中 九兵衛のブログ 大和川流域歳時記


 大阪市住吉区の苅田地区を散策するシリーズ。

 今日は、『この日何の日』に因んで、旧「苅田村」の庄屋を務めた「寺田家」を訪ねます。

 10月13日のブログのように、大和川付け替え工事は224日をかけて竣工しましたが、江戸からの普請奉行や、万年長十郎・中甚兵衛らが詰める「普請役所」は、工事開始前の11日間と終了後の12日間、合わせて247日間設置されていました。

 その場所は、工事の進捗に合わせ、管理しやすい場所に移動しましたが、中盤の宝永元年(1704年)6月1日から10月25日に閉鎖されるまでの144日間の長きにわたって、「苅田村」の庄屋宅などに設置されました。


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 「苅田村」の集落があったのは、現在の「苅田6丁目」辺り。

 苅田4丁目にある「苅田北住宅」の南側になります。寺田家はの所に在ります。


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                       < 南側から見た「苅田北住宅」







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 「苅田北住宅」の南側の道路から、「苅田6丁目7番」街区と「同13番」街区の間を南に入る細い道です。7番街区側に、何かいわく有り気な木が見えます。


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 道沿いの塀に小窓が開けられていて、「大阪市保存樹」を見ることが出来ます。

 平成12(2000)年に「第72号」として指定された、「寺田邸内のつばき」です。

 「高さ=6.0m・幹回り=1.40m(3本立)」とあります。


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 道路突き当りに、小洒落た酒屋がありますが、ここを左折すると、冒頭にも掲げた寺田家の「長屋門」があります。


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 大和川付け替え後当時の江戸期の様子をほぼ伝えていると見られる、明治期の地図に見える「苅田村」付近です。

 上部の東西に通る「堺道」が、現在の「長居公園通」に近い道路です。黒い塊り部分がそれぞれの村の集落で、その他に住まいはなく、田畑や溜め池が広がっています。





★☆ 大和川叢書④『流域歳時記・甚兵衛と大和川~この日何の日』 10月25日 要旨 ☆★


● 《 大和川付け替えの「普請役所」を閉鎖(1704) 》

 大和川付け替え工事が竣工して10日余り、新川の順調な流れを確認して、宝永元年(1704年)のこの日、工期後半の6月1日から設置していた、住吉郡苅田村の普請役所が閉鎖されました。江戸からの普請奉行や、普請御用を仰せつかった中甚兵衛は、これで任を終えましたが、万年長十郎ら堤奉行は、その後も折を見て新川筋の巡見を続けています。