審判 (岩波文庫)/カフカ

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最近、カミュの『シーシュポスの神話』を読んだため、
どうしても彼のカフカ観を頭の片隅で意識しながら読むこととなった。
つまり、この作品は「不条理」な作品だと。
しかし、「不条理」がこの作品の根幹をなすものだとは、現段階の私には確信できない。

物語は、逮捕の理由、裁判所の実態など不明なものをはらみ続けながらも、非常に淡々と進み、
突然 ― これは、読者という私の観点からだが ― 恐らく裁判所からよこされた2人の男によって殺される。
(高級)裁判所については、作品後半のKと僧侶の話が最も重要なヒントのように思った。
だが、僧侶の話は解釈がいろいろと出来そうだし、その解釈が正しいのか判断するのも困難そうだ。

何にせよ、再読必須の本。
シーシュポスの神話 (新潮文庫)/カミュ

¥540
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人生が生きるに値するか、あなたは悩んだことがあるだろうか?
今はつらくても、何かに納得ができなくても、
明日になれば、もう少し大人になれば、どうにかなると思っているだろうか?

けれど、本当に明日がやって来るのかはわかりえない。
いつか、必ず死ぬときがやってきて、その希望を打ち砕くときがくる。
死が訪れる日を肉体は全否定しているのに、精神は明日の存在を渇望している。

では、人は自ら死ぬべきなのだろうか?
明日への不安、肉体と精神がもたらす「不条理」から逃れるために、自殺するべきなのだろうか?

それは間違っている、そうするべきだ、どちらを判断したにしても、
カミュの書いたこの本を是非読んでいただきたい。

以下、本書からの引用。

「真の認識はすべて不可能だ。
ただ外見だけが数え上げられるだけであり、そして風土が感じられるようになる」

「反抗とは、人間と人間固有の暗黒との不断の対決だ」

「自殺は反抗の論理的到達点をなすものではない」

「世界の様々な相貌を前にしたとき、
僕らを恍惚とさせるあの感動は、世界の深さに由来するのではなく、
世界の多様性に由来するのだということを、心情は学ぶのだ」

「説明はむなしい。
しかし、感覚はのこる、
そして感覚とともに、汲みつくしえない量をもつ宇宙からのたえざる呼びかけがのこる。
ここに芸術作品の占めるべき位置が理解されよう」

「芸術作品はそれ自体不条理な現象であり、重要なのは芸術作品における記述、ただそれだけだ」

「創造は、人間の唯一の尊厳の、(中略)、驚くべき証言である」
ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)/スティーヴンソン

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私自身も倫理的によくない部分を持っているので、
邪悪な行動に対するジーキル博士の生理的な衝動を理解できないことはないが、
別の人間になってまでして実現させたいとまでは思えないので、ジーキル博士に余り感情移入できなかった。

ジーキル博士がそれほどまでして悪に惹かれたのは何故か。
彼の生得的なものにも多分によるだろうが、
変身するための薬を調合してしまったことが彼の背中を最も強く押したのだろう。
それにしても、ジーキル博士は最後まで徹底した利己主義者である。

興味深いのは、彼が変身を幾度も重ねるごとに、彼の中で悪への衝動が本来の人格を凌駕してしまったこと。
(ジーキル博士はそれを認めたがらず、ハイド氏の中で、と最後の手記に書いたが…)
人間は善に対する忠誠心よりも背徳の方に引き寄せられるのかもしれない…
と思ったりもしたが、そもそも善と悪とをはっきりと判別することが難しい。