思いの結晶

思いの結晶

徒然も慰めがたい日常を思うままの色に塗りつぶしたい

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結果だけをみれば、傷つけたし、傷ついた。

異性との友情を保つのは何と難しいことだろう。

一方の思いが他方のそれと差が開けば大抵は

それで関係は壊れてしまう。

一旦ひびが入れば最期、元通りに戻すことは困難だ。

 

ひょんな切っ掛けひとつで、ある日のある人との出来事が蘇る。

悔まれることは際限なく思い当たる。

出会いの形やタイミングにたらればをぶつけてしまう。

 

だが、

「出会わなければよかった」

そう思うことだけはやめておこう。

縁というものが存在し、それに恵まれなかった。

過ぎ去った今はただ、それを甘受するのみ。

 

どんなに期間が短くとも

どんなに終わり方が悲惨でも

どんなに苦い思い出が残っていても

 

思いを重ねた瞬間が真実であったことや

いくつもの偶然と必然によって共にいたこと、

それらが写真や画像に残っていなくとも

この心の片隅に確かに存在しているのなら

届けたい言葉はただひとつだけ。

 

あのとき、あなたがいてくれて、ありがとう。

 

いわなきゃよかった
やらなきゃよかった
よかれと思ったのに
せっかくがんばったのに

 

感謝もされず
報われることなく
疎まれ
傷ついただけ

 

その過去を恨まず
経験を恥じることなく
現実を受け留め
謙虚に学びとる

 

                    深呼吸
                     運動
                     睡眠
                    陽射し

 

            価値ある選択を心掛け
              心に栄養を与え
              理不尽を忘却し
              不運を甘受する

 

あるとき気付く
あの日の決断が
今の自分の一部であると
あらゆる苦難は
飛躍する好機であると

最近どういうわけだか中学から高校の頃の想い出がふと蘇ることが多くなった。それは大抵、懐かしい景色と共に、顔と名前と電話番号がセットで思い出される。

携帯のなかったあの頃は電話番号を何人分も覚えていたものだった。親が寝静まった真夜中に固定電話で長電話したり、夜中に海や駅やバスターミナルで会ったり、日帰りで旅行に行ったり、一度だけだが無人の駅で一晩泊まったりした経験は、現在の自分の核となる素養となっている気がする。

自分ではどうしようもないことに支配され、振り回されてばかりで、生きることに希望を見出せない中で足掻いていたあの頃感じていたこと、好きだった言葉、気障すぎる会話は、今思い返しても、どうしようもなく背伸びしすぎた日々だったと思う。

NHK BSドラマ10「受験のシンデレラ」の川口春奈を観ていたら、ますます、そんなことを鮮明に蘇ってくる。自分では叶えられなかったり、諦めて挑戦すらしなかったことは、同じように投げやりになっている誰かに反面教師になって、サポートしたい。僕の大切な人との奇跡的な出会いもそんな思いからだった。
自分の志向の礎を築いた時期は
間違いなく中学生時代である。

生徒会室の広くもない空間で
日々繰り広げられた出来事こそ
青春と呼ぶに相応しく、
初めて友誼を識ったのも
あの場所でのことだった。

何にも増して影響を受けたのは、
先輩たちの音楽センス。
文学や美術、映画、写真などに
開眼するのはそれから
ずっとずっと後のこと。

やはり直接人から受ける衝撃が
思春期には大きい。

あのときもし、生徒会に立候補して
いなかったら、今と全く違う人生で
あっただろう。

大好きだった先輩と海で遊んだ日の
ことを何故か思い出し、
昨日は一日中、様々思いを馳せた。

まさかとは思ったが、SNSで先輩の
名前を検索したらヒットした。
あの頃、ぼくに教えてくれた、
あのアーティストへの想いが
そこに熱く書かれていた。

あの頃のまま。
変わらないでいることの歓び。

先輩が録音してくれたカセットテープ。
たしか何処かにまだ仕舞い込んでいたはず。
またいつか逢えることがあったら、
昔のように話したい。
でも、あの頃と同じように「君付け」では
呼べないだろうけどね。
 
http://www.youtube.com/watch?v=U4u8hdzQQz0
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まだ分からない 
見つからない
とまどってばかりはいられない

