文章価値 | 観戦記 -Aspects-

文章価値

 めに、今回の記事はやや感情的になった状態で書き記すことを注釈しておく。先日のエルゴラッソに、個人的に非常に腹立たしいコラムが載せられていたことに対する憤慨をぶちまけたいがために新記事を開いたためであるが、ひょっとしたら当ブログの読者様の中に、「感情的な記事」に対する嫌悪感を抱かれる方もいるかもしれない。そのような方々には、あらかじめこの記事を目にしないことを、先んじてお勧めしたい。

 

 さて。そんなわけで今日の話は、24日金曜日に売られたエルゴラッソ372号に載せられたコラムに関してである。

 この誌の毎週金曜号には『東京書簡』というコラムが載せられる。東京ヴェルディとFC東京の担当記者がそれぞれ、1週交代で記事を書き、「東京」をホームとする2チームの状態や環境を概観する、というような趣旨のコラムであり、ヴェルディ側の記事は海江田哲郎氏が、FC側の記事は後藤勝氏が担当している。

 もちろん乾は2週に1度の海江田氏の記事を大変楽しみに読ませて頂いているのだが、合間に入る後藤氏の記事も、それはそれでそこそこに目を通していた。彼自身、決してヴェルディに好意を持っているとは思い難く、主にコラムにはヴェルディの話題などほとんど扱おうともしないのだが、そういった「いわゆるFCサポ」の代表がFC東京をどのように思って応援しているのか、また稀に書かれるヴェルディの件からは「いわゆるFCサポ」の代表がヴェルディをどのように意識しているのか、そういったことが読み取れて、まずまず興味深い。

 例えば、海江田氏はときどき、「ヴェルディの立場からはこう思うのですが、その点FC側としてはどうなんでしょうか、後藤さん」といった文体で、次週に向けた質問やコラムの連鎖を後藤氏に投げかけることがある。しかし、私が読んでいる限りでは後藤氏からその返事が返ってくることはまずなく、ほとんどの場合には次の週には全く異なった話題が取り扱われてしまう。そして、逆に後藤氏から海江田氏に対するコラムの連携アプローチは全くなく、まず後藤氏側の記事は自問した問題を自己完結して終わる。そのやりとりの一端に、極論すればヴェルディとFCのチーム性の違いが現れている部分があるとも受け取れ、なかなかに面白く受け取って読んでいた。

 

 だが、先日金曜号に載せられた後藤氏の文章は、ライバルチームサポーターとしてのそんなささやかな興味意識さえ殺がれるような、実に腹立たしいものでしかなかった。

 要約するとこうである。

 

 「久しぶりにヴェルディの試合(セレッソ戦)を見に行ったが、人が少なくて驚いた。これなら駒沢でやればいいのにと思った。試合内容も両チームのJ2に馴染んだ展開の遅さに驚かされ、寒くなった。J1に上がるつもりがあるなら、もっとプレーの質を改善する必要があるだろう。あと都並頑張れ。

 夜はテレビでFCの試合(ジュビロ戦)を見た。アウェイのゴール裏は人数が少なかったが、知っている顔ぶれが多く嬉しかった。内容は、ワンチョペの起用に注目。うちは新入りに優しいからきっと彼もすぐに溶け込めるだろう。ああ、FC東京の試合はJ2と違って楽しいなぁ」

 

 多分に悪意を込めた要約であることは認める。ヴェルディに対する悪意、FC東京の持つ優位意識が含まれた文章であったが故に乾が憤慨を覚えた部分もあっただろう事も、また認める。しかし、それでも概ね要点を外さずまとめられた自信はあるし、何より私が許せなく感じたのはヴェルディへの評価云々ではなく、文章の無駄さ加減なのだ。

 コラムである以上、必ずしもチームに対する批評や分析を含めなければならないわけではない。試合観戦の感想に終始したところで、書き方が巧ければコラムとしては成り立つ。ただ、コラムでも文章である以上、読んだ者に何らかの意義を感じさせるのが筆者としての最低限の義務であると、私は思う。FCサポーターならばこの文章を読んで共感を得、試合の内容とチーム状態の充実に感じ入り、ライバルチームの凋落を眺め見て仄かな喜びを抱く。読む人を限ればこのコラムにはこれだけの文章的価値があるのだよと説かれれば、それはさすがに口を噤むしかない。しかし、「ヴェルディの試合はつまらなかった。FCの試合は面白かった」というだけの小学生の日記に毛が生えたような文章に、いかな同チームのサポーターだからとてどれだけの意義を見出せるものだろう。この文章にお金を払うだけの価値があると評する人間がいるとすれば、敵チームのサポーターであることを抜きにして、人間として私はその審美眼に嫌悪を抱く。

