ここでは、
アイデアや問題の解決策を書いていきたいと思います。
専門家では無いので、
テーマはネタが尽きないように
政治経済から趣味娯楽(数独)まで広く扱います。
さて、今回は「私的、パソコン購入の歴史」についてです。
私のパソコン購入の歴史は約30年です。
過去のホムペ記事が出て来たので、更新して最新版にしました。
※自宅のデスク、3台のパソコンと2台の液晶モニタ
・1978年:卒業して就職する。新入社員は貧乏で、
と言うか、この年初めて、パソコンが発売された。
だから、パソコンを買うどころか、知らなかった。
ちなみに、3日が入社式で、4日がキャンディーズの解散コンサートで、
インベーダーゲームが登場した年です。(おいおい)
・1980年:椎間板ヘルニアで、
入院手術療養中(片山整形記念病院/横浜市鶴見区)に
電波新聞社の雑誌「マイコン」を本屋で見たのが、
パソコンと言う機械を知るきっかけでした。
・1981年:(初めてのパソコン)PC-8001、
純正の拡張ボックスは高価なのでマルチカード、
CRTモニタはシャープ製、ドットプリンタはエプソンの80桁、
ソフトはカセットテープに記録されたスタートレックなど、
FDドライブは後日購入ですが、
8ビットマシンにざっと70万円も掛かる時代でした。
独学で、パソコン操作とプログラミングを覚えると言うか、
ヒトは面白い楽しいと思うと、容易に理解してしまうようです。
・1982年:川崎工場(神奈川県川崎市川崎区)から
東京工場(東京都日野市豊田)に転勤、
仕事がドラフターを使う図面書きからプログラム書きに変わる。
8085と8086のアセンブラ言語、
開発ツールはMDS(ISIS-Ⅱ、CREDIT、ASM86)、
8085のアセンブルにはミニコンを使用していた。
その後、コンパイラ言語のPL/M86、
そして、パソコン(PC-9801)とC言語の組合せへと移行していく。
マクロス(初回放映日は誕生日)を見るためにビデオデッキを購入する。
・1983年:開発部のマシン(常に最新機種が開発マシンとして使える)で、
満足の時代、出勤日数が27~30日/月は、フレックス制度はまだ無い時代、
中央線の最終電車、豊田駅25時10分が、帰宅のトリガーになっていた。
八王子の寮に帰り着くと今日のホームラン(プロ野球ニュース)が、
ぎりぎり観られるかどうかでした。
・1988年:この頃から
社員寮の管理人(ライバルは同じ歳の音無響子)を兼務するプログラマになる。
・1992年:PC-9801/NC、上司がケチで、
開発マシンのレンタルを許可しないので仕事の為に購入する。
・1992年:FM-TOWNS、セガ好きとしては、
アフターバナーⅡが稼動するマシンは取り敢えず買いでした。
・1993年:X68000XVI 、
アーケードゲームの基板を買うより安くてスマートと判断して購入した。
・1994年:X68000Compact、何となく3.5インチ機が欲しくて購入した。
・1994年:FM-TOWNSⅡ、インテルの486に目が眩んで購入した。
・1995年:この頃は3つの職場を兼務する社員でした。
おまけに総務部が担当のはずの事務所の移転プロジェクトまで任された。
開発ソフトウェアのライセンス契約や会社のインフラ整備を手掛ける。
初代の個人ドメイン(サイト)を立ち上げる。
休日は会社か秋葉原の生活、秋葉原をオタクの街にした要員だと思います。
特に、トレーディングカードに関しては日本屈指のお馬鹿でした。
・1998年:パソコンの進化が激しい時期が続く、自宅にISDN回線を引く。
茨城県東海村(動燃)でプルトニウム燃料の仕事に関わる。
デバック作業に使っている仕事机の5メートル先に
プルトニウム燃料の製造(実験)プラント、
常陽ともんじゅの燃料棒に詰めるプルトニウムペレットを計測研磨していた。
上司がストレス発散の為に意味も無く怒るので、辞めたいと部長に相談する。
暫くして、上司が異動させられて課長職をやるハメになる。
・2000年:VAIO/PCG-7XX、ケーブルモデム接続、
自宅からインターネット、ケーブルTV加入、アニマックスやキッズSTを知る。
・2001年:VAIO/PCV-RX72XX
(主記憶1GB&80GBのHDD×2台)、TV録画に魅力を感じて購入した。
アニメ番組を録画してDVDビデオ化する作業にハマる。
・2002年:会社の体質への不満でストレスを溜める。
県庁庶務システムの百円入札の後始末担当が、
嫌で、25年勤めた会社を退職する。
・2003年:鹿児島市に戻る。生まれ育った吉野町では無く、
利便性の良い (或いは実家は敷居が高いから)騎射場に住み始める。
VAIO/PCG-FR77G (メモリ512MB増設、
高回転型HDDに交換済み)、パソコンは必須文房具、ADSL接続する。
・2004年:SHARP/PC-CS30H
(メモリ512MB増設、高回転型HDDに交換)、
VAIOが故障した為、修理期間中の代替機&バックアップ機として購入した。
・2005年:バックアップ機として中古ノートパソコンを購入した。
・2008年:ビデオ映像処理をノートパソコンで行なうと辛いので、
映像編集専用機として中古デスクトップパソコンを購入しました。
・2009年:HDDは物理的消耗品なので、
ノートパソコン×2台の内蔵HDDを新品HDDと換装する。
・2010年:インターネット接続環境がやっと光回線になりました。
脳梗塞で市立病院に入院する。(とほほ)
・2011年;ノートパソコンのメモリ環境が、やっと512GB×2枚になりました。
・2012年:ゲリラ豪雨や計画停電対策で、
UPS(無停電電源装置)を購入しました。
現在、デスクトップ+ノートパソコン×2台が開発環境ですが、
節電の為にノートパソコン×1台のみ稼働中です。
ちなみに、開発マシンは8年以上前のマシンですが、
プログラム試験等では、
スペックの低いマシンで行なう方が、望ましいです。
理由は高性能パソコンでのみ、
まともに動く、なんていう問題が発見できるからです。
以上のように、
私にとってパソコンの記憶と云うのは生活と深く密着しているので、
機種をキーワードにして、
連想ゲームように当時の記憶が次々と浮かんで来ます。
半導体技術が、進歩しているのだから、毎年のように買わないと、
イケナイ的な感じで、パソコン購入をしていた事が判ります。
と、言うかパソコン購入依存症ですね!
あと、卵は物価の優等生といわれますが、コストパフォーマンスから言えば、
パソコンは物価の超天才と言う事になります。(おいおい)
なお、事象の内容と順序は概ね正確ですが、年数の記載に関しては
1978年と2001年以降を除いて目安程度だと思って下さい。
やや言葉不足ではありますが、ここで終わりとします。