。
見舞いに来るとかさ。
もう、父も母も他界して居ないのに、姪っ子に全部押し付けて知らんふりって。
しかも、お金も少しって。
小さい時に一緒に暮らせなかったのは、時代的に仕方ないし。
おばあちゃんは住み込みで働いて、父と叔母に送金してたって、聞いてたし。
育ててもらってないって言うけど、嫁に行く前の数年は、祖母と一緒に住んでた事もあるのに。
その頃の二人、腕を組んで写ってる写真が、祖母の遺影に使う写真を探してたら出てきたよ。
おばあちゃん ずっと、大事に持ってたのに。
うちらが小さい時、名古屋に行ってくるわって、嬉しそうにお泊りに行ったり、向こうの孫にって、私たちと同じように着物を縫って送ってる祖母を覚えてるし。
自分が親になって、可愛くない。大切じゃない子供なんてない。って、親のありがたみに気がついたけど、叔母さんは思わなかったのかなぁ。
今回、亡くなってからも叔母さんの発言には、唖然とさせられまくりでしたが。
香典も5万。。。
今までのこと、文句言って怒鳴り散らしたい気持ちを抑えて笑顔で接待しましたけどね。
まあね。
イライラする私の心の狭さや、なんで私が?って思う小さい自分に。
まだまだアカンな~と自己嫌悪ですが。。。
『成るようにしか、成らん』し。
一時期、毒を吐きまくりのダークさんになりそうでしたが
あと少し。
あと少し。
やるべきことを、していこう。
未来は明るい。
はず