この頃は・・・
禁煙の失敗を繰り返しながらも
週一回の断食、さらに初老になったせいか古傷が痛み出したので、ヨガマットを利用したストレッチに余念がない。
古傷・・・
人生の中で三年間病院生活をすることになった左足の付け根の骨の病気。8歳に完治したとはいえ、三年間も体重をかけなかったことがあり、30年以上心理的にかばってきた。実際スポーツは、退院してからなんでもトライしてきたのだが、いつも6割から最大7割の力でやりざる得なかった。学生の頃はマックスで走ってみたいと思っていたもんだ。初老を迎え、年々筋力は衰えていくだろうから今年からストレッチを初めてみる。
普段はプライベートオフィス(非公開)を主催しているが、電話、メールでの対応ができる時代なので、自分に時間が使えるというか。
今年は禁煙、週一の断食に毎日のストレッチを加えてみる。今まで自分に時間を使ってこなかったのだが、自分に時間を使う、考えられることができるってこんなに素晴らしい!なんて新たな価値観が創造できてたりして。
兎にも角、
人生の中で一番ゆる~い時間を過ごしながらも、
初老全開で元気でやってますハハハッ
週末友人たちに誘われ、宮城県塩釜港に牡蠣を「喰い」に行ってきました。
私は41歳になりますが、人生で食った量を上回る「喰い」を堪能。
下の写真にあるように、これだけ目の前にあるとテンションが上がるというか、
友人達が田舎に来た時にはお連れしたいなと思ったほどでした。
ビフォー
アフター
メニューでは五個1000円(定食)となっていた。一つ200円となるが断然食べ放題がお得。
レア気味で食べる牡蠣は堪らんちん。
さて、宮城県塩釜港といえば
津波の被害が甚大だった訳で
観光が目的だったのだが、行政機関にいたせいか街の端々の見て取れる名残に感じるものがありまして、久しぶりにブログに記してみたい思いまして。
四件ほど観光をして周りました。
先ずは笹かまぼこ屋にて、笹かまぼこの炙りを体験。
決して不味いわけではありません。ネコ舌なもんで。
香ばしく、たいへん美味しゅうございました。
この施設、港近くということもあり津波被害が甚大だったわけで
施設内には当時の被害状況を知らせる写真を掲載されていた。
よろしければ、一枚一枚クリックして拡大したものを見ていただき
「何か」感じてもらえればと。
館内に掲載されていた写真はここまで。
行政にいたこともあるせいか、街中の端々にはまだまだ被災した名残に目が行くし
ここまで直すには、震度7の巨大地震、さらに津波を受け被災した状態で復元していく、そのステップを想像すると、たいへんなご苦労があったことだろうと察するのである。
こういったことを知る、考えられる上で、観光に誘ってくれた友人たちに
素直に感謝である。
お昼に牡蠣を堪能
さらにキリンの工場見学後、出来たてのビールで口直し。
震災10日後、救助で被災した石巻から相馬を訪れた。
http://ameblo.jp/imakoma82/entry-10844709174.html
キリンの前もなんとか通ったけど、とても復興ができるとは想像ができないレベルだったことを思い出す。
美味しいビールを口にしながら、考えを巡らす。
あの激しく被災したこの地を復興させるには、「片付け」と「復興」と二重苦になること。またそれをする大部分が「被災した人」であることを思うと、なにか考えてしまう。
復興を始め、何事も「人」、その人を元気にさせなくてはな~なんてボンヤリと思いめぐらしながらも、よくこれで通常な税金とってたり、電気代を11%(企業は17%)以上値上げするなどと、狂気な沙汰というか。。。なんて・・・
免税特区?ガソリン税とか、一部なんとか考えられないかねぇ~
キリンだけに、ほろ苦いビールを流し込み、考えほうけてたみたもんだ。
最後に・・・マイノリティーな考えを少々。
今回観光をしてみて思ったのだが、被災した各地に観光ができるモニュメントや資料館なるものを公で早期につくるべきだろうと思った。そこに生きる人には金が必要。とりあえず観光の目玉を作り、その地に金が落ちる仕掛けや、雇用を考える上で必要かなと。資料の保存ってこともあるし、また知ってもらうことは大切だよね。
また、風評対策として特区などで10年無税地区にするようなことでなければ、その地には若い方々が根を張ることは難しくなるかな~なんてローカルで生きてきて肌で感じた。
オリンピックも大切だが、そのぐらいは政府あたりが進んでやってもいいのかな?オリンピック時には東北にも観光は効果はあるだろうし、すれば東北も微力ながら応援はするだろうしね。
そうそう、IOCとの対面した顔合わせで、総理が話している横で爺がガム噛んでいたけど・・・
だいぶ費用もかさんでるようだし、本気で誘致するきなら、そういったエチケットもちゃんとしたほうがいいと思うよね。
開催地を選ぶのは「人」だから。
二年目となる3、11はどう過ごされますか?あれから二年。震災した東北や原発に悩まされた福島の人々には、二年との区切りにはらないとは思うのだが・・・
宮城塩釜港で、笹かまと牡蠣とビールで考え「想う」この頃でした。
ではまたアディオ~ス。
口直しに きょうのおんがく