きつい目で私を睨み、

ふんと一瞥して、その客は帰っていった。

あなたの言葉は信用出来ないわ、と言わんばかりに。



営業をしていると、よくあるいつものシーンである。

が、私も人間である。それを受けて、私は傷つき、ときに心で悪態をついて、いつも自分を守っていた。



しかし、昨日はそうしなかった。

何故なら、その客が私の中の「拒絶の恐れ」を引っ張り出してくれたことが分かったから。

嫌な気分がわき起こるのは今までと同じだが、私はそれを意識の中に迎えいれ、その気分を充分味わった。


その酸っぱさを。

その惨めさを。


やがて、気分は落ち着き、徐々に心に平安が訪れた。


今までと決定的に違うのは、

その一件は完全に消化され、

もうそのことを何度もグルグル考えなくなったことである。







豊かな営業マンは、



苦しいシチュエーションでも、あきらめずに頑張りぬく。



楽なシチュエーションでも、手を抜かずに誠実にプレイをする。




豊かな営業マンは、プレッシャーに追い回されても、それに気づかない振りをし、



新しい環境にもすぐに溶け込んだ振りをする。




結果だけが評価される世界で、


豊かな営業マンは結果という未来に捕らわれない。




豊かな営業マンは、今に焦点を合わし、豊かに振る舞う。






結果的にアベレージを残す営業マンは、


きっといま言ったような、今を豊かに振る舞う営業マンなのだ。





だから豊かな営業マンは必然的に、心もフトコロも豊かなのである。







商品を売るのは簡単だ。

相手のニーズに切り込めば良い。


それは、テクニックを学べば誰でも達成できるのである。





ただ、恥ずかしながら、こう言えるようになるまで、私は四半世紀かかった。








さて、



次は、「商品を通して、人を幸せにするのは簡単だ。」





こう言えるのは何年後だろうか。






その日が来るのを楽しみにしながら、


私は日々闘っている。










商談の前の雨は少し気を使う。


濡れた服や、ヨレヨレのズボンで先方へ訪問するのは気が引けるものである。



そこで、傘からはみ出ぬようにそろそろ歩いていると、次第に雨は小降りになってきた。



ほぼ雨もあがり、阪急電車の高架下にさしかかったところで、私は傘をたたんだ。





その直後。


頭の上を阪急電車がガタゴトと通過して、


たまった雨水が一気にバタバタバタと降ってきた。




傘をたたんだ直後に。





ははは。


私はずぶ濡れになりながら、


こんな“おいしい”偶然に、


ひとりも見学者がいなかったことを残念に思った。







私は、何かに挑戦するとき…

例えば、高い売上目標に挑戦するとき、

ダイエットに挑むとき、

資格取得を目指すときなどに、




それを達成したら、例えば「最新のノートPCを買う」「スーツを新調する」などの自分へのご褒美を設定する。




そしてワクワクしながらそれに取り組み、努力し、ときにその目標を達成する。



ただ困ったことに、ひとつ目標を達成してしまうと


それをけん引してきた「ご褒美」には興味が無くなってしまう。




結局、ご褒美は与えられず終いで、次の挑戦課題が現れるのだ。





だからいつまでたっても

私は救われない…




とほほ…







大切なのは安定?



ふぅん。



私は安定は望まないな。





私の場合、安定はたいくつに繋がるから。






私が怖いのは、


それに浸って、


人生のワクワク・ドキドキした挑戦をしなくなるから。








こと営業に限って言えば…


私は仕事を一度も楽しんだことはない。



楽しく営業をしようなんて考えたこともないし、

楽しい営業なんて私には理解できない。




私は、営業という仕事を

①真剣にする

か、

②手を抜く

か、のどちらかである(笑)







意志あれば道あり






なんか最近、フェースブックのほうが字数が多いな…(笑)








私は何になりたくて、こんなに頑張っているのだろうか?







必死に人と比べて、

負けるもんかと発奮したり、

アイツにはかなわないと落ち込んだり、

時に意味もなく嫉妬したりしながら頑張って来たのだが。






時には、変なプライドを持って肩をイカらせてみたり、

自分を過小評価して自己嫌悪に落ち込んでみたり、

誰かに何かを隠してみたり、

無理に見栄をはって大きくみせたり、

大きい買い物をして満足しようとしたり、

食事で気を晴らしてみたり、






誰かを言い負かして鬱憤を解消してみたり、

ストイックなダイエットに挑戦してみたり、





そして、映画やコンサートに行って現実から逃避し、

毎日各地の酒に酔って我を忘れ、たまに潰れて…






そんなことをしながら、私は一体何になりたいのだろうかーーと一生懸命考えてみた。





そして最近ふと気付いたのだが、


おそらくそんなこんな無駄なことをしながら、






“本当の私”に、

なりたいのではないのかなぁ、と思い至ったのである。






そこにあるだけで、私が溢れ出てくるような飾らない“素の私”に。






何も作らず、気取らず、焦らず、比べず、卑下せず、言い訳せず、上からも下からもアピールしない、

そんなピカピカ輝いている“私自身”に、

なりたいのではないだろうか。