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                  1950年代、イギリスのアングロ・イラニアン石油会社(現BPの一部)
 
 
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ガソリンスタンド他、車好きには日本でも馴染みは深いですね。
 
 
前記事で述べた様、第一次世界大戦後イランはイギリスの統治下に有りその流れで、仕方ないと言えば仕方ないが、イランの巨大な石油利権はイギリスのアングロ・イラニアン石油会社(現BPの一部)85%(「取り過ぎやろ!!」)イランは15%。すでにイランは民主主義の国。財務報告をしないアングロ・イラニアン石油会社を独占とみなし同社を国有化してしまう(「これはやり過ぎたな。。」)。1953年、アメリカCIAは民主的なイランをクーデターで破壊し王国に戻し、アメリカ支援下のモハンマド・レザー・シャー王(パーレビ国王)が復帰した。石油利権をイラン国民からアメリカ、イギリスに取り戻すための手段で、アメリカはシャー王(パーレビ国王)経由により、財を得た。これが65年経った現在でも続くアメリカとイランの対立の元凶となった。
 
 
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         アメリカ、ニクソン時代CIAのイランにおける石油利権目的のクーデター
 
 
イギリスのユダヤ人は先に述べたイスラエルの建国とイランの侵略にも関わった。モハンマド・レザー・シャー王(パーレビ国王)は宗教勢力、保守勢力、イラン国民反発に合いデモに始まるイラン・イスラム革命で国外に逃亡。イラン国民は民主主義を取り戻す。イランの石油利権をクーデターでイラン国民から奪い返す計画に失敗したアメリカ、イギリス、そしてユダヤ資本は次にイラクを利用する事を考え、イラク・サダムフセインはアメリカに乗せられイラン・イラク戦争に繋がる。サダム・フセイン氏は「イラク・ナショナリズム」を強調しながらもイスラム教スンニ派(スンナ派とも言う)を支持基盤とし、イランによる国内外による勢力拡大を危惧する点でアメリカと意見の一致を見た。
 
注)括弧で括った宗教、宗派はあくまで多数派と言う事で一つの国に色々な人種がいて、それぞれ宗教、宗派が違うのは当然(以下文面も同様)。
 

 
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1972年2月、イラン革命の父と言われたルーホッラー・ホメイニー氏。モンマド・レザー・シャーの国王制度から再び民主主義の国に民衆の手で革命を成熟させた。ホメイニー氏は死ぬまでアメリカの弾圧に屈服せずイラン(イスラム教シーア派)と言う国を守り通した。大国の支援に甘え、すぐ他国の侵略に走るリーダーが多い中、ホメイニー氏の様なリーダーがもっといれば中東紛争はここまでの拡大はなかっただろう。
 
 

アメリカは反米国家イラン(イスラム教シーア派)の反米影響が中東全域に広がる事を恐れ、宗教的に対立していたイラク(※イスラム教スンニ派、スンナ派とも言う)を利用。ロナルド・レーガン大統領はイラクをテロ支援国家のリストから外し、経済援助を行い1984~1988年に至るまで297億ドルに及ぶ巨額の兵器供給を行った。イギリス、フランス、ソ連もイスラム革命の波及を恐れイラクを支援、さらにイタリア、カナダ、ブラジル、南アフリカ、スイス、チェコスロヴァキア、中華人民共和国もイラクに武器援助を行いイラク・フセイン政権は膨大な武器を獲得して行った1980年9月イラク軍がイラン空軍基地を爆撃。イランイラク戦争は始まった。イラクに支援国が多い中、イラクは降伏を検討するところまで追い込まれたが、当時アラブ諸国と関係を正常化していなかったイスラエルや反欧米を掲げるリビア、そしてシリアがイランを支援した。シリア経由でのパイプラインを止め、イラクは石油の輸出が出来なくなり、資金源が絶たれ戦況に変化が起きる。イランの勝利もあると踏んだイラク側は休戦を持ちかけたがイランは打倒フセインに固執、終結は無かった。
 
 
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1984年、イラク軍の化学兵器(毒ガス)使用が国連調査で判明され、戦争に対する世界的批判が高まり、サダム・フセインは世界の大悪党のレッテルを貼られる。1986年3月アメリカ(イラク側)がイラン・イラク戦争に軍事介入。1987年7月国連の安保理決議で、戦争責任の調査、抗戦を継続する場合には武器の輸出停止、経済制裁採択。先にイラクが承諾の姿勢を見せたが、イランはイラクのタンカー等の攻撃を続ける。アメリカ(イラク側)も果敢にイランの油田を攻撃。それまでイランに寛容だったサウジアラビアが断交を通告(※これは現在でもしこりを残しイラン(シーア派)とサウジアラビア(スンニ派)で対立関係を深め他の中東諸国を巻き込んだ数々の紛争に発展して行く)
 
 
1988年8月イランは安保理決議を受諾し8月に停戦。1989年6月、イラン革命の父ホメイニー死去。翌1990年9月イラン、イラク両国間で国交回復。尚、1990年8月イラクはイランとの戦争で得られなかった資源をクウェートに求めたとか、歴史的領有権の主張、イランとの戦争でクウェートから抱え込んだ負債を帳消しにする事がクウェート侵攻の目的と言われている。イラクのクウェート侵攻をキッカケに国際連合が多国籍軍(アメリカ、イギリス、フランス、エジプト、サウジアラビアを始めとするアラブ各国)の派遣を決定した。アメリカは支援しているイラクに攻撃をかける為、大義名分を捏造した。多国籍軍は1991年1月にイラクを空爆。湾岸戦争は始まった。1991年2月、クウェート市開放、多国籍軍は敗走するイラク軍を追撃、戦闘は終結した。4月に安保理決議が採択されイラクが受諾し正式に停戦合意。1995年4月、安保理が石油交易を部分的に許可したが、イラク、サダム・フセインは全面解除以外受け入れられないと拒否、又、核開発防止の為の原子力機関査察も拒否し長期に渡る経済制裁を受ける事と成った。
 
