過去を考えますと、
私は身近な人に機嫌悪く、
当たっていたと思えてきます。

当時はそんな気もないですが、
もっと愛情を持って、
接することが出来なかったのかと、
今は学んで多く思います。

仮に機械の具合が悪い場合、
馬鹿みたいに機械へ怒らないのに、
なぜか人間相手だと、
怒ってしまいました。

よくいいますと『期待感なのです』と、
自分にいいきかせますが、
実際は『ただ腹が立った』などが、
理由だったりします。

なので怒りやすい人は、
未熟なのだと思います。

ですので未熟な点を認め、
新たな段階へと進む必要があるのですが、
それは相手を尊重する、
得意なことを生かした、
協調意識のような気がします。

何しろ私など短気な人間は、
未熟を証明するように、
怒りながらも悩みます。
ですので不必要に、
「悩まない」と公言しましたり、
自分でも気付かないレヴェルへ、
意識の抑圧もあったように思います。

そうしたことから考えますと、
身近な人たちの、失敗に挑む姿は、
たくましい姿に見え、
見た目だけの格好のいいたくましさは、
本来のたくましさとは、
また別にあるのだと思えてなりません。