Tue 170627 母校・秋田高校の快進撃/4半世紀ぶりの校歌が聞きたい/京都・山鉾巡行 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 170627 母校・秋田高校の快進撃/4半世紀ぶりの校歌が聞きたい/京都・山鉾巡行

 とりあえず、言わせてくれたまえ。夏の高校野球・秋田県大会で、我が母校 ☞ 秋田高校の快進撃が続いている。ノーシード、たいへん厳しいスタートラインの設定だったが、とりあえず県ベスト4まで進出した。

 3回戦では、一昨年の甲子園ベスト8、秋田商と対戦した。21世紀の今、ごく普通の田舎の公立高校が、本番の甲子園でベスト8に入るのは至難のワザである。

「秋田商」という古色蒼然としたネーミング、早稲田スタイルの超正統派ユニフォーム。一昨年のサトイモ入道は、いかにも昭和ふうの地味な高校球児たちが、セミプロだらけの甲子園で躍動する姿に、熱い涙を流しつづけたものだった。

 秋田では、秋田高校 vs 秋田商の対戦を「秋田の早慶戦」と呼ぶのである。いやはや「早慶戦」と言ふもの自体が、すでに昭和のカホリに満ちている。

 そこに「秋田の」と言ふ限定詞がくっつけば、21世紀日本の冷淡なヒトビトは、失笑に冷笑、憫笑に嘲笑、「何でそんな狭い世界にカッカしてるんだ?」と、嘲罵の的になりかねない。

 しかし諸君、嘲罵だろうと何だろうと、今井君の愛校精神はゆるがない。「早稲田LOVE」「秋田高校LOVE」であって、ヤフーニュースをカタカタ&ポチポチやりながら、「そうですか、秋田高校が快進撃ですか♡」と、感激&感動しきりなのであった。
長刀鉾
(祇園祭・山鉾巡行、先頭の長刀鉾が河原町御池に接近する)

 だから京都で祇園祭に熱中しながらも、秋田の早慶戦 ☞ 秋田高校 vs 秋田商の試合を見に行きたくてたまらない。ヒコーキを駆使すれば、観戦は十分に可能だったのである。

 試合の予定日は7月18日。夕暮れ7時から新宿で公開授業があるが、秋田市八橋休場での試合は12時半の開始予定。15時までに試合が終われば、とんぼがえりのヒコーキで羽田に着くのは17時すぎ。新宿には余裕で間に合うタイムスケジュールが組める。

 その前日の7月17日、だから京都に滞在中の今井君は、「高校野球を見に秋田に行くかどうか」、そればかりカッカしながら考えていて、とても祇園祭の山鉾巡行に集中できるような状況ではなかった。

 豪華絢爛を極める約25基の山と鉾が、京都洛中を半時計回りにグルリと一回りする。途中3カ所で勇壮な「辻回し」を演じながら、朝9時スタート、巡行の終了は13時すぎである。

 それを5年ぶりか6年ぶりに眺めるために京都にやってきたが、うーん、今や今井君のオツムの中は、ノーシードの母校が甲子園に出場できるかどうか、そればかりに集中して、とても山鉾巡行どころではない。
占出山
(長刀鉾に続くのは「占出山」。これで「うらでやま」と読む)

 秋田高エースはアンダーハンド、「太田」という名前らしい。すると、「お、あの太田の息子かい?」と、今井君の灰色の脳細胞は30年も前に甲子園で活躍した秋田高校のエース、やっぱりアンダーハンドの太田を思い出すのである。

 昭和42年生まれ、中学野球大会で全国優勝。甲子園65回大会に出場。2回戦で高知商と対戦、5−3で敗れている。この年の優勝チームは、桑田と清原がいたPL学園。秋田高校を破った高知商は準々決勝まで勝ち進み、そのPLに10−9で惜敗した。

 あの年、高知商のエースは津野。その後ドラフト3位で日本ハムに入り、プロで大活躍した本格派である。その津野と互角の戦いを見せたのが、秋田高校のエース太田だった。

 諸君、「1983 高知商 津野」でググってみたまえ。優しいYouTubeどんが、今から35年前の秋田高校の活躍を見せてくれる。

 もちろん動画の主人公は高知商の津野であるから、秋田高校のバッターは次から次、バッタ&バッタと三振に切ってとられる。しかし諸君、試合のスコアを眺めるに、実際はプロスカウト注目の好投手を、東北の進学校が厳しく追いつめていくという試合展開だ。

秋田高 000010200 3
高知商 00410000X  5

 ヒットの数も、高知商9本、秋田高校10本。終盤から優勝候補を堂々と追いつめた。昔から秋田高校は、このスタイルが持ち味。7回とか8回に、大逆転を演じる。あの時の太田の迫力もスゴかったが、ヒト世代分の35年が経過、今年のノーシードの太田もまた迫力満点であるらしい。

