あぁ思い当たるわ。。。。Jk | えすのブログ

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日常の折々の記です。

 
“■ ヒョンジェ (兄弟) になろう ■

 朴明哲さんは、NHK大河ドラマ 「功名が辻」 がえらく気に入っていて、千代役の仲間由紀恵の大ファンだった。
 
 ある晩のこと。飲み会の後半、あちこち席を入れ替わって盛り上がっていた。朴さんと話していると、朝鮮語でこう言ってきた。
「泉さん、我々はヒョンジェ (兄弟) になろうじゃないですか」。

 フランス人が 「これから二人称代名詞は vous (あなた) ではなく tu (きみ)
を使い合おう」 という類(たぐ)いだろう。
 よろこんでOKした。

 ふたりで兄弟の契りの乾杯をしたところで、予想外の展開がはじまった。

■ 兄弟とは兄貴と舎弟(しゃてい)? ■

 朴さんが真顔になってこう言った。
「兄弟ということなので、どちらが兄か、どちらが弟かを決めないといけない。泉さんが生まれたのは何年ですか」

 1959年だと答えたら、朴さんは狼狽した。
「本当か?」
と2度聞き返したあと、
「疑うわけではないが、パスポートを見せてくれませんか」
と言うので、胸ポケットから出して渡した。

 朴さんは自分のほうが年上で、泉の “兄貴分” になれると思っていたらしい。兄弟の契りを交したあとで自分が “弟分” であることが判明してしまったわけだ。

 わたしは、ぽかんとしていた。「兄弟」 といえば、わたしのイメージはキリスト教でいう「兄弟」で、同輩を意味する。神父や牧師の前で、教会のなかの兄弟どうし、どちらが兄でどちらが弟かを論じることなど、想像もできない。兄弟とは平等の意味である。

 朴明哲さんが 「兄弟になろう」 と言ったとき、わたしのイメージは、肩を組んで 「同期の桜」 を歌う仲、だった。間違っても、「兄貴」 と 「舎弟」の関係ではなかった。

■ 朝鮮語の丁寧形とぞんざい形 ■

 ふと気がつくと、かわいそうな朴さんは観念したかのように口のなかで 「ヒョンニム、ヒョンニム、ヒョンニム……」 と唱えている。
 意を決したように朝鮮語で
「ヒョンニム(兄上)、明日ご帰国されたら、次はいついらっしゃいますか」
と聞く。

 「次は、4ヶ月後だと思いますよ」
と、いつものように丁寧形の朝鮮語で答えたら、朴さんは
「ヒョンニム(兄上)、だめです。ヒョンニムなんですから、丁寧ことばで弟に話したらいけないんです」
という。

 「そんなことありませんよ。We are equal partners. Why shoud I change my language? (わたしたちは平等なパートナーでしょ。なぜわたしが言い方を変えなきゃいけないんです?) それに、わたしは朝鮮語は polite form(丁寧形)でしかしゃべれないのです。教科書の朝鮮語会話は丁寧形で書いてありますから」
と、わたしは朴さんに朝鮮語と英語を交えて答えた。

 朴さんは顔をゆがめながら
「丁寧形を使うとヒョンニムらしくないのです。あなたはヒョンニムなのだから、頼むから丁寧形は使わないでください」
と言う。これにはほんとにビックリした。

 兄弟の契りを結んだばかりに、朴さんとわたしは平等な関係ではなくなり、朴さんはわたしに丁寧形の朝鮮語、わたしは朴さんに ぞんざい形の朝鮮語で話さなければならなくなってしまった。

■ 兄弟の契りとは上下序列の確認・固定化 ■

 兄弟の契りで、お互い気のおけない同輩関係を深められると思った。しかし韓国式に兄弟の契りで親しくなるとは、「上下の序列を確認・固定」 することだった。

 わたしには、この韓国式の兄弟の契りは大層居心地が悪く、「ヒョンジェ(兄弟)同士になろう」 という朴明哲さんの言葉に安易に応じたことを後悔した。

 以前、日韓関係について論じた韓国人の講演記録をエスペラントと朝鮮語の対訳プリントで読んだことがあった。
 エスペラント版を読んでいると 「韓国と日本は fratoj (兄弟) の間柄であるべきで」 云々とあり、特段の抵抗もなく読んでいたのだが、ふと朝鮮語版のほうを読んでみると 「韓国は兄、日本は弟の間柄であるべきで」 とあり、アホらしくなって読むのを即座にやめたなぁ。
 朴明哲さんとの兄弟の契りの夜、ホテルに戻ってから、そんなことをふと思い出した。

■ 国と国との関係も ■

 朴明哲さんとこれからどう付き合ったものか、じつに気が重くなった。
 日本に戻って、ぞんざい形の朝鮮語 (弟分に話す形) も少しは勉強しなけりゃと思い、朝鮮語テキストの読み方が深まったことだけが収穫だった。

 マニラ再訪の折、「兄上」 らしいこともせねばならぬかと思い、「功名が辻」 の総集編DVDを買って行った。
 「ヒョンニム、ありがとうございました」
と言いながら、朴明哲さんは受け取ってくれた。

 幸か不幸か、その直後に勤務先で担当替えがあり、わたしはフィリピン案件から離れた。朴明哲さんと、その後は やりとりがない。


- 中国や韓国の反日は、日本が弟としてのふるまいをしないから生意気だという事なのでしょう。 - 株式日記と経済展望
その昔、同じようなことがあっったっけ。。。。wオイラは日本人でも身体はどちかというと大柄な方なんだけど、たまたま知り合った韓国人が、普段何かと張り合ってきてたのに、年齢がこっちが一つ上だと知ると急に丁寧になっちゃったりなんかしてきしょかった。。。。根底にこういう発想があるのね。。。。w
勝手に日本を弟と見て意味不明な兄貴風を吹かせたくているんだわ。。。。きしょいきしょ~い!!w