ノマドワークという言葉を聞いたことがあるだろうか?
ノマドは遊牧民の意味で、一定の場所ではなくあらゆる場所で仕事をするというのがいわゆるノマドワークということになる。
これを可能にしたのがインターネットであり、加速させたのがスマートフォンである。
昭和の美徳というか、とにかく懸命に長い時間働くことでいつかは報われるという価値観はここ10年でかなり薄れてきているように感じる。
働く場所を固定しないといけない理由は来客や必要な書類や“机”があるというところだろうか。
来客に際して立派なオフィスがあれば信用度に繋がるわけだが、その必要性すらも今後はますます薄れていくだろうと思う。
必要な書類や机もデータで持ち運び、必要なときにはスマホで呼び出すことができる。
FAXですらスマホで送信できてしまうし、緊急のプリントアウトはコンビニのネットプリントで出来てしまう。
こうなってくると、かつてのインフラをベースとした仕事のスタイルにしがみついていると評価の対象の範囲から外れてしまうわけだ。
先日、30年にもわたり生保業界の一線で活躍してきたお客様の話を聞いた。
「遊んでるみたいなもんですよ、僕なんて。お客さんに用事ないときに会いに行って、何かのタイミングで思い出してもらえるかどうかが大切だと思ってます。何年も会ってないと、あっそういえば…と思い出してもらえないでしょ?そのときにサッと良い提案をするんです。」
そのお客様はスマホすら持ってないが、結果に焦点を当てて時間軸ではなく、行動軸で仕事をしている。
適時のタイミングでのメールや電話で大きな商談のフラグが立つことも多々あるが、その“可能性のない”時間をオフィスでいくら使っても結果にはならない。
水くみエドの話はとてもビジネスのあり方を再考させられる。
ある若くて熱意のある男性が営業の仕事の相談をしてきたことがあった。
彼はこう言った
「この仕事が自転車を漕ぐような仕事なら僕は一生懸命漕ぐのに。でも、どうやっていいかわからないんですよ。考えてばかりです。」
どう頑張ればいいかわからないという人も結構いると思う。
こういう考えてばかりの人は、まず人に会うこと、電話をしてみるといいと思う。
結果をすぐに求める行動というよりは“考”→“動”のクセをつけるというのが大事だと思う。
そうやってると何かしらの結果が出てくる。
売上に繋がるという結果、もしくは徒労に終わるという結果。
“動”にシフトしたまま、アプローチの改善をしていくと、また違った結果が出てくる。
それらの躍動的な仕事をする場所が必ずしも同じ場所である必要性がなくなってきているということだ。
仕事をやってる振りをしたり、ごまかすような貧相な感覚の根底には、昭和の美徳があるのかも知れないが、そんなのはもう通用しなくなってることを気づかないと、ただずっとバケツで水を汲む人生が待っている。
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