アイツが死んだら? | クソイナカ…周囲はほとんど既知害ばかり

アイツが死んだら?

アホやなあとか言いながら、死んでしまったとしたら、案外悲しい気分になりそう。あったといっても妹の葬式のとき、もう30年以上昔なんだけど、顔もあんまり覚えてなくて、でもあのムキになってた時の声とか、またオヤジが反論しながらケンカしてたとかは覚えてる。「聖教とらんけ死んでもうたんやけの!!」

オヤジの親戚筋にあたる、G会員の男、ハナシを聞くに酷い貧乏暮らしで、唯一G会関係でのみ幸せになったわかりやすい人。さらに九州から横浜鶴見に集団就職でやってきた、という横浜下層を体現したようなオッサン。こいつとオヤジは付き合いなし、でもたまーに電話がかかってくるらしく、お母さんが伝言つなぎをしていた。年賀状が来るにはくるけど、きたのを確認するや親父はすぐに捨てていた。

お母さんのほうにもG会員が沢山いて、こちらは前述のアホとは違いまだおとなしい。お母さんは聖教をお情けで取らされていて、親父がとがめるに「あの子結構可哀想なのよねー」というので、まあ仕方ないなというような。この男の人ってどんな人なのか私は知らない、けれど話を聞くと、ただ「あの子て結構ふこうなんよ」と。九州の某県から横浜鶴見に集団就職、某県出身者を多数雇い入れる工場に就職するも、わかりやすくG会員に・・・どこが不幸なのかよくわからない、でも九州時代にいろいろあったとか。

父方のG会員とは付き合いがないけど、でも母方とは聖教購読でちょっとつながりを持ってる。


やっぱり物心付いてない年頃にあっただけだから、アイツに対する憎しみはない、けど小学上がってたら、何やねん!と怒りにかられてたかも?いやもしかしたらもっと年いっちゃってたら案外憎しみを抱けないかもしれない。妹が死んで不謹慎だ、てのは確かにあるんだけどさ。


ああいう人の人生って一体なんだろうね?やっぱり九州の長男がえらーい、なんて土地柄だからね、次男三男なんて集団就職してでも出て行け、なんてのが当たり前のところから集団就職でやってきて、突然気づくんじゃないか?「自分の幸せってほんのちっぽけなもんだよな」って。この心の空洞に入り込み、幸せをわかりやすい形で示してくれたのがS価なんだよねぇ・・・


やっぱりこうなってくるとさすがに罵る気持も失せてくる。アイツが死んだら?あいつの人生って?アイツって?本当は結婚したかったんちゃうかな?人並みの幸せ、ってものをつかもうとしてもつかめないって解ってしまって、最大限幸せを得るためにはS価しかなかったんちゃうかな?って。


やっぱりアイツみたいな人を蔑む真似はできない。