 結局、秋田商には9−5で勝利。さすがに今井君は新宿での公開授業の安全&安心を優先して、秋田まで観戦にいくという暴挙は遠慮した。ついでにその翌日、県大会の準々決勝でも5−4で勝利。8回裏の大逆転で勝った。
函谷鉾
(続いて、函谷鉾。見事な辻回しだった)

 大正4年、第1回大会で準優勝。延長12回での惜敗だった。戦後にも甲子園ベスト4を達成。まさに超名門だが、昭和40年のベスト4を最後に、輝かしい戦績はない。その26年後、1991年の夏に京都・北嵯峨高に9回裏の大逆転、4−3で26年ぶりの校歌が甲子園球場に流れた。

 天上はるかに 太平山の
 姿は気高けし 三千余尺
 長江流れて 六十幾里
 海へと馳せ行く 雄物川波

 藩校を引き継いで明治4年の開校、150年の歴史を誇る文武両道の名門である。土井晩翠作詞のマコトに短い校歌は、甲子園では僅か20秒で終わってしまう。

 あれから、再び26年が経過した。秋田高校は、4半世紀ごとに大活躍するのかもしれない。前回の甲子園ベスト4からは、すでに50年が経過。「鎧袖一触」の旗を掲げた質実剛健の選手諸君に、甲子園を縦横無尽に駆け回ってほしいのである。

 県大会準決勝の相手は、金足農と決まった。いやはや、今井君の授業の中で大活躍するあの金足農が、我が母校・秋田高校の快進撃の前に立ちふさがっちゃった。これも何かの因縁かもしれない。

 準決勝は、明後日22日。今井君は河口湖合宿の真っ最中だから、秋田まで観戦に行くことは不可能であるが、母校のチームの大活躍を、遥かな湖畔で熱く祈りつづけている。
お弁当
(京都ブライトンホテル「蛍」で昼食。豪華な御弁当、ホントにおいしゅーございました)

 おやおや、ついつい夢中になっちゃった。すっかり忘れてしまっていたが、今日の記事の中心はあくまで祇園祭の山鉾巡行でなきゃいかん。少なくとも掲載した写真は、ヤマボコちゃんたちばかりでござる。

 今井君がヤマボコを出迎えたのは、河原町御池の京都市役所前。京都ホテルの真下である。朝9時に四条烏丸を出発した23基の山と鉾は、四条河原町の交差点で、最初の辻回しにチャレンジ。もちろん辻回しは鮮やかに成功して、2回目の辻回しが本能寺間近の京都市役所前で演じられる。

 5年前とは、観光客の数が決定的に違う。2倍、うんにゃ3倍に増えている。滅多なことでは山にも鉾にも接近できない。警備にあたるヒトビトの絶叫も、やっぱり数倍のボリュームに達している。警備員の声が大きすぎて、山と鉾の巡行になかなか集中できない。
お寿司
(やっぱり京都の夏はサバ寿司。翌日まで吐息が激しくサバ臭かったが、これも京都の風情。いいじゃないか&いいじゃないか)

 しかも諸君、7月17日の京都の蒸し暑さは、尋常なものではなかった。分厚い雲に覆われた空から、生温い雨滴が何度も落ちてきたが、おそらくそのせいで、湿度は言語道断に上昇していったのである。

 ワタクシの目の前で、熱中症に倒れた人がいた。幸いすぐに救急車に運ばれていったけれども、昨夜の宵山同様、見物人の数があまりに多いので、前にも後ろにも、右にも左にも、滅多なことでは進めない。いったん黒山の人だかりに飲み込まれたら、脱出するのはほぼ絶望的である。

 ① まず「長刀鉾」の辻回しを眺め、② 占出山の通過を見守り、③ 続く「函谷鉾」の辻回しを見物して、その段階でもう今井君は、ソソクサと河原町御池を退散することにした。警備員の皆様にあんなに厳しく叱られながら、叱責の声の轟く中でお祭りを見物しても、ちっとも楽しくないじゃないか。

 しかも諸君、実はこの段階のサトイモ君は、熱中症の一歩手前まで来ていたのである。公開授業3回分の大汗をかき「水!!」「みず♨」「水分♡」「塩分♡」と、我が肉体は絶叫を繰り返していた。地下の売店で思わず「冷たいソルト♡ライチ」とホザイたあたりに、自らのピンチ意識の強烈さを再確認するのである。

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 3/18
2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 4/18
3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 5/18
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 6/18
5E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 7/18
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