 

 成程、ヴェルディに対しては多少批評めいたコメントを付け足しているようではある。「ゲームスピードが遅く、プレッシャーも甘い。J1を目指すならもっとスピードアップを心がけ、ゴール前への到達を目指す必要がある」。一見含蓄のあるように見える批判だが、しかしJ2に所属しJ2のチームと対峙しなければならないヴェルディやセレッソに対し「もっとJ1レベルのプレーを目指せ」という言葉は的外れもいいところ。J2とJ1の質の違いを、ただ「レベルが違う」とだけしか理解していない者の言葉であることは容易に受け取れる。FC東京を追いかけている記者であればJ2サッカーに対する無知は仕方のないところかもしれないが、なら黙ってろという話。もしFC東京の監督や選手までが同様の考え方をしていてくれたとしたら、そんな「展開の遅いJ2サッカー」を制した次節の柏や横浜、神戸に、ころころ勝点を献上してしまうところだったに違いない。

 一方、FC東京に対しては前述の要約がほぼ全てで、「ワンチョペはまだ噛み合っていないけど、時間をかければチームに溶け込めるよ」、「引き分けちゃったけど、4-4-2のオプションもなんか結構良かったね」、その程度である。しかしそれにしてはFCの試合に関する文面の割合が大きいのだが、要は「楽しかった」、「期待できる」を連呼しているばかりに過ぎないと、私には感じられた。ヴェルディの課題を「不安要素」、FCの課題を「期待要素」と受け取って疑わないその姿勢は非常に微笑ましいものだとは思うが、そんな狭量な妄想的分析を商業ベースで読まされるのは腹立たしい。自己中心的なスタンスによった文章は、各チームの誇る名ブロガーや2ちゃんねらーが、いくらでも書いてくれている。

 

 いつもはここまで内容のない文章を書く人ではなく、ヴェルディに対する思いやりのなさはともかく、もう少し力のある記者だと買っていたのだが……。申し訳ないが、今度の記事で後藤氏には愛想が尽きた。個人ブログではあるが同じく文章を扱う者の1人として、こんな文章を商業新聞に載せる彼の根性は理解できない。たかだか1部130円のサッカー新聞の、全紙面の1/60スペースを埋めるに過ぎないコラムではあるのだが、ほんの2円足らずだと考えても自分の金が彼の懐に流れていくのが我慢ならない。できるなら今すぐ彼の家に押しかけ、この記事の分だけ誌を切り取って返すから、2円返せと怒鳴り立てたい気分である。

 

 私は海江田氏の文章が大好きだ。機知に富み含蓄を感じさせる分析を行う一方、卑近の出来事や何気ないやりとりの中にあった自身の感動も加え、文章としての面白さを膨らませている。同じくヴェルディを応援する者として、ヴェルディサポーターを喜ばせるようなネタを見つけ、紹介していくことを基盤とする反面、対戦チームに対する敬意も忘れず、少なくとも商業レベルでは「批評」の枠を超えた他チームの侮蔑もしないし、ブログ等個人レベルの文章でもそういった表現をまだ目にしていない。何より、知識や感動ではなく漠然とした充足感だけだったとしても、必ず読後に「読む価値があった」と思わせるような文章を書く。サポーターを鼓舞してほしいコラムで不安材料を羅列してしまう等やや心配性に過ぎる嫌いはあるが、それでも文章を書くものの1人として、私は海江田氏を大変尊敬している。

 なかなか商業ベースでは見かけることが少なかったが、今年はまずエルゴラで、いしかわごう氏も文章を書く機会を増やしてきておられる。彼の文章もブログを拝見する限り、非常に楽しく読者に読む価値があると思わせる文章だと感じている。

 

 FC東京を定点観測する記者が他にいればわからないが、とりあえず専属記者の質の高さという面では、ヴェルディはFC東京に大きく勝っていると言うことができるように思う。小さいことかもしれないが、それもチーム力の一片。私はそのことを、大変誇りに思う。

 

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 金曜日にこのコラムを読んで、「何だこれ、ふざけんな」って怒って、批判文をブログに書いてやりたくて仕方なくなって、でも金土と忙しくてなかなかブログを更新する暇がなくて、ようやく日曜夜中に更新することができました。あー、すっきりした。