久々の投稿になります。

 

自分は、難病=強直性脊椎炎、乾癬、炎症性腸疾患など、沢山の病気を抱えている。

特に酒を節制することもなく、葉巻を吸い、そして、暴飲暴食を繰り返して顰蹙をかってきた。

ストレスこそが、病気の原因とおもい。

 

むしろ、養生よりは、精神安定を旨としていた。

しかし、元々飲み歩き、食べ歩き、ファストフード大好き人間だったので、それを節制せずに、

どうやったら過ごせるかを考えてきた。

コロナ禍においても、飲み歩きは、辞めずに、ワクチン接種も拒んだ。

 

しかし、その後度重なる、病魔にあい、老化により基礎疾患だけでなく、生活習慣病が、度重なる

と、やはり食生活とか暮らし方などに目を向けるようにおのずとなってくる。

 

仕事の関係上、打ち合わせと口実に、飲み歩いたのは楽しかったし、後悔しても始まらない。

むしろ、病人であっても、夜のバーにいりびったって、分不相応の料理屋に通い、綺麗な女性と食事することも、

とても生きがいでもあったから、それで、生き延びて来たような気もする。

 

それを辞めるきっかけは、やはり資金源の枯渇が大きな問題だ、そもそも金持ちでもないのに、経費という名の下に

グルメ、美食家と勘違されてしまうほど、優雅な生活だったかもしれません。

しかし、老化とのバランス、経費が取れない時代、そろそろ引き際でしょうか。

 

と考えたとき。

難病はある面、節制と関係ないとおもっていたが、薬に頼らず治すという方法もあるのではと感ずるようになった。

もちろん生物学的製剤とか、あまり薬をつかいたくないという事もある。

しかし、食事療法とっても、決して0か100かではなく、少しずつ健康に良いことをする。

最近感じたのは、脂料理が好きだが、少し節制している。

少しベジタリアンのような生活をしたが、アルブミン不足、プロテインならよさそうだととってみるが、エレンタールじゃあるまいし何となく気が進まない。

結局、外食は控える。打ち合わせは、最低限、ワイン会も多くは昼間にかえた。

日頃は、雑穀米をたべて、過ごす。

不思議にファストフードに目がいかない。

というより、寿司がくいたい、ステーキがくいたいとあまりおもわない。

そもそも脂もどうやら、麻薬性があるようにおもう。

グルテンフリーも大事だろう。

 

自分は、病気の為の節制は、せずにという方針だったのが、少しずつくずれている。

もちろん、節制がやせ我慢となるのはよくない、しかし我慢せずに、節制していくと少しずつ体調が変っていく

もしかしたら、難病も食生活である程度、抑制できるのかもしれない。

ストレスフリーで、節制の知恵今後はそれに挑戦していくつもりだ。

 

追伸

デパス、エチゾラムはバッシング受けているが、急激な減薬は良くないので、デエスカレーションをするべきだし、

辞められないのは、還暦以降ならASの痛み止めを減らすためにもデパスはいい。

 

 

 

還暦を過ぎたら、もう出会いなどないのかと、そう思ってしまうが、

そうでもない。

とはいえ、こんな病人でジジーじゃあ無理とおもうのも当然。

 

あとは、風俗系だろうとおもうが、身体が硬いし痛いし楽しめそうにない。

障がい者でももっと楽しめる風俗があっても良いはずなのに、なかなか

適度なのが存在しない。

もっとも重度障害者については、そういった介助サービスとしてあるそうだが、

ASとなると、そこまでの重症は当てはまらないし。

 

