札の辻・河童渡来の碑 ~熊本県八代市の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2016年8月15日16日の熊本・八代・人吉・肥薩線出撃レポの続き。

 

観行寺」「盛光寺」「安養寺」とお参りしながら、八代の街並を散策し、「札の辻に向かいました。


 

観行寺・盛光寺・安養寺のレポ。

http://ameblo.jp/indyaki12/entry-12244924646.html
 

 

安養寺」から更に東に進み、大通りを渡り一つ目の四つ角を右折。進んで行くと、前川に突き当たります。

 

 

その右手には、大きな石碑が!「札の辻元票の地」と刻まれているようです。

 

 

その石碑の後ろには、な、なんと!大きな河童が!なんじゃこりゃ!?(笑)

 

 

カッパさんの横には、「札の辻・十一里木跡」という案内板がありました。

『薩摩街道と徳淵津
江戸時代、熊本城下から鹿児島へ向う主要道路は「薩摩街道」と呼ばれました。八代城の真南に位置し、前川(球磨川の支流)に面した一帯は、「徳淵津」と呼ばれ、古くから国内外との交易が盛んに行われていた港です。徳淵の地名は、徳(財宝)の集まる淵(港)という意味です。
ここは、薩摩街道上の要衝で「札の辻」と呼ばれ、熊本城下から十一里(一里は約4km)の距離であることを示す「十一里木」や幕府や藩からのお触れを掲示する「高札場」がありました。徳淵津は、その昔、海外からやって来た河童が、はじめて日本に上陸した地点と伝えられており、「河童渡来の碑」が建てられています。(八代市文化まちづくり課/八代市立博物館未来の森ミュージアム 2014 年 10 月版)』

http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/r/N/4/N4w1ifGwTavmldY2iOMmYI2a.pdf

 

 

なるほど!薩摩街道の要所だから「札の辻」であり、熊本城から11里の距離にあるから「十一里木」が建てられた(植えられた)のですね!

 

それに、かっぱって、海外から来たの?(笑)


 

札の辻・十一里木跡」が建てられている足元を見ると…。こんもりとした小山になっているので、もしかしたら、十一里木を立てる為に、盛り土された部分なのかも知れませんね。

 

 

前川に進むと…。精霊流しをしていました。

 

 

なかなかいい景色です♪

 

 

そのすぐ近くには「河童渡来の碑」があって…。

『河童渡来の碑
八代城跡の南約500m、前川橋のたもとに石碑があります。「河童渡来之碑」と刻まれた碑文によると、仁徳天皇時代(313〜399)に中国から九千匹の河童が揚子江(長江)を下り、黄海を経て八代に上陸したとあります。(八代市HP)』

http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003142/index.html

 

 

河童が9,000匹も!中国からやって来たのか~面白い伝承ですね(^^)


 

河童渡来の碑」から、一旦歩いてきた道を戻り、一つ目の四つ角を右折し、「本成寺」に向かいました。すると、古そうな建物があって…。なかなか渋いな~。

 

 

更に進むと、丸くロータリーのような形状の公園に出るのですが、その中に、こんな由緒書きが!
妙見祭 「獅子舞」と中島町』。妙見祭は、現在の「八代神社」の秋の大祭で、江戸時代から続く八代地方最大の伝統行事なのですね! 

 

 

この辺りの中島町は交易が盛んな港町だった為、豪商が多く、妙見祭への奉納も盛んだったのでしょうね。
ここ中島町獅子舞は、中国風の衣装や楽器を用いるのが特徴で、元禄4年(1691)、八代城下の豪商井桜屋勘七が奉納したのが始まりで、勘七は商いの為、長崎に行くことが多く、長崎くんち羅漢獅子舞を見て、妙見祭に奉納したいと考えたからなのですね!スゴい!


 

札の辻」「河童渡来の碑」を見学した後は、「本成寺」に向かいました。
その様子は、また後日。



 

札の辻・十一里木跡・河童渡来の碑
熊本県八代市本町3-7-17付近
http://www.city.yatsushiro.lg.jp/kankou/kiji003142/index.html

 

 

妙見祭
http://www.myouken.com/

 

 

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