 
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連合軍(アメリカ・イギリス)の油田破壊によりペルシャ湾に400億ガロンの原油が流出し海は真っ黒と化した。米政府に雇われたアメリカの広告代理店がサダム・フセインの仕業として報道する様に仕向けた。私もこの時代をリアルタイムで生きた人間だがテレビニュースで上写真の様に真っ黒になった鳥の画像をハッキリ覚えている。ニュースでは確かに「フセイン」の仕業として流れていた。
 
 
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アメリカに取ってイランを奪えなかったイラクに用は無い。アメリカ仕業の偽報道も手伝い世界の悪者のイメージが定着したフセイン。アメリカが主体となりイギリス、オーストラリア、ポーランドによる有志連合によりイラクの大量破壊兵器保持を理由にイラクへ侵攻2003年3月、イラク戦争が始まった。イラクの大量破壊兵器保持はアメリカ(ブッシュ政権時代)による捏造の色が濃く、大量破壊兵器などついに確認することは出来なかった。アメリカはイランの石油利権の強奪、又、反米イランの中東での波及を恐れイラクに巨額な経済支援、武器供給を行い宗教的対立を利用し、戦争をたきつけた。勝負がつかず終結で用が無くなり、都合が悪くなってくると(世界の大悪党のイメージが定着したイラク・フセインに支援でイライラ戦争開始させる)アメリカ・ブッシュ政権は「イラクが大量破壊兵器を保有し、アル・カイダと繋がりがある」と強調し、(アルカイダ911同時多発テロ報復の大義名分の元)そのイラクまでも破壊してしまい、サダム・フセインは最終的に処刑された。
 
 
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サダム・フセイン絞首刑
 
 
サダム・フセイン政権が崩壊し、イラク戦争後暫定統治を経て200年5月正式に政府が発足。2005~2014年のイラクはアメリカが早くから支援や武器供給を行ったクルド人でクルディスタン愛国同盟を立ち上げたジャラル・タラバニ氏が大統領を務めた。「完全にアメリカの息がかかっていますね」。イラク国民は「戦争は終わった」と将来に希望の光を託した。フセイン時代はイスラム教スンニ派が人口の60%を占め、シーア派はスンニ派の弾圧を受けていた。イラクではイスラム教スンニ派とシーア派の歴史的に長い対立がある。サダム・フセイン政権崩壊後はタラバニ大統領の下、シーア派(当時はシーア派が人口60%となっていた)主導のマリキ政権が誕生。マリキ政権は「イラク・ナショナリズム」を強調しながら、シーア派優遇が鮮明化。マリキ政権がシーア派による支配を強める中、スンニ派の不満が高まり、IS(イスラミック・ステート:中東内に建国を目的としたイスラム教スンニ派武装テロ集団)が拡大する背景となったり、ついに、シーア派とスンニ派の内戦に至った。
 
 
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               表向きの世界的警察官だが、未だ世界平和の
                 意識があった前任オバマ大統領(民主党)。
 
 
 
未だ表向きに世界の警察官的立場のあったアメリカは敵対するイランがイスラム教シーア派の為、マリキ政権シーア派に支援する事は微妙ながら軍事支援を行い新生イラク再建に着手。しかし、イラク国内に反米世論が高まる中、マリキ政権はイランとの関係を強化。イスラム教シーア派のイランはマリキ政権イスラム教シーア派を支援。これに対しアメリカ政府はイラク不信感を高め、2011年12月アメリカ・オバマ政権はイラクから完全に撤退した。マリキ政権批判が噴出する中、ジャラール・タラバニ大統領はシーア派のハイダル・アバディ氏を首相に指名、マリキ首相(シーア派)は抵抗したものの2014年8月退陣を表明した。ISによる支配が3年に渡り続きいたがアバディ政権によるイラク軍に国を持たない世界最大の民族クルド人が加勢し(タラバニ大統領繋がり)、ようやくイラク軍がほぼイラク内ISを制圧した。
 
 
 
 
 
※IS(イスラミック・ステート)、日本名:イスラム国。中東内に建国を目的としたイスラム教スンニ派武装テロ組織。ISISのイラク・アルカイダ分派ボスが死亡し、ISILに変わる。それら総称としてイスラム教スンニ派武装テロ組織を括ってISと言う使われ方をされている様だ。有名なアルカイダは同じくイスラム教スンニ派武装テロ組織だが、活動範囲が海外、特に反米テロである。イスラム教シーア派武装テロ組織にヒズボラ等ある。テロ組織の事を詳しく調べる趣味はない。現在、中東諸国のISに支配、虐殺されている人々は命の危険を賭けて(見つかったら家族共々殺される)誰も聞いてくれないSOSを世界に発信している。又、食う為、食わす為、殺されない為に亡命したり(余計に難民が増える)、武装組織の仲間入りをする人々も多い。何もISに限らず戦時下にある国民は全て同じである。イラク国民は未だフセイン時代の方が良かったとの声も多い。アメリカが中東における石油利権強奪、(富の強奪、独占は軍事力を必要とする)を目論み、力のない国、移民、難民に武器を支給し軍隊として利用しようとした事が原因となり、責任の一端は有り過ぎる。今ではアメリカ自国の脅威となるほど巨大化した。そして、又、それをアメリカが抑える為に新たな衝突が生まれる。