例えば、お勧めは、ガールズバーなんかどうだろうか。

お酒を飲めば少し気が大きくなって、とりあえず、若い女の子と話しができる。

志村けんは、ガールズバーのヘビーユーザーだったが、それも、以外と良い趣味

とおもう。

システムは、時間単位なので長居すると、かなりの金額なってしまうが、時間を

決めて利用するならまあ、そんなに散財にならない。

ガールズバーというと、奥様方やパートナーは、いかがわしいと眉間にシワを寄

せるだろうが、そんなことはありません。とても健全は、娯楽だとおもいます。

簡単に説明すると、通常のバー、そのカウンターの向こう側に女性が立って、

お話しするということだけで、お酒やソフトドリンクをのみながら、話しをするだけで、

警察の取締も、風俗営業にあたらないので、座って隣に女性が座ったりすることは

ありません。

皆さん誤解していますが、たとえば、キャバレーやクラブは、女性が隣に座るので、

実は、正式に風俗営業の許可を取っているのです。

ガールズバーは、違います。通常の飲食業、基本カウンター越しの会話です。

カラオケ好きなら、奥のスケルトンな部屋で、女性は立って、お客さんはソファーで

歌う。当然密室ではないし、一期一会で愉しむならリフレッシュになるでしょう。

 

ただ、もっとも性的なサービスがあるわけではないので、つまらないという人も多い

ですが、僕らのような病人で、壮年になるとたまにはリフレッシュでよいのではと、

 

お店にもよりますが、ラインぐらいは交換できるので、若い女の子とラインの会話

も楽しめるのも、よいです。同伴で食事してガールズバーへ行く位のことは想定内

でしょうか。

まあ、とはいえ、本気にならないことです。

本当に相手にされる訳はないというのも現実です。

もっとも、アフターで高い財布やバッグをねだられる可能性もありますが、キャバ嬢に

比べればたいしたことはないです。

こういう、へんな散財は避けたいなら、同伴出勤やアフターは求めないことです。

一番いいのは、推しの娘を決めてある程度、通うことです。

 

若い女性との会話は、ある面、デパスより効果があるし、デパスを事前に飲んでれば

会話も進むかもしれません。但し、アルコールは、デパス、ベンゾのブースターに

なるので避けましょう。

 

もっとも、女性と話すだけではという輩は、それなりのデリバリー的なサービスが

あるので、ある程度、病状を告げれば、そんなにハードなことにはならないでしょう。

とはいえ、愛のない行為に魅力ないアルは、それぞれの価値観かと。

 

では、かくいう私は、大体、ガールフレンドは、良く行くお店の店員さんをナンパしています。

時には、店長さんからおこらえたり、入院したときは、看護師さんをナンパします。

 

まあ、そんな、小さな刺激は、結構病状を安定させます。

 

入院が多い方は、事前に看護しのレベルに注目して、入院するのも一計です。

折角なら綺麗どころに、看護してもらった方が、回復が早いかもしれません。

 

実際、都心の病院でも、当たりハズレはあります。

 

自分は、看護師を入院中にナンパして、退院後、ご飯を一緒したことがあります。

というより、ガールフレンドは、数人用意した方がいいでしょう。

ランチ、ディーナーに、ご飯食べよーって、声をかけられる、女性がいると

男は嬉しいものです。

ご飯を食べただけで、浮気だなんて、言われる夫婦もあるようですが、どうなんでしょうか。

それぞれの夫婦間の考えがあるので、私のスタンダードを勧めるつもりはありませんが。

たまには良いとおもいますよ、痛みといつも向かい合っている病人、どうせ大したことも

出来ないのなら、それぐらいは許して欲しいといったら、我が儘でしょうか。

 

一寸したアバンチュール、人生にスパイスは必要です。

 

あとは、キャバレーも健全ですが、銀座の白いバラは、閉店しました。

あそこは良かったですね。

絶対危ない事にならないし、早い時間なら、1万程度で食事も出来て

楽しめましたから。

あいう健全なところなら、良い奥様なら率先して、行ってらっしゃい。

といえるはずです。

もっともシングルであれば、もっと自由に女性と話してみるのはいいですね。

 

