探索日 2012/03/19

 

香月駅と野面駅を結んでいた3.8kmの非電化路線

1915年1月1日開業/1954年10月1日廃止

ちなみに、平成筑豊鉄道/筑豊電気鉄道とは無関係

 

 

このへんに野面駅があった

痕跡はない

 


路盤が残っとる

 


農地の中にのびる盛り土


路盤跡上から野面駅方面を見る

同じく香月駅方面を見る

 

野面駅方面を見る


奥へ続く廃線跡


上写真手前の水路

石積み橋台に見えなくもない

 

鉄道用地は避けられている

ここに架かっていた橋の跡はない

奥へ続く空間が廃線跡

線路跡は道路になる

道路が廃線跡

左はMrMax八幡西ショッピングセンター

 

道路が線路跡


線路跡の道路はここで途切れる

高架橋は山陽新幹線

新幹線の開業は筑豊鉄道の廃止20年後

水路のむこう沿いが廃線跡

 

奥へ続く筑豊鉄道線

このへんが木屋瀬駅跡

 

橋梁跡

両岸に橋台が残る

開業は大正4年やからレンガ積み

どうでもいいけど、なんで川赤い?

鉱毒?


柵の右に上記の橋梁跡がある

左奥は筑豊電気鉄道楠橋駅

 

左は楠橋駅

道路が筑豊鉄道跡

道路が線路跡

筑豊鉄道の廃止は1954年、筑豊電鉄の開業は1958年

筑豊電鉄と並走する廃線跡

左は楠橋車庫

 

道路が筑豊鉄道跡

右は筑豊電気鉄道


道路が廃線跡

筑豊電鉄線を3000形電車が疾走する

筑豊電鉄が開業したのは、筑豊鉄道廃止後

 

筑豊電鉄線を2000形電車が駆け抜ける

線路跡の道路は電鉄線から離れていく

道路になった線路跡

この先で黒川を渡る

線路跡上から野面駅方面を撮影

右奥に楠橋城が見える

 

黒川右岸にレンガ橋台が残っている



 

廃止されたのは半世紀以上前

河川改修はされているはず

よう壊されんかったな

左岸にはなにも残ってない

 

橋台上から香月駅方面を見る

廃線跡には住宅が建つ

側溝の左沿いを筑豊鉄道が走っていた

また橋梁跡

 




橋桁も鉄道時代のものなのだろうか?

 



民家のならびが廃線跡

鉄道時代の曲線がそのまま残っている

道路に沿う建築物の場所が廃線跡

 

ここに架かっていた橋の跡はない

筑豊鉄道は川を渡り奥へ続く

川のむこう沿いが線路跡


二代目筑豊鉄道はこっちにのびてくる


奥へ続く道路がほぼ線路跡になる

左から香月線が寄り添ってくる

道路が廃線跡

左を香月線が並走する

この先に香月駅があった

左は介護老人保健施設 香月の杜