パニック障害になって学んだこと | パニック障害ですが何か?

パニック障害ですが何か?

パニック障害になって10年以上。
良くなったり、悪くなったりを繰り返しつつも
前向きにパニック障害と生きて行く方法を地味に模索しています。

前回のブログでも書いたように、この頃の私は

「パニック障害だったけど、もう治った」と思っていた。




半年間の経験は

今まで経験した事の無いレベルの

辛く、苦しい経験だった事は間違いない。


でも、「私のパニック障害は完治した」

パニック障害の記憶はスッカリ過去のものになっていた。

(・・・とは言え、それ、実はうっかり勘違い~だったんだけどね)苦笑




それにしても・・・




どうして私がパニック障害になったんだろうか?




この頃の私は「私がパニック障害になった意味」を考えるよ~になっていた。









ぶっちゃけ・・・




パニック障害になった意味なんて無いのかもしれない。




意味なんてなくても

病気になる時はなるものだ。




だけど、私は「転んでもただでは起きない」じゃないけどさっ

辛い経験をしたなら、そこから何か1つでも拾いたいって思ったんだよね。




そうじゃないと苦しみ損じゃない?(笑)









パニック障害を経験して

今まで味わった事のない思いを沢山味わった。




そんな日々の中で

私がパニック障害を経験する前と後で変わったこと。





それは





理屈ではどうにもならない事があると言う事を知った事だ。








パニック障害を経験する前の私は

凄く前向きで行動的な人間だったと思う。





例えばダンスに興味を持ったら

すぐに調べてダンススクールを見つけて通う。


スタイル抜群でお洒落になりたいと思ったら

ジムに通ってエクササイズをして理想の体を手に入れる。

雑誌や町でファッションを研究し、購入し、スタイリングを考える。


海外生活に興味を持った時も

自分で情報を集めて、実際に移住した。




努力神話とでも言うの?




パニック障害になる前の私は

大なり、小なり、自分が「欲しい」と思ったものは

自分がそのよーに動けば、大概手に入るものだって信じてた。




もちろん、私が「スーパーモデルになりたい」と思っても

そりゃ~、アンタ、元々持ってる素質の問題もあるでしょ~し?


無理なもの、手に入らないものだって

世の中には沢山あるんだって事は分かってた。




でも、自分の資質の範囲内であれば

ある程度のものは努力で手に入れられるものだって思ってた。




努力・・・なんて言うと

昭和の香りがプンプンしてさっw


野暮ったいみたいなイメージもあるけどwww




私の中では

欲しいものの為に動く事は楽しい事だった。


だから「努力している」とか「頑張って」と言うイメージではなくて

何かを手に入れるプロセスそのものを楽しんでいたと言う感じ?