僕は、電話やSMS登録に数人のガールフレンドを用意?して、食事をする。

もちろん、危ない関係にならない関係を女性をリストアップしてます。

基本、ガールズバー、キャバクラなどの女性は金がかかるのでNGとしてます。

時には振られるし、時には一旦ブロックされて、また邂逅したりする。

年齢は、流石に女子高校生はいませんが、女子大生から、30代、40代、そして

最高年齢は、79歳までガールフレンドはおります。

というより、結構長くお付き合いしていると、20代で知り合っても10年立てば、

30代なり、30代ならあっという間に、40代になる。

若い娘を補填しないと、どんどんガールフレンドも高齢化していきます。

 

まあ、こんな感じで、リフレッシュ方法も書いてみました。

男の身勝手ですが、ASは男が多いので、こんな話しを書いてみました。

 

 

 

 

 

 

「ベンゾジアゼピン系の安定剤、例えばデパスや筋弛緩薬であるミオナールを、鎮静剤として使用することにより、強直性脊椎炎の治療に役立つ可能性があります。しかし、ベンゾ系薬物は中毒性が問題とされており、注意が必要です。

強直性脊椎炎の患者は痛みによる極度の緊張を抱えており、心身の症状がみられることが多く、意外にもベンゾ系薬物の少量摂取では眠気を感じない場合があります。また、痛みの緩和により身体的な快適さを感じることもあります。しかし、断定はできませんが、強直性脊椎炎患者は、普通の方よりもベンゾ系が安定剤として効き目が鈍い気がします。

デパスの場合、0.5mgでは効果が薄れ、倍量が必要となる場合があります。しかし、同時に継続的に量が増えていき、増量しないと効果を感じにくくなります。増やしても効果が低下する傾向もあります。実際にデパスは、最近まで向精神薬として指定されていなかったため、制限なく投与されていたという国内の特殊な状況も存在しました。そのため、患者側も徐々に増やしてしまい、ベンゾジアゼピン中毒者が多数増える結果となった経緯もあります。

多くの統計からみると、一日にデパスを10錠、更にハルシオンなどを中毒者もざらにいるため、ベンゾ系は危険性は高いと思われます。近年、ベンゾ系は怖いという認識が医療界に広まっています。

その真偽はともかく、薬はベネフィットとリスクの両方があり、上手に使えば良いとも言えます。

この状況に疑問の声が上がり、デパスは向精神薬に指定され、30日分の投与が制限されました。しかし、容量に制限はないため、1日に2錠、1mgの処方であれば30日

分の使用が許可されています。

ただし、デパスや他のベンゾジアゼピン系薬物の使用には注意が必要です。これらの薬物は中枢神経系に作用し、鎮静や筋弛緩を引き起こす効果があります。しかし、長期間の連続使用や大量摂取により、依存性や中毒性が生じる可能性があります。特に、ベンゾジアゼピン系薬物の急な中止や減量は、離脱症状を引き起こすおそれがあります。

強直性脊椎炎の治療においては、ベンゾジアゼピン系薬物は痛みの緩和や筋肉の弛緩を促進する効果があるため、一部の患者にとって有効な選択肢となるかもしれません。ただし、その使用は医師の指導のもとに行われるべきであり、個々の症状や体質に合わせた適切な投与量と期間を確保する必要があります。

また、ベンゾジアゼピン系薬物の使用中には、注意深くモニタリングを行う必要があります。副作用として、眠気、注意力集中の低下、筋力の減退、めまい、認知機能の低下などが報告されています。これらの症状が現れた場合には、直ちに医師に相談する必要があります。総括すると、ベンゾジアゼピン系薬物は強直性脊椎炎の治療において一部の患者に効果をもたらす可能性がありますが、その使用には慎重さが求められます。医師の指導のもとで正確な投与量と期間が設定され、副作用や依存性のリスクが最小限に抑えられるようにすることが重要です。

 

強直性脊椎炎とは、痛みがつきものであり、この疾患の患者であれば、痛みがなくなれば何よりと思うのは当然のことでしょう。

昔は、最大限に非ステロイド性抗炎症薬(NSAID)やサラゾピリンなどの抗リウマチ薬が使用される程度でしたが、近年では生物学的製剤や経口ジャック阻害薬なども登場し、選択肢が増えています。

