雑記 | フランス語発音上達ブログ!

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TOEIC980。早稲田英文→早稲田仏文修士→上智外国語学部修士→上智博士課程在学中の井上がフランス語の発音を上達させるための方法について話します。

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さて、今日も罰当たりなmarketing lessons from the grateful buddhaです。昨日は20分強書いてしまったので、今日は短めに行きます。



さて、昨日の日記にも書いたとおり、僕はこの前の金曜日に近くの寺にお払いに行ったわけですが、そこで驚いたのは結局価値って払い手が一方的に決めるのであり、値段と言うのは向こうの「お金を払いたい」という気持ちを満足させるための受け取るシステムに過ぎないということでした。



まあ、考えてみたら、これって多分とうぜんっちゃ当然なんですよね。何でかっていうと、お金の本質は流通にあり、そういう意味では相手が快く払える仕組みを作ってあげるのは、恐らく人間が社会を運営していく上で欠かせないからです。



でもですね、そうはいってもやはりこの、「値段をつけるのは自分のためじゃなくて、相手のためだ」というのは、それまでの僕の常識とは相当かけ離れているので、このことに気付いたときは思わず座りションベンをもらしそうになりました。もちろん、実際の所は、大人なんでトイレ行くまで我慢したわけですが、しかしそれにしてもこの発見にはそれほどの気付きはあったわけです。



でも、考えてみたら、本当にそうなんですよ。例えば、僕が本当に悩んでいたら、たぶん5万円とかを払いたいと思うだろうし、もしかしたらそれでも足りないから、恐らく例えば別の形で寄進とかが出来ないかをお寺側に申し出ると思うんですね。



で、このときもし3000円とかの祈祷しかなかったら、僕は恐らく物足りなさを覚えるわけじゃないですか。だから、やっぱりお金を向こうが払えるようにしてあげるのは必要なんですね。そして、その時の値段と言うのは、まさに心の代わりをするお金、つまり「代金」なわけです。



いや、これ本当にすごいですね。そして、ここから何が言えるかと言うと、お金というのは恐らく明確に出せば出すほど、自分と同じ考え方をした友達が集まってくるということです。これ普通逆に考えられるじゃないですか。つまり、どういうことかというと、お金を払わせると、人間関係が崩れると。



でも、それは違うんですよね。なんでかというと、値段と言うのは結局のところお金だけで決まってるわけじゃないから。だって、例えば僕が1時間1万2千円で10時間で12万円ですとか言ってて、でも「それじゃ払えないんです。どうすればいいですか?」って人に聞かれたら、「相手にいくら払えるんですか?」って聞いて、それで向こうの払える金額だけ払ってもらえばいいんですもん。



このあたり自分でもはっきりしてないんですが、たぶん値段ってのは相手の覚悟を確認するための記号でしかないから、別に相手が「払えない」って行ってきたら、負けてあげればいいと思うんですよね。ただ、これは自分で高い値段をつけるとわかるんですが、値段が高いと本当にやりたい人しかやってこないんで、冷やかし客が来ないんですよね。



で、冷やかし客じゃないんだったら、向こうが払える値段でできるだけのことをやればいいじゃないですか。うーん、このあたり自分でもよくまとまってないんで上手くいえないんですが、別にお金と言うのはあくまで記号であり、それは自分と同じことに強烈な興味を持つ人を引き寄せる役割しか持たないと思うんですよね。



言い換えれば、仕事と言うのは友達引き寄せ装置なのかなと。うーん、本当に上手くいえないですね。まあ、いいや。気が向いたら、また書きます。