坂本城 旧養父郡八鹿町 | 山城攻略日記

山城攻略日記

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坂本城(養父市八鹿町坂本字城山)

坂本城は円山川と岩崎川・大江川との合流点、坂本集落南側の独立丘陵、標高153.8mに所在する。集落との比高は約120mほどある。城域は東西約250m、南北約50mを測る。
城主は橋本兵庫という。「中島家系図」(中島喜右衛門氏所蔵)の伝承によれば、中島氏は阿波国細川氏の家臣三好氏の出で、摂津国中島城主中島主膳(宗安)の三男安継が永禄(1558~69)末逃れて但馬に移り、「出石城主山名氏召抱ノ後、坂本ニ小城築、並ニ大江小高ニ居住ス」と記されている。その中島安継が橋本兵庫であるという。
橋本兵庫は、天正5年(1577)10月、羽柴秀長の第一次但馬攻めの時、八木豊信・朝倉大炊・三方左馬介・宿南右京らと共に、養父郡内で秀長勢に抗戦している(『武功夜話』)。
その後、安継(橋本兵庫)の子宗信は、坂本に住して六郎右衛門と改名し、文禄年中(1592~95)帰農したという(「中島氏系図」)。
城主居館は「小高」に所在したものと思われるが、その場所は集落背後山裾の浄念寺境内地であるという。
(※図説養父市城郭事典より)

南東出丸

南東七郭

北東六郭

北東五郭(曲輪6)

東堀切A

東堀切Aからの北竪堀ア

東堀切Aからの南竪堀イ

堀切に面した北東四郭東帯曲輪

北東四郭(曲輪4)

北東三郭南東腰曲輪

北東三郭南東腰曲輪の南下に、図に無い曲輪

北東四郭の北には、図に無い竪堀

北東三郭(曲輪3)

北東ニ郭(曲輪2)

北東ニ郭の西土塁

北東ニ郭南腰曲輪

北東ニ郭から主郭への通路状北帯曲輪

北帯曲輪(曲輪5)

北東ニ郭から主郭への通路状南帯曲輪

主郭

南西三重堀切B

南西三重堀切Bからの南竪堀

南西三重堀切Bからの北竪堀

南西三重堀切BとC間の土塁

南西三重堀切C

南西三重堀切Cからの北竪堀

南西三重堀切Cからの南竪堀

南西三重堀切CとD間の土塁

南西三重堀切D

南西三重堀切Dからの北竪堀

南西三重堀切Dからの南竪堀

南西ニ郭の北東土塁

南西ニ郭(曲輪7)

南西三郭(曲輪8)

南西四郭(曲輪9)

南西五郭(曲輪10)

南西六郭(曲輪11)

南西七郭(曲輪12)

図に無い南西八郭

図に無い南西出丸


坂本城遠望

軌跡ログ



旧養父郡八鹿町の城