CRPが高い場合、上記の製剤を使用する価値があるでしょうか。一方で、強直性脊椎炎の専門家の中には、これらの治療法では病気を完全に抑制できないと主張する人もいます。

しかし、CRPが下がることによって痛みが軽減されるため、患者にとっては大きな救いとなります。ただし、バンブースパイン(背骨の強直)は避けられないという見方もあります。

また、例えば股関節の痛みが強い場合には、人工関節置換手術によって痛みを軽減することができます。人工股関節の技術も進歩しており、前方からの切開を行う最小侵襲手術法(MIS)では脱臼のリスクが少なく、手術後の回復も早いとされています。

痛みから解放されて、自由に歩けるようになることは確かに重要です。背骨の可動域を股関節で補うことは、強直性脊椎炎患者の体幹の動きに制限を与えるため、股関節の問題があれば早急に手術を検討すべきだという整形外科医の意見もあります。

ただし、私は炎症が強い場合には手術を行わない方が良いと感じています。炎症が強い状態で人工関節を挿入すると、生体反応が起きる可能性があるためです。手術を行う場合は、CRPが落ち着いた状態で、60歳以上の患者を対象にするべきだと思います。

その他にも、生物学的製剤やジャック阻害薬は元々リウマチの治療に使用される薬であり、その応用範囲は強直性脊椎炎の治療にも大きな役割を果たすことがあります。

実際にリウマチでは、さまざまな生物学的製剤やジャック阻害薬が多くの選択肢として存在していますが、強直性脊椎炎ではそれほど多くの選択肢が利用されていません。

しかし、地域のリウマチ内科クリニックの方が応用力があると思われます。実際に、適応外のジャック阻害薬を強直性脊椎炎の治療に使用し、効果を上げているクリニックも少なくありません。

そのため、大学病院の整形外科やリウマチ科よりも、応用力のあるクリニックを選ぶことが必要ではないでしょうか。

言い方をかえると、専門家を自称する医師ほど、色々なしがらみで、応用的治療が出来にくいということ事実です。

新薬ができても、開業医の採用が一番先で、後から大学病院、大病院へと使われるドラッグラグも見逃せません。

強直性脊椎炎の治療に、選択出来る薬も、巷のクリニックの方がどれだけ、多いかを考えると、どうぞ若年者の患者は、賢者の選択をしてもらいたいと願うばかりです。

 

痛みというのは、実は頭で痛みを感ずるわけです。

そして、股関節などは、骨がすり合っていたいという解釈もありますが、それは、嘘でしょうか。

まわりの健が痛いというのが、本質のような気がします。

となると、筋肉や腱を弛緩させるということは、マッサージ、鍼、ペインクリニックなどが有効だというが、とかく強直性脊椎炎の治療は、痛み止めに頼ってきたと言えるかもしません。

薬も血行の障害、筋肉の弛緩におもきを置くと、向精神薬が必要となるとの考えも一理あります。

では、何がよいかというと、例えば、血行障害にはドルナーはいい。サルボクレラートも良いかも知れません。

しかし、高齢になると出血傾向のリスクが強まる。それでなくても抗血小板薬は、老人の過半数が服用となると余りすすめられません。

比較的安易な療法としては、ついこないだまで、日本では向精神薬に入っていなかった「デパス」エチゾラムが、結構良くきく。

考えてみれば、ミオナール(筋弛緩薬)デパス(精神安定剤)ハルシオン(睡眠導入剤)などは、所謂、ベンゾ系といわれる薬です。

しかし、このベンゾ系の効果は素晴らしい一方で、習慣性が問題となっています。

強直性脊椎炎のように痛みを伴う疾患の患者には、睡眠障害も多く、デパスやハルシオンにはまっている人も少なくない。
そこで、このベンゾ系中毒者は、非常に多いと推定されます。

