雑記 | フランス語発音上達ブログ!

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TOEIC980。早稲田英文→早稲田仏文修士→上智外国語学部修士→上智博士課程在学中の井上がフランス語の発音を上達させるための方法について話します。

最近漢詩を聞いてて、詩っていうのは言語の習得に非常に適してるような気がしてきたので、今度はボードレールの悪の華を買ってみました。まず最初にわからない単語を全部調べたあとで、テキストを見ながらCDを聞いてみたんですけど、かなりいい勉強になりました。



散文と違って詩には音声・形態的な制約があるので、使う単語や構文がどうしても日常とはかけ離れたものにならざるを得ません。そのため、詩を読むことによって、通常の文章では触れられないような高度の単語や構文に親しむことができます。また、このような難度の高い単語は出現頻度が低いため散文に出てきた場合はなかなか覚えられないのですが、詩の場合は音声的特長が上手に利用されているためリズムとして自然に単語が入ってきます。最近自分に適したレベルの本を大量に読む多読と言った学習法が流行ってますが、それと同時に詩を読みそして耳から吸収することで難易度の高い文章もより容易に読めるようになるのではと思います。



しかし、今回悪の華を呼んでて思ったのですが、やはり最終的に文学と言うのは音声的な美にたどり着くのだなとおもます。内容はもちろんのこと、響きの美しさがなければ後世に残る作品にはならないではないでしょうか。文学の世界では芝居に比べて散文がどうしても比較見られがちですが、その理由が今日わかったような気がします。



ところで、前からずっと思ってたことで今回この本読んでて再燃したことが一つあります。英語、特に英文学系の先生の中には、「英語なんて話したり聞いたりできなくてもいいんだ。きちんとした文章が読めればいいんだ。」って言う人がよくいます。昔予備校で一緒だった先生も同じこと言ってました。でも、その先生の専門ってシェークスピアなんですよね。で、シェークスピアって戯曲じゃないですか。と言うことは、もちろん本という形式に残っているとはいえ、基本的には舞台の上で演じるためのものですよね。僕すごい不思議に思うんですけど、舞台の上で言ってることが聞き取れない人がどうやって演劇の研究するんですかね。



まあ、もちろん書かれたテキストをメインに研究するから、別にいってることがわからなくてもいいんだって言う主張があるのはわかります。でも、それってうさんくさくないですか?少なくとも、日本語の演劇とか詩とかを研究してる外国人で舞台とか詩の朗読がまったく聞き取れない人がいたら、相当胡散臭いと思うんですけどね。



まあ、だから大学も入試で英文読解とかやんないで、詩のディクテーションとそこで書き取った文章の和訳でもやっときゃいいんですよ。そうすれば、高度な構文や単語をマスターできる上に、リスニングの基礎も身につけられるんで一石2鳥じゃないですか。それに散文読んでてもネイティブに教養あると思われませんけど、韻文をそらんじてると大概驚かれますからね。素読の伝統とも合致するしと思うんですけどね。国際会議とかに出たときに、「日本人はシェークスピアのソネットから英語の勉強を始めるんだ」とか言おうものなら、そりゃもうインド人もびっくりですよ。文部省にはJETプログラムの一環としてぜひ採用してほしいですね。