居場所というものはなく
安定の中にも見出せない

郷愁や思い描いた理想が
道標となりときに光を示す

やり切れたと自負できるまで
求め究める

短くも美しく激しく
輝けることこそが召命


忘れたかったはずの出来事が
丁寧に、丁寧に、思いを温めていれば、
ある偶然から色鮮やかに蘇る時がある。

あの頃聞いたあのアーティストの新曲とか

あの頃ヘビーローテーションだった香水とか

どんなきっかけだって
その気になれば、
あの笑顔を思い描くスイッチになり得る。

去年の夏のドラマの再放送でさえ
懐かしく思うほど年月の流れが早く感じる
この頃では、なおのこと。

あかりを消して。
声とストリングだけに意識を集中すれば、
いつだって、あの日々と同じになれる。
初めてその町を訪れたとき、
近所のきな粉工場からの
甘い香りに包まれ、食欲をそそられた。

住み慣れるうち、いつしか感じなくなった、
あの甘い香り。

時折、旅行に出掛けて帰ってきた時だけ、
感じ取ることができた。

今では引越して訪れることはなくなったけれど、
電車で通過するときに、ふと気づく。

あの、甘く馨しい、懐かしいきな粉のにおい。

意識よりも先に、体が反応する。
視線を窓先に移すと、線路沿いにあった、
かつての住まいが一瞬見える。

香りと共に蘇る日々。

初めてその町を訪れたとき、
近所のきな粉工場からの
甘い香りに包まれていた。
忌まわしき過去は
望んでいた想い出に
美化させてきたけれど
 
信じたものを
真実とする力が
人には備わってるのだから

それを虚構ではなく
見聞だと認識することにした
 

痛みを懐かしくさえ
思えることも
できたけれど

歩んだ道を
理想とする力が
人には備わってるのだから

失くした恋を
かつて観た映画の記憶へ
あなたが生きていた頃に
ぼくはあなたをよく知らなかった

もう少し あと少し
嗚呼、あなたはいつだって
失いゆくものと失ったものへの
はかなきさだめと
自分の心に正直に向き合い
聴く者の魂を揺さぶったんだね

その失ったものが
いかばかりであったのかを
こんなにも年月が過ぎた今
初めて知ったぼくは思いを馳せ
せつなくなっているよ

年月を経た世にも
胸を打つ言葉がやはり存在してるよ
騙せるのなら 現実なんて必要じゃない

まるでぼくらは神の憐れみによって
切なさを芸術へと高められるに至れるのだね
あの日。
震災だとか、911だとか、リーマンショックだとか。

つまらない日々と唖然とさせる出来事。

そんななか、生き続けていく。

そしたら、
いつの間にか、
ランボーより年を取ったり、
尾崎豊よりも年を取ったり、
MJより年を取ったりして、
若くして死ぬことと、
名と作品を残す偉大さを感じたり。

最もつまらないのは、
人とのしがらみ。

好きになられたり、
好きにさせられることの、
何と煩わしいことよ。

こころ穏やかな日々は
最上の贅沢。

考え方。

これひとつで、
見える世界が、
感じることが、
気持ちのゆとりが、
見違える。

空を見上げていよう。
雲を眼で追いかけよう。
他人を見る時は、
眼鏡をかけないでおこう。

なにが優先?
なにがしたい?

いいことを教えよう。
一瞬で変えられるんだよ。


本を開いていよう。
描かれる世界に浸っていよう。
スマホばかり見てる他人は、
放っておこう。

お気に入りの香水を
つけてみよう。
ガムを噛んでみよう。

ありきたりな毎日に
彩を加えられるのは、
自分の心の変化から。