確かにベンゾ中毒にはまると、なかなか抜け出せない、止めると禁断症状、動悸、

痛み、あらゆる不定愁訴になやませられ。

急に止めると自殺願望、意欲低下、様々な問題がいわれています。

 

しかし、患者側からすれば少しでも、デパスやハルシオンで安らかな暮らしガ得られるのであればと手放せないという声も耳にします。

 

というわけで、デパスなどのベンゾ系は、最近バッシングを受け、向精神薬に指定されたあとも、デパスに頼るのは良くないという医師が多く存在します。

しかし、一方でデパスで、痛み止めが軽減できるなら、それも一計となりはしないか。

 

その辺の判断は、医師により様々だが、ベンゾバッシングは今や結構なものであり、

ベンゾ中毒者は、あっちの病院、こっちの病院で、デパスを集めて、服用しているので、気がつけば。

一日あたり、10錠位飲んでいるという患者もいなくもない。

それで、死ぬわけでもないので、仕方ないという考えもあるが、問題は、なかなかデパスを集めるのも困難になったとき、禁断症状を誰が救うか。

エビデンスでは、デパス減量の法則があり、とりあえずは、同ベンゾ系で、ジアセバムに代替させるという方法とり少しずつ、ベンゾ中毒から解放するという手段がいいらしい。

しかし、かつてデパスは上限がなく処方うけられたので、今になって出し渋られても困るという人も多い。

 

とりあえず、ジアセバムを精神科、心療内科でもらって、様子を見てもいいとおもうが、デパスは一気に中断は危険です。

私見からすれば、前期後期高齢者だったら、ベンゾ中毒でも仕方ないという考えもあります。

ただ、いたずらにベンゾは、効かなくなり量がふえるので、どこかでリセットして、

一ヶ月あたりの量をある程度、正常値に戻す必要があるでしょうか。

麻薬じゃないんだから、デパス一日0.5×3位は、一ヶ月で出るでしょうから。

それぐらい以下に抑えられたら◎のような気もする。

 

痛み止めだって、リウマチや強直性脊椎炎の治療には欠かせないし、それらも中毒性はかくせない。

リリカ、トラムセット、この辺も危ない薬だが、バンバンでている。

こちらは、向精神薬ではないので、マックス三ヶ月は楽にでるし、こちらの方が問題だというドクターもいます。

 

個人的には、デパスだけ鬼のように批判するのもどうでしょうか。というところです。

リウマチは、もちろん、強直脊椎炎などの治療で、名医といわれる領域の医師はすくないが、もんくなく名医だった橋本明先生が、昨年お亡くなりになったようだ。

もちろん、リウマチの名医だったので、強直性脊椎炎患者、また医師にもそれほど知られた存在ではなかったが、知る人ぞ知る名医だったとおもう。

 

80歳前後での開業も快挙だったし、名門福原病院で、ずっとリウマチ治療に関わっていた。東大物療内科、伊藤温泉病院を経て、福原病院、下北沢病院などを経て開業、90歳過ぎまで診療を続けており、閉院とほぼ同時期にお亡くなりなられてようです。ご冥福をお祈りします。

 

なかなか強直性脊椎炎は、整形外科中心で、なかなかリウマチ内科の先生は、少なかったが、橋本明先生の橋本式ケナコルトは、ある面、名手技として特筆できるだろうか。強直性脊椎炎も、こうしたキャパの広い先生も、交えて治療方法ももっと取り入れるべきだったような気もする。

強直性脊椎炎は、何故か整形外科が主導してきたので、リウマチとは大きく分けられた病気として扱われてきたが、リウマチも強直性脊椎炎もリウマチ膠原病疾患であることに変わりはない。
リウマチ内科、整形外科が、競合するのではなく、共助しながら治療が出来ればよいのだが、その辺が上手く、今日においても、出来てるようで、出来ていない。

それは、残念なことだ。

 