興味のあるものの為に動く

欲しいものを手に入れる為に行動する。


これは私の中では「努力」なんて言う特別なものではなくて

まるで息をするよ~に普通の事、生きていると言う事と同じだった。









その反面・・・




パニック障害になる前の私は

欲しい未来の形があるのに動こうとしない人




例えば「痩せた~い」といつも言うのに

全く食事に気をつける事もなく、運動をする事も無い人や


私が海外生活をしている事を

「あなたは自由で良いわよねぇ~、私なんてさっ・・・・」と言う感じで

ずっとグチグチ言う癖に、全く行動を起こそうとしないよ~な人が理解で出来なかった。




痩せたいと思うのなら

食事を管理し、エクササイズをすれば良いじゃん。


もしも本当に海外で生活をしたいって思うんだったら

自分で聞くなり調べるなりして、方法を探してみればいーじゃん。


逆に本気で「海外に住みた~い」なんて思ってないんだったら

今の生活を充実させるように楽しみや別の目標をみつけなよ!と思っていた。




人間関係がギクシャクするのは嫌だったから

こ~言った事を実際に口に出して相手に伝える事は少なかったけれど


私はずっとこんな風に自分の周りの

「欲しいものがあるのに動こうとしない人達」を見下していた。




そう、見下していたのだ。











そんな私がパニック障害を経験して

人生で初めて「努力だけではどうにもならないこと」を経験した。




最初は私も足掻いたんだよね。




「検査結果で体のどこにも異常がないと言われたんだから

これは気のせいなんだ。だから自分の気持ちを強く持てば大丈夫」と自分に言い聞かせた。





頭では、理屈では分かってる。




2度も別の病院で体を調べて貰って

その結果「異常なし」と出たのだから問題ない。




だから「死ぬんじゃないか」って恐怖心は気のせいだ。




バスや飛行機の中は危険な場所ではない。

だからバスや飛行機の中が怖いと思うのも気のせいだ。




全部、ちゃんと分かっている。







でも、そんな理屈は

パニック発作の前では簡単に吹っ飛んでしまう。





ただただ「怖い」と言う気持ちに支配されてしまう。








頑張っても良くならない。




むしろ、頑張れば頑張る程

どんどん具合が悪くなるばかり。




これ以上、どう頑張れば良いのか?

頑張った先に本当に出口はあるのだろうか?




光が全く見えない

暗い、暗いトンネルの中にいた。




私の人生で初めて味わう挫折感だった。













パニック障害を経験する前の私は

理屈や理論で全てが解決すると思っていた。




でも、パニック障害に対しては

理屈や理論では太刀打ちできなかった、完敗だった。










パニック障害の渦中に居る時は

「今日を生きる」って事に精一杯で

周りの事なんて全く考える余裕は無かった。




でも・・・




パニックの症状が治まってたこの頃

(ま、当時は完治したと思ってたんだけどね?)




心に少しの余裕が出来た私は思った。





私がパニック障害の前で

理屈が全て吹っ飛んだのと同じように


努力や頑張りだけでは

どうにもならなかったのと同じように




きっと、痩せたいと言ってるけど食べちゃう人も

現状に不平不満ばかり言ってて何も行動を起こさない人も

理屈じゃない何か「理由」があるんだ。




その「理由」は私には分からない。


でも、私の「バスが怖い」の理由だって

経験した事の無い人には全く持って理解出来ない恐怖だろう。


てか、自分だって頭で考えたら理解出来ないし・・・




それと一緒で

私が今まで知らなかっただけで

きっと、皆それぞれ、色々な「理屈じゃ通らないもの」を抱えて生きてる。




全ては理屈通りじゃ行かない。




こんな事してたらダメだって

自分で分かっていてもし続けてしまう人もいる。


現状を変えたいと思い続けているのに動けないままの人もいる。




人間はそんなに強くない。




自分の描いた理想通りにならないこと。

分かっていても出来ない事って、きっと沢山あるんだ。


私が自分自身の事をコントロール出来なかったのと同じ様に

頑張っても、努力しても、出来ないって事はある。




これは理屈じゃない、現実なんだ。





そんな事を思った。









パニック障害になる前の私は傲慢だった。




他人の事はともかく

自分の事は全て自分でコントロール出来ると思っていた。




どんな出来事があっても

全ては自分の考え方次第でどうにでもなる。


そして、自分の「考え方」をコントロールするのは自分自身である。




ずっとそう思っていた。

それが当たり前だと思っていた。




だから、それが出来ない人達

動こうとしない、努力しない人達を見下していたのだ。




若かったとは言え

ん、まぁ~、傲慢よね、私(笑)













パニック障害になって良かったなんて

この時も、そして今でも言う事は出来ない。



こんな苦しみを知らない方が良かった。これが本音だ。



でも、パニック障害になったから

初めて気付く事が出来た事って言うのも確かに存在する。




もしも、私がパニック障害にならずに

ずっとあのまま、イケイケゴーゴードンドンドンと生きてたら・・・




私はずっと傲慢なまま

心の中で他人を見下して生きていたかもしれない。


そんな自分を想像すると、ちょっとゲンナリするよ。。。








パニック障害を経験して

その時に嫌という程に自分の弱さを痛感させられて

初めて、他人の弱さを受け入れる事が出来たよーな気がする。




これは、私にとって凄くプラスになったと思う。










私は特に宗教を持ってないし

神様と言う存在があるのかど~かは分からないけれど


でも、もしも神様が居たとしたら

パニック障害は私に課せられた大きな「課題」であり

その課題から学べと言う事だったのかなぁ~なんて思ったりもする。





ま、そう考えられるのは

自分にちょっと余裕がある時だけなんだけどね(苦笑)