晴海国際展示場&NYからの手紙

若い頃は、バイトはそこそこしてきました。
今でもたま~にします(^o^;)
まだ国際展示場が 東京の 『晴海』 にあった頃。
この客船ターミナルの左側が展示場の跡地。
いわゆるカフェテリア方式のその店
。
予め盛られた付け合せの乗った皿に
その日のランチメニューのメインディッシュを
(と言えば聞こえはいいが、要はハンバーグや魚のフライたちの事)
注文に応じて乗せて渡す、というのが私の仕事。
もちろんこんなキレイじゃなかったです。
なんと“おじさん”の住まいはブロードウェイでした。
退学しようと半分決めていた頃でした。
単発のバイトなので、いろんな人が働いていましたが
1人、面白い“おじさん” と言っても、恐らく30代半ばくらいの がいました。
ニューヨークで暮らし、働いているが
奥さんの出産で日本に一時帰国しており
かといってずっと何もしないのも退屈なので
2週間限りのこのバイトに来た、という人でした。
きっと、アメリカではこんな仕事をしているはずもない、
一時帰国といって、数ヶ月の休暇がもらえる、という人。
なのに、学生や、いわゆる“プータロー”達しかいないような
時給800円のバイトに来ていた彼は
どう見ても異様でした。
バイトが終わって別れてから一年後、
ニューヨークに戻った“おじさん”から、突然手紙が送られて来ました。
なんと“おじさん”の住まいはブロードウェイでした。
当時私は、通っていた学校がどうしても合わず、経済的にも苦しかったので
退学しようと半分決めていた頃でした。
何を話したかはっきり覚えてませんが、きっとそういった話をしたと思います。
“おじさん”からしてみたら、久し振りに戻った日本で出会った貧乏な “女の子” が
よほど印象に残ったのでしょう。
見えにくいですが、すこし上のほうに
『自分を生かすもころすもやはり自分です。』
と書かれています。
後にも先にも、こんな手紙をもらった事はありません。
※ 晴海といって思い出しました ※
晴海国際展示場の建物は、○号館、と建物がいくつも分かれていましたが
一部の建物には・・・なんとエアコンがありませんでした・・・(((゜д゜;)))
それでも夏でもイベントはあるので、そんな時は、建物内のあちこちに
ありがたやぁ~・・・