AS友の会に対して私が違和感を抱くとすれば、診療科や内科外科を問わず、さらに学閥や地域にとらわれずに自由な交流が必要だと感じます。

現在の友の会に復帰した場合、脱退したメンバーを温かく迎え入れる雰囲気が存在するのか心配です。私の心配は杞憂かもしれませんが、様々な遺恨や誤解があるかもしれません。しかし、さまざまな医師や医療従事者が参加し、より開かれた会が形成されることを願っています。

医師や医療従事者たちが互いに協力し合い、友の会が競争ではなく助け合いの場となれば素晴らしいと思います。地域や学閥にとらわれず、より広い視野で情報や経験を共有し合うことが重要です。

過去に存在した遺恨や誤解があっても、多様な医師や医療従事者が参加できるオープンな会が形成されることを願っています。そうした会が実現すれば、より良い医療の発展に繋がることでしょう。

 

PS AS友の会は、中央集権の部分が大きく、もっと、様々な地域の小規模のサークル的な活動も容認して行けば良かったとおもう。支部ではなく、地域独自の活動、病院単位の活動、更に、RAの会、変形性股関節症の会などの別の疾患との交流などもあれば、よかったのでは、と今更ながらおもう。

そして、友の会がそれらの組織をまとめて、総括する団体であり、下部組織の独立性、更に別疾患の会への連絡会の役割を果たせばよかったのではと。

 

 

再度、この名著を再読したいとおもう。

 

 

 

 

今問題の向精神薬、これを使うと、非常に強直性脊椎炎患者の病状は、特に痛みが取れるケースが大きい。痛み止めを減らすにも大きな福音でもある。

なんてこともあって、いわゆる”デパス”で、一気によくなったという患者さんも多い。しかし何年か前、これは日本だけ向精神薬に入ってなくて野放し状態だった。

デパスを始め、ハルシオン、レンドルミンなどの睡眠薬も含め、ベンゾ系は、非常に習慣性があり、止めるべきだという声が大きい。

確かに、効果と裏腹に、依存性は大きく、減量が難しいのは本当でしょう。

しかし、急に止めると不安症になり、世の中が真っ暗闇にみえて、極端な場合

生きている意味も分からなくなったりするという話しも良く聞く。

 

離脱方法は、三ヶ月単位で、減薬だが、ベンゾ系のジアセバブ(長く効く)タイプに代替するといいようだ。

しかし、デパスで、痛みから解放された患者は、なかなか離脱できない。

ただ減量しないといたずらに、デパスの量が増えてしまう可能性があり、時々減薬は必須です。というのが一般的な意見です。

 

痛みと生涯付き合わなければならないとしたら、まあ、デパスぐらいしかたないのかもとおもう。

ベンゾオンリーでなく、例えば、睡眠薬をベンゾ系から変えるとかベンゾ依存から回避することなど。

強直性脊椎炎では、運動量が少なく、PCなどデスクで過ごす人が多いので、また、

夜更かしが多く、睡眠薬は手放せない人も少なくない。

デパスは、現在避難の矢面ではありますが。

難病に薬は、つきもの痛み止めの減量になれば、デパスは全否定はできまい。

筋弛緩薬 ミオナールもベンゾ系なので、要注意です。

 

ということは、非ベンゾは、なかなか効き目がよくないと言われている。
痛いのは頭なんで、多少ベンゾ系に頼るのも悪くない。ような気もすのだが。

抗不安は、病気が悪くなるだけ。
薬を急に排除すると、向精神薬は不安症を悪化する。

あげくの果てに、心臓がバクバクしちゃうこともあるので、要注意、ベンゾ系諸刃の剣なんですが、禁忌ではなく慎重投与としたい。

 

ここ一年ぐらい、迷路に迷い込んでいる。

というより、泣きっ面に蜂じゃないけど。

生きているとどんどん面倒なことに、はまっていく。

 

ここ十年、いや、二十年は、本当に夢の中にいた

のかもしれない。

金は散財、自分の金じゃないと、金銭感覚が麻痺する

もちろんセレブからみれば、大した金じゃない

でも、自分の分相応というものが、あるが、経費という

人の金だといつのまにか、羽目をはずす。

 

