オバマ大統領が、いささか短慮に振り上げた拳が、どこへどう落ちるのか、それとも、きまり悪げにそっと腕を降ろしてしまう破目に陥ってしまうのか、とはらはらしているうちに、プーチン大統領のシリアに化学兵器を放棄させるという提案に沿って事態が収束する可能性が出てきている。無論最終的にどうなるのかは、まだ予断を許さない。オバマ大統領にしても、渡りに船と飛び乗ってはみたものの、泥舟だったということになりかねない。
 にしても、である。この救世主(?)プーチン氏、この種のことに偉そうなことが言えるお人なのか。実は、彼の過去の化学兵器やテロ対策における実績は、赫々たるものである。
 化学兵器の使用は、非人道的振る舞いには違いない。アサドというのは、我々の基準ではまあ人でなしといっても良いだろう。しかし、人道とか言う必ずしも明瞭でなく解釈・理解の幅が大きい基準ではなく、より明瞭な条約等の法的基準に照らすならば、武器を持って政府に逆らう連中の居そうな所に毒ガスを撒くというのは、実は何ら違法ではないのである。
 何言ってるんだと言われそうだが、そもそも現時点では、化学兵器禁止条約にシリアは加わっていない。批准も調印もしていない条約に違反しているとは、あまりに無茶苦茶だろう。それに、この条約に罰則があって、違反した国にはミサイルを撃ち込んでも良いなどと書いてある筈もない。また、仮に化学兵器禁止条約が、調印の有無にかかわらず国際人道規範になっていると強弁したとしても、疑問は残る。というのは、この条約は、国家間の武力紛争に化学兵器が使えないように、その開発・製造や貯蔵を禁じようという発想に立つからである。国内でテロリストの鎮圧に使う分には、一向かまわないという解釈もできないことはないのだ。とはいえ、条約の趣旨からして、国内治安の維持に使えるのは、催涙ガス等非致死性のガスに限られるべきであろう。
 しかし、非致死性というのが曲者でね、これについては、忌まわしい事件が起こっている。それは2002年10月23日のモスクワでのことだ。市内のミュージカル劇場に武装した42名のチェチェン過激派が乱入占拠、900人以上の一般市民を人質に取った。このチェチェン問題というがまた複雑で、ここでは触れない。同情すべき背景はともかく、許されざるテロ行為であるというしかなかろう。故に、ロシア政府が、テロリストとは交渉せずに、鎮圧を図ったこと自体は、一概に非難し難いと思う。しかし、その結果は悲惨かつ呆れるものとなった。
 ここで鎮圧に使用されたのが、KOLOKOL—1というガスである。吸い込んでも数時間意識を失うだけで命を落とすことはないという触れ込み通りなら良かったのだが。ガスを吸って意識不明となった人質のうち129名もが結局死亡してしまったのだ(数字には異説あり)。その一方、このガスによる鎮圧対象だったはずのテロリストたちは、全員殺害された。突入に気がついて銃撃戦になったとも、ガスで昏睡状態になっていて無抵抗のまま射殺されたとも言われるが、実のところ委細は分からない。
 とにかく、このガスの使用が適切であったかどうかという疑問には、答えにくい。というのも、そもそも秘密の好きなお国柄で、未だにこの時使用されたガスの正確な成分は明らかにされていないからである。本当は危険な毒ガスであったのかもしれない。
 その場合でも複数の可能性が残る。一つには、致死性ガスと知っていて敢えて使ったというシナリオだ。人質殺害の予告期限が迫っていたから、全員殺されるよりましという決断だったのかもしれない。二つ目には、当局は本当に非致死性と信じていたが、使ってみたら違ったというもの。最後は、当初報じられたように、蘇生に必要な解毒剤の準備が間に合わなかったというものだ。いずれにせよ、結果からして大失態と言えるだろう。そもそも意識を失わせる程度の毒性はあることになっていたから、吸引する個体の健康状態次第で殺してしまうこともあり得たであろう。3日にわたったこの籠城中、テロリストたちは一切の食料・飲料の差し入れを拒んでいたから、ガスが撒かれたときの人質の健康状態は最悪であったと思われる。それならばなおのこと、解毒剤の準備や直後の医療処置に万全を期しておくべきであったろう。ところが、このガスの使用は厳重に秘匿されたため、事件直後に意識不明の人質達を収容した医療機関では、適切な処置ができなかったらしい。杜撰というしかない。
 いずれにせよ、ここまでは純然たる悲劇であろう。ところが、呆れるおまけがつく。人質やその遺族から、所持していた金品の紛失が訴えられたのだ。救急隊員か、医師、看護師、警官、兵士であったか誰かは分からないが、どさくさ紛れに失敬したらしい。裁判になり、一部の訴えが認められてロシア政府に賠償が命じられたと聞く。空いた口が塞がらないとはこのことだ。
 さて、当時のロシア連邦共和国大統領は、言わずと知れたプーチン閣下である。彼のテロ対策の「実績」をもう一例。約2年後の2004年9月1日から3日にかけて、北オセチア共和国のベスランという町の学校を、またもチェチェン過激派が占拠して、児童と保護者千人以上を人質に取った。この鎮圧には、精鋭の特殊部隊が投入されたものの、またも大惨事となる。我が子を人質に取られた親の一部が、自ら銃を取って無秩序に乱入したり、不細工で統制のとれない突入で、現場は大混乱、何と人質少なくとも386名が死亡した。うち186名は子供だったというから、もう何をか言わんやだ。
 こんなことが今の日本で起きてたら、治安当局者の引責辞任くらいですむかどうか。さすがに修羅場をくぐり抜けた経験豊富でいらっしゃるプーチン様、こたびの毒ガス使用にも慌てず騒がず、軍事介入の回避に力を尽くされた。ノーベル平和賞もの?この冗談笑えない。吐き気がする。別にシリアの内戦が終結する訳でも何でもない。そもそも、首都で無辜の同胞市民に毒ガス噴射した男なんだよ、こいつは。アサドと五十歩百歩じゃないのか。
 今回のことで、オバマ大統領の威信は傷ついたと言える。その指導者としての力量には、私も疑念を抱く。でもね、だからといって無条件にプーチンが偉いのか。オバマ大統領は、おそらく化学兵器の使用、とりわけ子供が苦しむ映像を見てショックを受け、かつ怒りに駆られたのだと思う。少なくともオバマは善人だよ。私は彼の怒りには、素直に共感したい。こういう感性を枯渇させたら、もうおしまいだと思う。
 ただし、それからの措置はいだけなかった。後知恵ではあるが、議会に諮ることなしに躊躇わずミサイル攻撃でもしてしまえばよかったとすら思う。当初より地上軍の投入は考えられていなかった。力の信奉者たるアサドとの交渉は、この順序でなければいけないのだと言えば良かった。アメリカ兵の戦死者は出なかったであろうから、世論の反発も一過性に終わったと思う。
 国際政治というのは、野蛮人の営みである。文明人がそれに関わる時、文明人としての一線を保持しつつも、相手に合わせて振る舞うことが必要になるということだろうか。言うは易くして行なうは難しという見本だね。こうした狭間で決断を迫られる指導者に、我々は今少しの敬意を払うべきではないか。
(9月15日記)