中学、高校時代に比べると多少プロレスに対する熱もやや冷めてきた61年当時もまだまだ毎日のように東京スポーツを購入していた俺は思わず自分自身の目を疑ってしまった
”蔵前の星”・”黄金の左”・”天才横綱”と謳われ大相撲の歴史に燦然と輝く名横綱のプロレス転向記事を発見してしまったのだ!

力道山、東富士をはじめ、天龍源一郎ら角界からプロレスに転向したレスラーは非常に多いが、とにかく輪島の場合、現役時代の実績、スケールがあまりにも違う!

輪島1


2年連続学生横綱の看板を引っさげて鳴り物入りでプロの世界にデビュー、幕下付け出しで2場所全勝で十両へ、そして当時角界のプリンスと言われた貴乃花とともに大関に昇進、マスコミ史上空前の”貴輪”人気と騒がれ、のち角界の常識を覆す(輪島以前角界では下手で横綱は張れないというのが定説だった)必殺技”黄金の左”からの下手投げを切り札に48年5月場所全勝優勝し、横綱審議委員会において満場一致のもと見事第54代横綱に推挙された


その後も相撲の歴史上初めて黄金の廻しをしめ、ランニングを中心としたマイペースのトレーニングで”怪童”、”不沈艦”と歌われた第54代横綱北の湖とともに相撲史に燦然と輝く”輪湖時代”を築き、史上最大の横綱対決のもと14回もの優勝を重ね56年惜しまれながら引退


土俵上では元来ムラッ気な性格だがその気になると神憑り的な強さを発揮し、人気、注目度も高かった輪島だが、土俵外でも関脇時代にリンカーンコンチネンタルで国技館に乗り付け当時の横綱北の富士を唖然とさせたり、本名のまま横綱になったり(かつて前例がない)、選手会長時代にお怒りの協会幹部「なんで遅れた!!」輪島「下痢しました#$%」で集団行動とらなかったり、焼き鳥食って食中りを起こし一場所棒に振って悔しい思いをした次の場所前、また懲りずに焼き鳥ガバガバ食ってご機嫌だったり、ドンブリ飯記者が「今日は五杯食べましたねー」といったら怒り狂って「四杯半だ!!」と怒鳴りつけたりしたあの名横綱、異色力士が38歳でプロレスへ・・・

輪島2


花篭部屋の担保事件で華やかだった現役時代には想像できないような落ちぶれた風貌で角界を去っていた事はニュースなどで知ってはいたのだが・・・
まさか、嘘だろうと思っている矢先、TVで輪島プロレス転向のビッグ ニュース!
あれやこれやというままに日本でタイガー・ジェット・シンとのデビュー戦を行ってしまった!!
その後暫くプロレスラーとして世界王者クラス(S・ハンセンやB・ブローディ、天龍など)相手になんとかそれなりにやってはいたのだが、僅か2~3年年齢や怪我などの理由で引退


今現在彼がプロレスラーだった事を記憶している人はどのぐらいいるのだろう
やはり輪島大士という名前はプロレスラーとしてではなく一時代を築いた名力士、名横綱として歴史に刻まれるんだろうなと思う、が・・・
しかし彼がプロレス界にたった一つ残した素晴らしい実績、それは世間の注目を再びプ ロレス界に向けさせ、全日本プロレス中継を何年振りかでゴールデンタイムに復帰させた事である