とはいえ、業界もそんな時代でなくなり、そろそろ

そんな暮らしも止めようとおもっているが、

なかなか、抜け出せない。

 

といっても、元々グルメなんかじゃないし、宴会も嫌い

人に会うのも全然駄目なんだが、それなりにスイッチを

変えたら、結構、積極的に進める。

でもそれは、仕事上の演出であり、本来の自分とは乖離

している。

近頃は、その疲れだろうか、考え方も迷路に入ってしまっ

たといえる。

 

散々、高級なレストランで、食事をして、自由に午前零時

の街を闊歩する。

それなりに、というか仮初めの世界にあったといえる。

緊急事態宣言でさえ、コロナも諸ともせず、午前様で、

飲み歩く毎日だった。

というと、みんなお店は、当時閉まっているんじゃない

のって言われるが、そんなことはない。

行き付けの店は、そっと開けてくれたし、シャッターを

締めて朝までなんてことも、それこそ大将、店主とサシ

のみになり、大して飲めない自分も、のんべいになった

気分。

還暦になり、気持ちもハイからローへ、堕ちていく

悲しいかな。人生、そんなこともやっていたのも、自分

を直視することが出来なかったからだったかもしれない。

 

若い時代は、病気で、かなり厳しい人生だったが、あると

きを皮切りに、なんだかオファが絶えなくなったともいえる

魚に水じゃないけど、それに乗っかった自分。

勇退できなかったのも、恥かなともおもう。

この世に住む家とてなく、あの世に住むいえとてなく。

ってかんじでしょうか。

 

でも、人間生きる、情けが必要だ、崖っぷちを生き延びるしかない。

 

明日への夢というか

希望を繋げたい

そんな思いがある、

些細なことで、自分に地団駄ふんで

病気だからと、言い訳して

人を傷付けていたのかもしれない。

その傷み、痛み、悼みへ

近づきたい。

こんな歌がうかんだ、いや流れた。

 

 

 

歌:手嶌葵

作詞:池田綾子

作曲:池田綾子

 

元気でいますか。
大事な人はできましたか。
いつか夢は叶いますか。
この道の先で

覚えていますか
揺れる麦の穂 あの夕映え
地平線 続く空を探し続けていた

明日を描こうともがきながら
今夢の中へ
形ないものの輝きを
そっとそっと抱きしめて
進むの

笑っていますか
あの日のように無邪気な目で
寒い夜も雨の朝もきっとあったでしょう

ふるさとの街は帰る場所ならここにあると
いつだって変わらずに あなたを待っている

明日を描くことを止めないで
今夢の中へ
大切な人のぬくもりを
ずっとずっと忘れずに
進むの

人は迷いながら揺れながら
歩いてゆく
二度とない時の輝きを
見つめていたい

明日を描こうともがきながら
今夢の中で
形ないものの輝きを
そっとそっと抱きしめて
進むの

友の会脱会は、表題の通りだったが、

還暦を過ぎた今は、バカなことをおもったと自戒の念もある

しかし、その時は若気のいたりだったし、

今も、実際、再入会したら、またそうおもうのだろうか。

 

近頃おもうことは、医者だった井上会長や田中事務局長が、

どっちが会長だっただろうか。どうされているのか、

消息がさえわからない。

ホームページはあるようだが、相変わらず、コンタクトが取りにくい

閉鎖的なのはいただけない。

無人島で、であった仲間のような感覚は希少難病同士

絆であったはずだが、もう晩年なのだから、ノーサイド

出会いたい気もするが、その中に今も飛び込めないのはつらい

東京では、三井記念、三井リウマチクリニックが、頑張っていたが、

ご高齢でしょうし、どうなったかな。

みんな、AS患者のよりどころは、友の会にあるのでしょうか。

 

若い人たちは、患者は生物製剤やジャック製剤で救われたの

でしょうか。

情報がないのです、どなたかAS友の会の消息があったら、是非

連絡がほしいと思います。

コメントください。